一章 琴葉 5 1047
「ただいま。」
玄関の扉を開けて家の中に向けてほんの小さな声で言う。
いつも通り何の返事もない。
帰ってくるたびに憂鬱な気持ちになる家にも今日だけは少しだけ晴れた気持ちで帰ることができた。
靴を脱ぎ、リビングへ向かう廊下の電気を点け、歩いているとリビングに続くドアが開いた。
「・・・・どうしたんだい、琴葉、上機嫌だね、声が浮ついているよ。」
真っ暗なリビングから廊下に少し顔を出した兄が無表情に言う。
伸び放題の前髪に隠れて目を見ることはできなかったが、きっといつものように死んだ魚のような目をしているのだろう。
私はこの兄のことが嫌いだ。生理的に。人間的に。そのほかのあらゆる意味でも。
「・・・・・・そんなことどうでもいいや。今日は火曜日だよ。先に行ってて。」
無表情なまま口元だけつり上げ笑った様な顔を作った。
私は振り返って二階の自室へ向かった。
私の両親は十年ほど前に事故死したらしい。
私はその事故の時にそれ以前の記憶を全て失った。
未だにほとんどの記憶を思い出せないまま生活している。
そんな私を養ってきたのはあの十五歳離れた兄であった。
ここまでで終われば温かい兄弟愛のお話だ。
事故から三年ほど経った頃。あろうことかこの兄は私の生活を保障する対価を求めて来た。
週三回、私はあの男に犯されるのだ。
身に付けているものを全て剥がされ、体を縄で拘束され、あの男の好きなように、私の部屋で、あの男が満足するまで。
小さな頃は何をしているのかまるでわかっていなかった。
でも今はそうではない。
何をしているのか、もうわかっている。
嫌だ。嫌だが、例えばこれで警察に言えば何か変わるだろうか。
確かにあの男は捕まるだろう。
だがそれでは私には生活する術がなくなる。
生活する術がなくなったら私は働かなければならない。
私はまだ十六歳だ。
まとまったお金を得る方法なんて体を売る以外にないだろう。
それじゃあ今と変わらない。自分の意思でそんな事をするくらいならば、私は嫌々犯されることを選ぶ。
今日もこれから私は犯される。嫌々、仕方がなく。