<渓流地帯>いにしえの祠の囁き、騎士と巫女の物語
※本作品では、制作にAIツール(Xaris)を用いています。ご理解の程お願い致します。
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ホラー、和風ファンタジー、怪談、渓流、騎士、巫女、冒険、再生、自然への畏敬、怪異譚
大陸の東側に位置する渓流地帯。この場所は、険しい山々と幾つもの小川で構成されている。温暖湿潤な気候の元で、自然の豊かな恵みを受けて、動植物はたくましく育っていた。鬱蒼とした緑が点在している。季節ごとに様々な顔を見せるこの場所は、見る者の心を楽しませる。古くから絵画の題材としても名高い。
山肌を降りる川は、近隣の村まで注いでいた。ここに住む人々は、昔からの教えを受け継ぎ、厳かに、しかし伸び伸びと暮らしていた。山や川の幸を取ってくる者、木を加工する者、料理や洗濯をする者、村の衆を率いる者、神官の職業の者。先祖代々受け継がれてきた職業に就く者も、自分の適する職業に就く者も、各々の役割を果たしていた。時折訪れる旅人向けに、竹墨、山菜や川魚の加工品、木材加工品などの特産品もあった。豊かな水源を生かし、人々は水浴びの習慣を持っていた。子どもたちの無邪気な声が響いていた。
「はて…ここはいいところだ。我らはこの地方も手中に収めることができる」
この渓流地帯に目をつけたのが冒険者ギルドだった。村に拠点を設置したのは最近のことだった。ギルドが渓流の調査を始めてからまだ日が浅いが、冒険者を派遣して少しずつ情報を集めていった。その中で、「裏渓流」の情報が入ってきた。
「風光明媚な渓流地帯。景色を眺めて、そこの産物を漁るだけでも十分なように思われますが、さらに刺激的なものがあるようです。この渓流地帯にある大きな湖の北部一帯は、地元住民にも秘密にされている場所のようです。ここでは『裏渓流』としておきます。人里離れたこの場所は、近くの渓流とも異なる動植物が生息し、未知のお宝があるそうです。どうですか?我らが真っ先に駆けつけて、何があるか暴いてやりませんか?」
この話を聞くと、渓流支部のギルドの重鎮は興味を持ち、さっそく冒険者を派遣して調査を行うことにした。このことが村人に知れ渡ると、その村では反対運動が起きた。しかしギルドはそれらを無視して探索を進めることにした。
裏渓流は渓流の湖の奥地にある。この湖は、足がつかないほど深いため、泳いで進まなければならない。険しい地形を乗り越えていけるほどの力も求められる。また、未知の領域のため、ギルドでも十分に支援ができない。何かあってもすぐには助けが出せない。このため、行ける冒険者はかなり限られていた。
場所は変わり、中央都市にあるギルド本部。1人の女性が、受付の人物からこの裏渓流の依頼の説明を受けていた。彼女は大きな槍と盾を背負い、全身に金属鎧を着込んでいた。年齢は20代前半と若く、金髪碧眼の整った顔立ちをしていた。身長は180cmあった。
「セレナよ、今回の依頼はこちらだ。ギルドからのものだ。渓流地帯はお主にとって初めてだが、ワクワクする景色が広がっているぞ。そこには、地元住民にも知られていない未知の場所もある。お主の好奇心を補えるぞ。報酬も弾む。どうだ、依頼を受けてみないか?」
セレナと呼ばれたその女性は、若いながらも難しい依頼を次々と達成している新進気鋭の冒険者だ。並の男性顔負けの怪力と槍捌きを持っている。この前も、彼女の故郷で暴れていた竜の討伐依頼を達成した。その上、この依頼を遂行するに欠かせない、水泳の技術も身につけていた。そこで、彼女に白羽の矢が立った。
彼女が依頼を受けてこなすのは困っている人々のため。この場所について少しでも分かれば、それだけ皆に貢献できるだろう。彼女は承諾し、渓流地帯へ行くことにした。
ーーー
目的地に行く前に、近くの村のギルドの集会所に寄った。大きな建物だった。そこで今回の依頼の確認をした。話はすぐに終わった。口ぶりからして中央の人物だろう。村人たちの冷たい視線が気になった。なんでも、うちらのことを無視して強引に調査を進めることに不満らしい。
そうして長い旅路を歩き、セレナは湖の岸辺へ向かった。彼女の卓越した身体能力により、並の人の倍の速さで移動できる。
「はじめて見るが、いいところだ……」
セレナは渓流の湖の岸辺にたたずんでいた。初めて来た場所であったが、その景色の雄大さに息を呑んでいた。さっき、湖の岸に目立つ旗を立てた。戻って来た時に目印とするためだ。
すでに装備は最小限に抑えられていた。湖の岸近くに、ギルドが設置したキャンプがある。そこで、重厚な鎧の多くを脱ぎ捨て、水泳に適した専用の服装に着替えたのだ。ラバースーツのようなそれは、彼女の鍛えられた肢体にピッタリ張り付き、見事な曲線美を描いていた。腕と脚に装着した軽装の鎧だけが、彼女の冒険者としての証として残っている。武器は携行しているものの、それはあくまで緊急時のためのものだ。水中での戦闘訓練までは受けていない。
「地元の人々にとっても知られていないとは。どんな景色が待ち構えているのか……」
水中メガネとシュノーケルを装着し、防水バッグを携えた彼女は、泳ぐ準備ができていた。ギルドでの訓練で身につけた水泳の技術を頼りに、この先に広がるであろう未知への好奇心を胸に、まるで水に溶け込むように湖へと滑り込んでいく。今は、ただひたすらに、湖の奥、山の頂へと続くかのような水面を進むことに集中している。
しばらく進むと、見慣れた渓流の風景は遠ざかり、ギルドの管轄区域を越えていた。彼女の凹凸のある体でも、この水泳スーツは水の抵抗を抑えて、快適に泳ぐことができた。
ここは穏やかな場所だ。潜れば小さな魚が何匹か映るくらいで、大型の動物は見当たらない。水面を漂うように泳ぐセレナの視界には、どこまでも広がる静かな水面と、それを取り囲む峻険な山々だけが映る。絵にするのに絶好の場所だ。
今いる場所は湖の中央部だろうか。セレナは泳ぎ止まり、ここから秀逸な景色を見渡す。この渓流湖にはいくつかの小さな水流が流れ込んでいる。湖の奥、岸から最も遠い反対側の方向に、白い線のようなものが見えた。何だろう、と興味を抱いたのか、泳いで近づいた。音が強くなる。その正体がわかると、セレナは目を丸くして口を丸く開けていた。
「……っ!……これは、素晴らしいな」
それは大きな滝だった。今まで見た中で一番だ。私の故郷にもこれほどの滝は見当たらない。滝の上にあるものに惹かれる。この上にはかつて見たことのない美しい景色があるに違いない。この先が裏渓流だろうか。滝の高さは10メートル以上はある。でも、並の男顔負けの身体能力を持つセレナなら登れる。滝の脇にたどり着くと、岩壁に手をかけ、登り始めた。
「くっ!ふんっ!」
彼女は苦も無く登っていく。一息つくごとに数メートルも上がる。かつて騎士をやっていた頃を思い出す。そうして一番上まで辿り着き、身体を起こした。そこに待っていたのは、神聖さを感じる光景だった。
「……素晴らしい。見惚れるようだ」
心を奪われ、そのまま見とれていた。その湖はまるで火口湖のように丸い、静謐な湖だった。盆に盛られた水、とでも言うべきか。そこは、まさに別世界。時が止まったかのような静けさが支配していた。ただただ、この場所に留まりたいと願ってしまうほどだった。水に身を浸し、岸辺をぼんやりと眺めていた、その時。湖の対岸に、建物のようなものが目に入った。
何だろう、と興味を惹かれ、泳いで近づいてみる。そこには、地元の人々からは祠と呼ばれている、苔の生えた石製のお堂があった。周りには石柱があり、朽ちかけたしめ縄が張られている。祠の石室には、白い石の彫刻が奉納されているのが見えた。それは人の形にかたどられていて、精巧な細工が施されていた。職人の手で丹念に作ったと思われる。今までの自然とは異なる場所だ。
「これは、一体…?」
不思議に思いながら、セレナが祠の石の扉を開けた。そして中の石像に手を触れた。
シャン...シャン...
どこからか澄んだ鈴の音が響く。聞き覚えがない音だが、何のことかわからない。気のせいだろうと思っていた。
「何だ…気のせいか…?」
そのまま石の彫像を手に持つと、袋に入れてカバンにしまった。あたりに心地よさを感じる不思議な匂い漂った。地元の人々から、線香と呼ばれる匂いだ。
「これは重要なものだ。調査の結果としてギルドに持ち帰ろう」
そう呟くと、これまで聞いたこともない、狼のような恐ろしい獣の咆哮が届いた。ウヴオォォォォオゴン!不意を突かれて、動きが止まった。
「話にあった通り、危険なヤツがいるようだ。早めに切り上げようか」
しかし、それもすぐに収まった。日頃から野外で活動する彼女にとって、動物の鳴き声は日常茶飯事だ。これくらいのことでは動じない。
祠を離れると、近くに大きな石があった。地面から高さ1m、横幅2mはあった。表面はゴツゴツしていながら形が整えられていて、上から見ると正円のように丸い。饅頭のような形をしていた。地元の人々からは封じ石と呼ばれている。大岩の周りを囲うように、しめ縄が巻かれ、白い紙も付いていた。この紙は紙垂と呼ばれている。
セレナは興味津々に近づいた。この下に何やら大事なものを埋めているようだ。古代の金持ちが残した財産だろうか。調査のために探ってみよう。ギルドからも賞賛されるだろう。
その石は地面に少し埋まっていた。この下に何かがあるだろう。そう確信したセレナは石に触れた。鎧の上からでもゴツゴツした岩の感触が伝わる。
パキ…パキ…パキンッ!
触れた瞬間、あたりに甲高い音が響いた。木の割れるような音だ。風もないのに、枝が折れるような音がするなんて不思議だ。しかし彼女は気にしなかった。ちょっとやそっとじゃ動かないが、彼女の怪力なら少し力を入れれば動かせる。
身体を屈めて石に手を当てる。そのまま重心を前に傾けて力を込める。石は動き始め、地面から登り上がった。石全体が露出し、脇へどかされた。石のあったところは大きく窪んでいた。元あった箇所から2mも動いた。
石のあったくぼみに戻る。しかし、そこには何もなかった。
「なんだ、何もなかったのか」と残念に思った。すると、
ポンッ!
それは、今までで一番大きな音だった。丁寧に磨かれた木を打ちつけたような滑らかで、神秘さも感じさせる音だ。
すると、あたりに肉の腐ったような生臭い匂いが立ち込めた。どうやら、さっきまで石のあった箇所から出ているようだ。そこからは、黒い蒸気が出ているようにも見えた。
同時に、さっきと同じ鈴の音も聞こえてきた。しかし、先ほどの清らかな音とは違った。もっと低い、不協和音のような不快な音だった。
ここまで来ると、自然現象では片付けられない。ただ事ではないことが起きたようだ。心の整理が追いつかず立ち尽くすセレナの耳に、どこからともなく声が響いた。
「どうやらお前は他所者のようだ。よくも恐れを抱くことなくここまで動いてくれたものだ。お前がその石をどかしたおかげで、邪なものの封印が解かれてしまった。異界の扉が開かれたことで、幻影が現れ、新たな生物や魔物が姿を現した。もはや特定の者でなければ解決できん。ここのものは何一つとして持ち帰ることは許さん。お前がポーチに入れた人形は、今すぐ元に戻せ。もしこのまま逃げるようなら、お前の命は数日と持たないだろう」
それは、直接心に語りかけてくるようだ。セレナは凍りついていた。さっき祠から取った石像を戻すべく、急ぎ祠へ向かった。袋から出したとき、セレナの顔から血の気が引いた。
見ると、最初に触れた時にはなかった、禍々しい模様が浮かび上がっている。まるで、怒り狂っているかのようだ。これはやばい。急いで石を祠に戻した。セレナの身体からは冷や汗が出ていた。震える全身をなんとか抑えながら、泳ぐための器具を取り付ける。そして一目散に湖に飛び込んだ。
早くここから抜け出したい。泳ぐ脚が速くなる。一気に入り口まで泳いだ。滝の下は10メートル以上あった。しかし思考が追いつかない彼女はそのまま飛び込んだ。それにも関わらず、彼女の身体は何事もなかった。急いで湖の岸まで泳ぎ始めた。
帰路、水面を泳ぐセレナの目に、巨大な影が映った。全長20mを超える大型の水棲生物。行きの時にはいなかったはずだ。サメのような顔と鋭い歯を備えていた。まずい、水中で戦う訓練は受けていない。見つからないよう距離を取る。湖の中央を避け、岸沿いを進んだ。やっと岸に着いた。旗があってよかった。すでに日は傾き、あたりは紅に染まっていた。
このまま帰るわけにいかない。今は水着だ。まずは着替えなくては。キャンプが湖の岸近くにあってよかった。しかしキャンプは中々見つからなかった。まるで場所が変わってしまったかのように。
紅の景色を彷徨っていたら、異様な姿の獣が待ち構えていた。全身からは黒い禍々しい煙が昇っていた。充血した眼は赤く輝き、鋭い牙と爪をむき出しにしていた。こんなモンスターは今まで確認されていない。目が合うとすぐに、獣は甲高い叫び声をあげた。それは、あの裏渓流で聞いたものと同じだった。
戦闘態勢に入ったのだろう。そいつは一瞬で近づくと、黒いドロドロした液体を吐きかけてきた。咄嗟に避ける。そのまま必死に距離を取ると、鳴き声と共に飛びかかってきた。鋭い鉤爪による一撃を避けたところは、地面が抉れていた。
その時、キャンプに至る狭い道を見つけた。やっとあったか。そいつから逃れるべく、セレナは一目散に飛び込んだ。魔物は入ってこれないようで、そのまま引き返していった。
キャンプに着いた。そこは森に囲まれた場所で、外敵も入って来れない安全地帯だ。扉を開けて、中を見る。あった。鎧までは無事なようだ。まずは着替えだ。
装備を外し、水着を脱いで裸になる。身長180cmを超える、筋肉質でたくましいだけでなく、女性的な丸みのある身体だ。張りのある肌は水滴を粒のように反射し、神秘的な美しさを放っていた。
濡れた体を乾いた布で拭き始めたとき、彼女の体に手で触られた感触がした。それは冷たかった。
「ひゃ!」と甲高い叫び声をあげ、周りも触られたところも見渡すが、何もない。心臓がドキドキしたまま、再び拭こうとしたら、また触られた。体を拭こうとする度に、全身をペタペタと触られる。まるでどんなものか確かめるような手つきだ。気にしていては埒が開かない。触られてもいいから、体を拭くことにした。
「んっ…くっ……ふうんっ…あぁっ!」
荒い息遣いが響く。結局、その間はずっと触られた。その上、下着になっただけでなく、鎧を装着し終えるまで、ずっと触られた。おまけに、特定の者にしか許さない場所まで触られた。こんな狭い空間のどこに入れる手があるのか不思議でならない。ひんやりした手の不快さ、姿も見えないものに体を好き勝手に触られる屈辱とが、彼女を支配していた。
やっと着替えが終わりキャンプを出ようとしたその時、木の枝の上から視線を感じた。見上げると、小人が立っていた。それは絹のように滑らかな衣装を身にまとっていた。身体をビクつかせ、震えた表情のまま身構えた。すると、爺さんのように低くどっしりした、しゃがれた声で話し始めた。
「落ち着け。わしは怪異ではない。昔からこの近くに住んでいる者じゃ。どうやらお前さん、扉を開けてしまったようじゃな。さっきからあたりの様子が変わってしまい、もしやと思っていたら、お前さんが湖岸から上がってきたのを見たから、そのまま後をつけてきたんじゃ。やっと着替えが終わったようじゃから、頃合いかと思って出てきたのじゃ」
「さっきは私が屈辱に耐えていたのに黙って見ていたのですか。まあいい。ここに現れた以上、私に他に言いたいことがあるんでしょう」
「フォフォフォ。見てるのも楽しいと思ってな。さて、ここからは大事な話じゃ。どうやらお前さん、あれに気に入られたようじゃ。あと数日もすれば、連れていかれるぞ」
「あれとは何ですか?どういう意味ですか?」
「文字通りじゃよ。さっきお前さんを触っていた存在じゃ。あれに、この世ではない別世界に連れて行かれてしまうんじゃ」
その言葉にゾッとした。セレナの顔が青ざめた。日頃の屈強な姿とは思えないほどだ。
「まぁ、そんなお前さんのために抜け道があるんじゃ。この近くの村に、特殊な職業の者がいる。彼らなら、お前さんの呪いを払うだけでなく、この渓流に空いてしまった異界の門すらも閉じることができる」
「その村は、どこにあるんですか」
「すでにお前さんは行ったことがある。じゃが、渓流の景色も怪現象で変わってしまったから、今までのお前さんの記憶はあてにならん。このキャンプを抜けて、湖、すなわち、来た道とは反対側に進むと、川がある。その川は湖から来ており、下の村まで降りている。その川沿いに数時間は歩くと村に着く」
「その村の、どこに行けばいいですか」
「村の入り口から伸びている太い道をまっすぐに進めば、一番賑わっている場所に着く。そこに行って、お主の事情を話せば、この異変を解決してくれる者が現れる。その者は、わしのことを知っている」
「おじいさん、村のことに詳しいですね。その村の人ですか?」
「そのことは今はなしじゃ。見るからに、お前さんは屈強な騎士であり、ここで終わるにはあまりに惜しい。お前さんは何も知らなかったようじゃから、ある意味で被害者じゃ。この異変のことで恨んではおらんよ」
「優しいんですね」その一言に、少しだけ明るくなった。
「わしから言えるのはここまでじゃ。お前さんが無事に村に辿り着くように。以前のような穏やかな渓流に戻るように。そうじゃ。お前さんにこれをあげよう」
そう言って、小人の爺さんは袋を取り出し、中のものを渡してきた。丸薬だろうか、丸い大きめの粒に、香ばしい匂いがする。
「それはわしからの好意じゃ。疲れたら食べるといい。気をつけるんじゃよ。今の渓流は魔境じゃ。恐ろしいものに出会うだろう。じゃが、ただひたすら、村まで行くことだけを考えるのじゃ」
そう小人は言い終えると、セレナは感謝の言葉を述べて別れを告げた。キャンプを出ると、渓流近くの村への道を急いだ。爺さんに言われた通り、川沿いを進んだ。
ーーー
行きの時にも通った気はするが、これほど長くはなかったように思う。すでに日は沈み、あたりは薄暗くなっていた。手提げランタンを手に、川のそばの森を歩いていたとき、甲高い絶叫が響いた。
イヴエアアアアアァァァッ!
ビクッ、と怯んだとき、その声の主は前の茂みから出てきた。人の姿をしていた。暗くてよく見えないが、前屈みの姿勢、生気のない肌の色、そして腰まで届くほどの長い髪。それらははっきりと確認できた。
目が合ってしまった。暗く澱んだ瞳は、明らかに健常な人間のものではない。
ウヴォアアァァァッ!
セレナを見つけるや否や四つん這いになり、甲高いおぞましい叫びと共に迫ってきた。近づくのはあまりに早かった。まるで操り人形を高速で動かしているような素振りだ。
アヴォォォォン!
近づいた瞬間、ジャンプして噛みついてきた。気がついたら目の前にいた。あと少し遅かったら攻撃を受けていた。化け物は尚も仕留めようと、今度は両手を振り回しながら迫ってきた。髪を振り乱しながら。震える手が武器に伸びそうになる。ここで、爺さんに言われたことを思い出す。今は、村まで行くことだけ考えろと。
彼女は化け物に背を向け、急いで村までの道を行くことにした。
ウヴォアアァァァッ!
しかしそう逃してくれるわけがなかった。そいつは走るのがとても早かった。いくら逃げても、その化け物は追いついてくる。かわされても、距離を離されても、懲りることなく迫ってきた。逃げてかわすことの繰り返しになっていた。
「…ハァ、ハァ…やってられない……仕留めよう」
セレナは装備している槍を手に取った。
ウヴォアアァァァッ!
化け物はおぞましい絶叫をあげ、今まで通りに襲ってきた。穂先は化け物の身体の真ん中にヒットした。
しかしそれでも化け物の勢いは止まらなかった。心臓は、弱点じゃないのか?槍身に身体を貫かれながらも化け物は意に介さず、ジリジリと彼女に迫ってくる。長い髪を振り回し、鬼の形相で腕を振り回す迫力は、熟練の冒険者でも尻込みするほどだ。
アガッ…アガッ…アガッ…
このままでは襲われる。彼女は槍を振り回す。すでに突き刺さっていた化け物は槍から離れ、近くに転がる。起きあがろうとする前に、頭を何回か突き刺した。すると、ようやく化け物は沈黙し、起き上がることはなかった。
「…ハァ…ハァ…やっと倒したか…」
武器をしまい、再び歩みを進める。この化け物と遭遇する前にも、後にも、不穏な気配が付き纏っていた。ランタンで照らしても、無論、そこには何もない。走っても同じ速さでついてくる。彼女の走りはとても速く、名の知れる冒険者でもトップクラスなのに。
川を下る道が、非常に遠いものに感じた。しかし、小人の言っていた通りに、川沿いを進んでいた。進んでもあたりは暗闇だけ。月明かりもない。ただ、ランタンの明かりだけが、川がどこにあるかを導いていた。もう限界か、と諦めかけていたその時、行く先の川のほとりに群がる明かりが見えた。どうやら、小人の言っていた村のようだ。照明と同じく、一気に気分が明るくなる。
そうして、やっとの思いで村にたどり着いた。小人に言われた通り、大きな道を進み、一番賑やかな場所に向かう。そこは、周りより一際明るかった。すでに疲労困憊だった。藁にもすがる思いで、受付と思われる人に聞いた。今まで、あの場所で何があったかを話した。すると、その人は顔が青くなった。逃げるようにセレナから離れ、誰かを呼んできた。建物の奥からひとりの若い女性が出てきた。
その方は、ミコトと名乗った。年齢はセレナと同じくらいだ。長い、整えられた黒髪に、きめ細かい白い肌をした、器量の良い顔立ちだった。凛とした表情からは真面目で几帳面な印象を受ける。
ミコトと名乗った女性はセレナに問いかけた。セレナは同様にあの場であったことを大雑把に話した。話が進むにつれて、ミコトの顔が険しくなった。セレナが一通り話し終えると、彼女は、話があるから私に着いてくるように、と言った。セレナはおぼつかない足取りで後を着いて行った。
案内されて行くと、何人かの人物が大きなテーブルを囲って話をしていた。テーブルの上にはお椀があり、お茶が入れられていた。どうやら村の集会所のようだ。部屋は明るかったものの、対照的に人々の顔立ちは暗かった。
場に入るとすぐに、ミコトは軽く皆に挨拶し、セレナを伴って入った。必然とセレナに注目が集まった。鋭い目つきが彼女に突き刺さる。どれも、眉をひそめ、唇を固く結んでいた。彼女は直視できなかった。
ミコトはセレナを近くに座らせると、キッパリと発言した。
「皆さん、お待たせいたしました。今回の異変の容疑者が見つかったようです」
その一言が終わると、会合は再び始まった。セレナはこの会話の中心人物になった。今までの行動のいきさつを根掘り葉掘り問われた。
その中でセレナは、冒険者ギルドの調査で裏渓流の調査に向かったこと、裏渓流で何をしたのか、キャンプで小人に聞かされたこと、村に来るまでの帰りで遭遇した化け物、などすべて話した。10mもある滝の岩壁をよじ登ったこと、ギルドの調査のために祠の白い人形を持ち帰ろうとしたこと、大きな封じ石を2mも引きずったこと、貞子のような化け物と遭遇したが倒したこと、なども話した。それらを聞くたびに、なんて力と胆力だと、場の全員は衝撃を受けていた。同時に、なんてことをしてくれたんだと、呆れてものが言えなかった。
しかし、皆が一番気にしていたのは、彼女が怪異に気に入られたために数日以内に連れていかれる、とあの小人が言っていたことだった。それを聞くや否や、今まで怒りと絶望を彼女に抱いていた者も、険しい表情を緩めた。
結局その日の会合は、一つの意見で決着がついた。明日の朝、セレナにはミコトと共にあの場所に再び行ってもらうことになった。それで、セレナを連れて行こうとする者も彼女から離れ、異界への扉も閉じるからだ。
繰り広げられた話の中には、取り返しのつかない事態になる、ただ事ではないものもあった。もし解決できなかったら、あと数日で村が怪異に襲われることになる。また、今回の異変でヤバい存在も出てきた可能性があるとのこと。
それらの言葉に、セレナはただただ、うなだれていた。目を下に向け、肩をすくめていた。自分がしたことで、取り返しのつかないことになってしまうかもしれないと、深く後悔していた。私は人々を助けたくて、悪意はなかった。それなのに、こんなことになってしまうなんて。私が無知なばかりに。
今晩はセレナはこの集会所で寝泊まりすることになった。ミコトも一緒だ。何かあったら私を呼んでほしい、勝手には行動しないでほしい、とのことだった。
すでに度重なる尋問でクタクタだった。気を保たなければ意識を失いそうなくらい疲れていた。食事も水浴びもする気にならない。用意された布団に横になると、すぐに意識を失った。
突然、セレナは目が覚めた。しかし、身体が動かせない。金縛りというらしい。初めての経験に心がざわめいた。
何かの気配がする。姿は見えない。渓流から村に向かう途中にずっと付きまとってきたのと同じだ。また身体を触られた。キャンプで味わったあの手つきと同じだ。冷たい不快な感触だ。触るだけじゃなかった。手で押された。揉まれた。叩かれた。そうしてしばらく行為が続いた。金縛りのため声も出せない。恐怖と屈辱が同時に迫った。やっと行為が終わった。同時に、声が頭に響いた。
「わたしはお前が気に入った。お前を我らの一員とする。際立った身体能力、高い武芸、強靭な肉体、豊満な女体、勇猛な精神。どれも申し分ない。あと数日で迎えに行く」
そう言い残していった。それと共に気配は去り、身体は動かせるようになった。
「……ハァ…ハァ…アアァッ…」
やっと解放されたことで彼女は大きく息を着いた。身体は不安に震えていた。ミコトは寝たままだった。
ーーー
太陽が東の地平線に接していた頃、セレナは目を覚ました。ミコトに起こされたのだ。寝たはずなのに、身体が鉛のように重い。目は力を失っていた。
ミコトはこの村の有力者の家系らしい。村の役人なだけでなく、神官の職も兼ね備えていた。昨日と同じく、この地方でいう装束のような服装をしていた。上は白の衣、下は赤の袴だった。無駄のないシンプルな装いだった。
「あまり眠れていないようですね。ですが、よく聞いてください。これから、あの地に行った時に行うことを、言っていきます。ただの儀式ではありません。この地の理を、そして、あなた様が犯してしまった過ちを、正すためのものです」
起きたのを確認すると、ミコトは説明を始めた。現地に着いた時にすること、あなたがすべきことを説明された。
軽く準備を済ますと、セレナは再びあの場所へ出発した。
行く道には、風情あるのんびりした景色が広がっていた。今はちょうど葉が色づく季節だ。本当に異界の扉が開いたのかと疑うほどだった。
雑談はなしだった。業務連絡以外、ミコトは沈黙を貫いていた。セレナは、一連の解決が済むまで余計な口を挟まないように釘を刺されていた。
道中、あの恐ろしい獣にも、貞子のような化け物にも、遭遇することはなかった。
数時間歩くと、湖のほとりにあるキャンプ場に着いた。そこで準備を整える。セレナはラバースーツのような水中装備に着替えた。ミコトはそのままの服装だ。再びあの湖の岸に辿り着く。昨日設置した旗はそのままだった。
あの神秘的な場所の入り口である滝へは、まっすぐに進んだ。昨日遭遇した、サメの顔をした大型の水棲生物とも遭遇しなかった。何事もなく滝へ泳ぎ着くと、セレナは昨日と同じく岩壁をそのままよじ登った。ミコトは、あらかじめ持ってきたロープで上がっていった。2人とも登り終えた。
裏渓流の湖があたり一面に広がる。昨日見た時とは雰囲気が違っていた。威圧するような空気があった。
昨夜の恐怖がまだ色濃く残る彼女の隣で、ミコトは静かに、しかし確かな意志を秘めた横顔で、ただ前を見据えている。彼女は村の神官であり、この地に古くから伝わる秘儀を知る者だった。足がすくむセレナに、ミコトは促した。そのまま対岸まで泳ぎ出した。
泳ぎ着くと、湖のそばには、苔むした石造りの祠が静かに佇んでいた。昨夜、セレナは中の人形に触れてしまったのだ。祠の前まで移動すると、ミコトはセレナに話しかけた。言葉には重みがあった。
「まず、御神体にお詫びしなければなりません」
そういうと、ミコトは祠に向かってお辞儀をした。彼女は静かに手を合わせ、厳かに祝詞を奏で始めた。その声は、古の言葉の響きを持ち、セレナの理解を超えた力を帯びているように感じられた。セレナは、ミコトの隣で、ただひたすらに頭を垂れた。
「…御神体様。この愚かな異邦の者が、無知ゆえに穢れを招いてしまいました。どうか、この地の平穏を取り戻すため、お許しくださいませ」
ミコトの言葉は、まるで祈りのようであり、誓いのようでもあった。セレナもまた、ミコトに倣って深く頭を下げた。祠の石室の中に収まっていた人形からは、昨日セレナに見せた禍々しい模様が消え、元の白い輝きを取り戻したように見えた。
祠の石室の人形への償いが済んだ。
その後、2人は封じ石へと向かった。巨大な饅頭のような形状の、直径2m・高さ1mの大きな石だ。昨日のセレナの行いにより、石はわきにどかされ、あった場所には窪みが残されていた。石に備えられていたしめ縄も紙垂も乱れていた。
石が視界に入ったとき、セレナの胸中は申し訳なさでいっぱいになった。
ミコトは説明を始めた。感情の抑揚がない厳しい口調だった。
「朝に行く前に言ったことと同じですが、もう一度言います。まずは私が礼などの儀式をします。それから石を戻します。最後に、私が祝詞を宣べ伝えて封印をかけ直します。私が合図するまでは、セレナさんは何もしないでください」
ミコトに言われるまま、セレナは従った。合図があってはじめて、セレナは動くことができた。封じ石を元あった場所に戻した。無事に地面に収まった。ミコトは、その周囲に巻かれていたしめ縄を正し、新しい紙垂を取り付けた。その後、彼女は静かに手を合わせ、厳かに祝詞を奏で始めた。
祝詞の終了と同時に、先ほどまで漂っていた不穏な気配が薄れていくのを感じた。
封じ石への償いが済んだ。
すべての儀式が終わった。
再び、どこからともなく、あの声が響いた。それは、心に直接語りかけてくるかのようだった。昨日聞いたよりも穏やかではあったが、厳かな響きを帯びていた。
「神官を連れて、すぐに来てくれたことに感謝する、異邦の者よ。お前に狙いを定めていた者も姿を消した。もう、お前が異界へ連れて行かれることはなくなった。ミコトよ、異邦の者を導き、厳かな心情で儀式を執り行ってくれたことに感謝する。お前たちには、何も禍いは降りかからないだろう。既に、異界の扉は閉じ、怪異は収まった」
セレナの表情に安堵が灯った。しかし、声は続いた。
「しかし、既に出てきてしまった生き物や魔物までは、元には戻せない。これは、お前たち自身の罪によるものだ。故に、お前たち自身で、処理せねばならない」
この声は、ミコトにも聞こえているようだ。そして、セレナに合図し、あの声の主へと、深く頭を下げた。それは、お祓いであり、贖罪であり、そして、これから起こるであろう事態への覚悟を示す行為だった。
こうして裏渓流での異変は解決した。異界への門は閉じられ、セレナも連れて行かれることはなくなった。2人は裏渓流を後にし、渓流湖を泳いだ。
ーーー
湖のほとりのキャンプに着くと、2人は着替えを始めた。
ミコトは着ていた衣装を脱いで裸になり、水を取るために軽く握って絞っていた。それでも残った水気は、持ってきた乾いた布に染み込ませていた。
セレナも水着を脱ぎ裸になった。濡れた体を乾いた布で拭いていたが、もはや、彼女の体に触れるものはなかった。
着替えを終えると、荷物を整える。終始、2人は黙ったままだった。
村に戻るためにキャンプを出ようとしたとき、再び木の枝の上から視線を感じた。見上げると、昨日と同じ小人が立っていた。2人の顔が自分のほうに向いたのを確認すると、低くしゃがれた声、しかし穏やかな調子で話し始めた。
「フォフォフォ。天晴れじゃ。英雄ふたりの帰還じゃ」
「爺さん、さっきからずっといたんじゃないですか?また私たちの着替えを除いていたんですか?」
ミコトが鋭くもあきれた様子で切り出す。
「ムッ…言い当てられてしまったか…。お主も成長したのう。今のはわしの趣味じゃ。お主らには何も悪いことはせん」
「はあ…。それより、ここに現れたということは、何かいいたげですね」
ミコトが再び話す。
「そうじゃ。2人とも、よくぞやってくれた。天晴れじゃ。これでこの渓流の怪異は収まった。異界の門は閉ざされ、新たに魔物が入ってくることは無くなった」
「とはいえ、この地には魔物が多数残ったままです。我々は、それらを排除すべく、これから動かなければなりません」
ミコトが凛とした目つきで言い放った。小人は声を張り上げた。
「ハァ…それはそうじゃが…ミコトよ、お主は気を詰めすぎじゃ。少しはゆっくりせい。それに、もう隣の彼女を許してやれ。もともと悪意はない。彼女も今回の騒動に巻き込まれた被害者じゃ。本人も反省しておるし、態度を和らげる頃合いじゃ」
「すみません…そろそろ切り出そうと思ってましたが、どう言えばいいか迷ったもので…」ミコトが慌てて取り繕う。
「そっか…既に許しておったか…なら、仲良くやるんじゃぞ」
「それと、若い鎧の騎士さんよ。昨日は聞きそびれたが、お前さんの名前は何って言うんじゃ?」
「セレナと申します」
「そうか、良い名じゃ。セレナよ、今日までよく頑張ったのう。疲れたじゃろう。もう力を抜いてもいいぞ。もう触られることも、攫われることも無くなったんじゃから」
「はい…昨日はいろいろとありがとうございました。あの時、本当に怖くて…どうしたらいいか分からなくて…」
セレナは顔を赤くし恥ずかしげにし、それでいて安心したかのように、顔が緩んだ。後半は涙が出始めていた。咄嗟にミコトが寄り添う。
「…それはそうと、昨日お前さんに渡したものは既に食べたか?」
「あっ…まだでした。今食べてもいいですか?」
小人が頷くと、セレナは口に入れた。香ばしい風味が口の中に広がった。この地方でいう紫蘇だ。少し噛んで飲み込むと、今までの疲れが癒やされるような感覚が体内に広がった。幸福感で顔がほころぶ。
「気に入ってくれてよかった。さて、そろそろ帰る頃合いじゃ。もうじき日が暮れる。異界の扉が閉じたとはいえ、異形の者はあちこちにいるからのう」
「はい、今までありがとうございました。さようなら」
セレナが別れの言葉を告げた。ふたりがキャンプを出て、姿が見えなくなるまで、小人は見守っていた。
ーーー
帰り道、昨日と同じ川沿いを再び歩く。夕暮れがあたりを紅に染めていた。見るものの心を和ます風情ある景色が広がっていた。本当に異形の化け物がひしめく場所なのかとおもわんばかりだ。
ふたり並んで歩く帰り道。今まで黙っていたが、ようやくミコトが切り出した。今までと打って変わって、穏やかで爽やかな調子だ。
「セレナさん、昨日と今日はお疲れ様でした。謝らせてください。今まで堅い調子ですみませんでした。でも、あなたが悪気がなかったのと同じく、私も義務として振る舞っただけだったんです。私のこと、嫌いになってしまいましたか?」
「とんでもありません。むしろ感謝しています。私の方こそ、自分勝手でみんなに迷惑をかけてしまいました。最後はミコトさんが全部丸く収めてくれました。私がやってしまったんだとと思うと…」
「誰でも過ちはあります。でももう大丈夫です。あなたの罪は祓われました」
「あなたのお陰で今の私があります。昨日の夜、寝てたら身体が動かせなくて、ずっとベタベタ触られていて…連れ去られるとなってから、本当に怖くて…」
今までの緊張と恐怖が解放されて、セレナの表情が一気に崩れる。今にも泣きそうだった。
ミコトはセレナに近寄り、抱くように両手を彼女の後ろに回し、体を寄せさせた。大柄な体躯の彼女が、膝から崩れ落ちた。それから、自分の胸元にセレナを抱き寄せた。
「今日はよく頑張りました。辛かったでしょう?もう大丈夫です。あなたを脅かすものはもういなくなりました。今は私がついています。今までは厳しくしていましたから、今度は優しく振る舞わせてください」
しばらくふたりでくっついていた。セレナのすすり泣く声が、あたりに響いていた。
「ちょっと待ってください。何かいます」
急にセレナが凛とした調子で言った。セレナの声が止んだ。
すると、道の先に何かが現れた。ふたりが視線をあてると、それは化け物だと分かった。人の姿、前屈みの姿勢、生気のない肌の色、そして腰まで届くほどの長い髪。これらは昨日セレナが出会ったものと同じだが、今日は違った。化け物の両手には、小鎌が握られていた。
「私が相手します。すぐに終わります」
ミコトはそう言い終えると、どこからか大型の猟筒or火縄銃を取り出した。両手で抱えるほどの大きさだ。銃口を相手に向けて構えた。
どうやら化け物もこちらに気づいたようだ。甲高いおぞましい叫びと共に向かってきた。
イヴエアアアアアァァァッ!
長い髪を備えた頭はそのままに、操り人形を高速で動かすような素振りは、並の人間が見たら卒倒しそうなほどだ。走る速度も、熟練の冒険者や騎士より速い。化け物は一気に距離を詰め、両手の鎌で相手を切り裂かんばかりに振り下ろそうとする。
しかし、その鎌が届くことはなかった。ミコトが引き金を引くと、銃口から弾丸が勢いよく飛び出した。それも何発も。化け物に対してマシンガンの如き機銃掃射をかました。一瞬にして化け物は全身が穴だらけになり、そのまま地面に倒れた。
一連の流れを、セレナは呆気にとられた目で見ていた。ミコトは茶目っ気を含んでいたずらっぽくセレナに答えた。
「こう見えて、私、強いんですよ。ちなみにこの武器、火炎放射だってできるんです」
ミコトは自慢げに言うと、セレナを立ち上がらせた。そしてまた穏やかな調子で話しかけた。
「さて、セレナさん。村に向かいましょう。皆が待っています」
再び、ふたり並んで歩き始めた。通る途中、さっきと同じ姿の化け物の死骸があった。昨日、セレナが仕留めたやつだ。また、昨日この帰り道に彼女に付きまとっていた気配は、もはや存在しなかった。
ふたりは今までのことなど、会話しながら歩いていた。いつの間にか村の入り口に着いていた。日は落ち、既にあたりは暗くなっていた。ただ、昨日とは村の雰囲気が違ったような気がした。
ーーー
村の中心部にある集会所へ向かった。今日も一際明るかった。ミコトはセレナを伴って進んだ。昨日と同じ集会所の扉を開けた。ふたりの姿を見るとすぐに、歓声が湧き上がった。
「おお、英雄のお出ましだ!よくぞ無事で帰ってきた!」
ふたりは温かく迎え入れられた。昨日と同じ面子は、誰もが笑顔だった。ふたりのために準備していたのだろう、宴会のための食事が準備されていた。
それからは、ふたりはこの宴の中心人物になった。特にセレナはあれこれと聞かされた。故郷の村について、今までに挙げた成果、冒険者ギルドではどんなことをしているのか、などだ。いつもの場所とは打って変わってセレナは控え目に話していたが、それらを聞くたびに、村人は目を丸くしていた。
「いや、本当にすみません…私がやらかしたばかりに皆さんに迷惑をかけてしまって…」
セレナは控えめに照れ気味に話した。
「もう過ぎたことだよ。気にせんでええよ」
「そうじゃ、そうじゃ。セレナちゃんは何も悪くはおらん。ギルドの連中のせいじゃ。あいつら、俺たちの言い分など無視して勝手に進めておったからのう」
「そうだよな。最近来たばかりのクセに、まるで自分たちが代表のように振る舞ってたもんな。余所者ばかり集めてさ」
村の男衆よりも大きな体躯の割に、照れ笑いをして返す。ここで、ミコトが穏やかに切り出した。
「ところで皆さん、どうして私たちが異変を解決できたって分かったんですか?」
「ああ、それか。なんか昼頃に、村でもポンッ、って音がしたな。それを機に村の空気が変わったのじゃ。お前さんの親父殿、解決したぞって大騒ぎしておったわ」
そうだったんですか、とミコトも照れた。
その後は、飲んだり食べたりと、ゆったりした。浴室にも案内され、ふたり一緒に湯船に入った。それからもふたりで談笑した。至福の時間だった。
気がつくと朝になっていた。またしてもミコトに起こされた。今日はぐっすり眠れたようだ。
「おはようございます、セレナさん。今日はぐっすり眠れたようですね」
ミコトは穏やかな表情でたたずんでいた。
「最後のお願いになります。一緒に、ギルドの集会所まで来てもらえませんか?ここのギルドの連中に、ギャフンと言ってやるのです。他のみんなも準備ができています」
ーーー
そう言われて、セレナは従った。何もしなくてもいいと言われた。装備を整え、準備を済ませると、ミコトに連れられた。昨日と同じメンバーの村人と共に、冒険者ギルドの集会所へ向かった。その建物は周りより大きかった。
村の重鎮たちはギルドに迫ることにした。入るとすぐに場を占拠した。慌てるスタッフを押さえて、ここのトップを呼び出させた。トップがノコノコと出てきたが、皆の顔を見ると、顔色が変わり、急いで場に移動した。
ここで、皆の代表だと言わんばかりに、ミコトは声を張り上げて宣言した。今までより声色は低く、明らかに怒りを含んでいた。
「しばらく大目に見ていましたが、もう我慢の限界です。もうあなた方に好きにされるわけにはいきません。我々は、この地にあるものを、未来でこの地に生まれるものたちに継がなければなりません。私も、他の地に移ることなく、この地で生涯を終える覚悟です」
場が静かな中、ミコトは厳かな調子で続ける。
「あの場所で何が起きたか知らないのですか。ギルド調査員の活動によって聖域が荒らされたのです。その結果、村は存亡の危機に陥りました。異界の扉が開き、怪現象が発生し、他地域の生物と多数の魔物が出てきてしまいました。このままにしておけば、あと数日で村は怪異に包まれ、取り返しのつかない事態になっていました。これらの異変を、あなたたち余所者は解決できたのですか。あの場所に行き、存在と交渉できるのは、村の中でも限られた者だけです」
彼女はさらに続けた。村の者もギルド関係者も、皆、黙って聞いていた。
「この調査に携わった者は、何も事情を知らないばかりに、恐ろしい目に遭いました。あと一歩遅かったら命はなかったところでした。どうなるか考えなかったのですか。私たちはその者を弁護します」
最後らへんで、キッと相手を睨みつけた。村の者もそれに続いた。セレナは、自分が村人に守られているように思えて、安心感を得た。
「これら一連の異変の元凶は、あなたたちギルドの上層部にあります。この村と渓流について何も知らないのに、なぜわれわれを理解しようとしなかったのでしょうか。同じ村の中にいながら、なぜわれわれの言い分を無視してきたのですか。あなた方には、われわれに従って、しっかり後始末に付き合ってもらいます」
すべてを言い終えた。ギルドのトップは青ざめ、怯えた顔をしていた。懲りたのか、向こうも反省したようだ。
後日、ギルドから次の決定が出た。裏渓流は冒険者の立ち入り禁止区域である。入るには村とギルドの双方の許可が必要である。人智を超えた存在の領域であり、安易に足を踏み入れるべきではない場所である。
聖域が荒らされ、あの場所の主の怒りを招いたことにより、裏渓流だけでなく渓流にも不可逆な変化が起きた。自然が豊かで景色が綺麗なのは変わらないものの、他地方の生き物やあらゆる魔物も入り混じった、混沌とした場所に変貌してしまった。
村付近までは脅威は及ばなかったため、村人の生活には影響はなかった。ただ、渓流は危険地帯になってしまい、従来は村人が取りに行ってた山菜やキノコや木材などは、護衛がないと行けないようになってしまった。この護衛については、ギルドが協力することになった。
異変が解決した後、セレナはこの村を去ることになった。ミコトも、村人たちも、温かく送ってくれた。彼女は許されたのだ。
ただ、彼女の心にはわだかまりが残っていた。異変は無事に解決したとはいえ、渓流は以前とは違うところになってしまった。そこに住む村人たちの生活まで影響が及んだ。自分の行いが、人々や自然環境まで変えてしまった。
今まで、モンスターも人も恐れることなく、その怪力と槍捌きで数々の困難を乗り越えてきた。しかし、今回の事件によって、彼女は大きなものに気づくことになった。それは思慮であり、反省であり、贖罪だった。
ーーー後日談
村での異変解決から数ヶ月後、普段通りに依頼をこなすセレナの元に一つの知らせが届いた。
それは、村の近くで、良質な温泉が湧き出たという吉報だった。数ヶ月前の異界の扉の開閉、あるいは近くの火山の活動の影響によるものか、その泉質は非常に優れているという。この発見は、村に新たな活気をもたらした。
ギルドと村は協力して温泉の開墾を進めた。村と温泉、および二つを結ぶ道にいる、周辺の危険な魔物の討伐依頼を多数出すことにした。依頼を達成した者は、報酬に加えて、温泉に入ることができた。この温泉は冒険者たちの心を掴んだ。また、村にも特産品を求めて多くの旅人や冒険者がやってきた。
その結果、かつては危険地帯と化していた渓流周辺は、徐々に安全を取り戻してきたのだ。
この知らせを聞いたセレナは、仲間と共に、再び村を訪れることにした。あれ以降、責任感や後悔から後ろめたさを感じており、渓流と付近の村には訪れていなかった。今まで、渓流付近の依頼も受けていなかった。しかし、これらの話を聞いてから、あの渓流での出来事を振り返り、心を整理することにした。
村に着いた時、最初こそ、村人たちやミコトとの再会に気まずさを感じていた。しかし、実際に会った後は、彼女の気持ちを察したのか、「あなたは悪くない」「自分を責めなくていい」と温かく声をかけてくれた。心が軽くなる気がした。
「どうぞ、ゆっくりと楽しんでいってください」
そう言って、村人たちはセレナ御一行を温かく迎え入れた。セレナは、仲間たちと共に、湯けむり立ち込める温泉に身を沈め、心ゆくまでその恩恵を堪能した。
かつて、己の過ちによって引き起こされた災厄。しかし、それによってもたらされた新たな恵み。セレナは、自然への畏敬の念と、過ちから再生することの尊さを、改めて噛みしめていた。




