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五、切られた火蓋とかわゆい着物

 論永縫ろんえい ぬいの護衛を朱唇しゅしんの叔父と、朱唇、ぼん、指南役、そしてりょうが任されてから、ふたつきが経った。


 その間にも、王の圧政への不満は、国内で膨れ上がっていた。

 王の悪口を壁に書いた罪で複数人の米農家が死に、重すぎる米やあわやひえなどの食物納税のために発生した飢えで首都以外の国民は3割人口が減り、里を通って国外へ逃亡しようとする国民は王のお気に入りの家臣や、両語族から取り立てられた家臣によって、見せしめに殺され、生首となった。


 そして。

 親王と呼ばれる王の実の父が、謀反の疑いが出た。

 それは事実ではあったが、少なくとも国民は王よりも親王を愛していたし、親王もまた王よりも国民を愛していたが、親王と息子である王の間の亀裂は、戦場で親王が息子である王を幼少期に見捨てた時から、いぜん、深いままだった。


 その亀裂が爆発した。


 親王、処刑。



 また、王の年の離れた兄君、水色ミズイロという初老の男もまた、謀反企ての罪により、島流しが決定した。


 宮廷内で王に逆らう者は居ないが、いまや、家臣の8割は王の事を狂人だと信じていたし、うち6割は、いずれ期さえ満ちればあの王を討ち倒そうと思っていた。国民で王のことが好きな人は誰一人として居なかった。諸外国も、また、王の首を狙っていた。諸外国はこの国の豊かな食料物資と水産資源、水資源やびいどろ、陶器とうきなどの商業製品を自分たちに販売させることを狙っていた。



 孤立してゆく王を護るのは、「古くから王の一族に仕えている者は信用ができない」という理由で新規登用された両語族と、昔からの王お気に入りの忠実な家臣だけだった。


 そして。

 どう出るか、どう出るかと皆が思う中。誰が王と最初に戦おうとするのかと、皆が思う中。


 火蓋は、切られた。

 いや、気がついたら、切られていたと言ったら良いのか。

 それはあまりにも、愚かな結末だった。



「ぴりぴりしてるなぁ」

 朱唇が首都から近い、王の指の里関係の人間が経営する宿屋で言うと、「そりゃあ、そうだ。いつまで経っても硬直状態で、誰もあれを討ち取ろうとしないんだからな……」と叔父が呑気にお茶をすすっているのを見て、そして、護衛対象の、あの天使とみまがうような美青年が真顔でこちらの会話を伺っているのを見て、朱唇はふと思いついた。



「なあ、オッチャン。宮中には行かねえの? あの人の兄貴は島流し、あの人の父親は処刑ってなったら、もう戦争だろ」

「入りたくてもな、武器を持っておのこが宮中には入れないんだ」


「なぁ、オッチャン。俺って美人か?」

「あ? うるせえ。俺は真面目に色々考えてるのに……」

「じゃあ、お前でいいや。色男。お前は俺のこと、かわゆいとか言ってたが、客観的に見て可愛いとか美人だとか思うか?」

「思うよ」

 軽い調子で美青年、縫が言う。

「いやぁ、美人美人。妻にめとりたいくらいだ」

 続けて適当に縫が天使みたいな顔に笑みを浮かべて、アハハと笑いながら言うのを聞いて、朱唇は「そうかい」とだけ言った。

「その言葉、ぜんぶ、忘れるなよ。失敗したらぜぇんぶ、お前のせいだかんな。色男」

「……あ?」



「耳かせ。色男」

「俺の名前は縫だ。縫と呼べ」

「ヌイ」

「縫さん、だ」

「縫。お前、宮中に居たから、詳しいだろ。王ってどんなやつなんだ?」

「あ? 俺の口から言わせるなよ。俺を侮辱罪と背信罪と謀反の罪で処刑させるつもりかよ」

「女が好きなのか? 女好きで美女をはべらしてるって噂だが、たしかにお前の母ちゃん……いや、父ちゃんの姉ちゃんも美人だよな」

「……おば様のことか?」

「女好きなんだよな。どういう髪型のどういう服装の女がお気に入りなんだ?」

「若くて可愛けりゃなんでも良いんだと思うが。……いや、待てよ。熟女をはべらして、少女もはべらして、娘も生娘もはべらしてやがるから……何でも良いんだと思う。いや、本人にしかわかんねぇこだわりとかがあるかもしれないが……ううん」

「俺が誘惑できると思うか?」

「一人称が俺の女には無理だろうなぁ」

「……私に誘惑できると思いますか?」


「あー。そのぼろっちい着物、つぎはぎだらけだろ。それをもっと可愛い着物に変えて、かんざしの一本や二本、させば……」

「金を貸してくれ」

「あー? 一体なんで」

「出世払いで返すからよ。頼む。貸してくれなきゃ、いっこうに話が進まない」



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 縫からなかば恐喝も同然の方法で奪い取った金で、朱唇はとびきり可愛い姿になった。真っ赤な着物に、べっこう色のかわゆいかんざし。店のものに頼んでしてはたいてもらったおしろいと引いてもらった紅。


 朱唇は、町の人間が自分を見ているのに気が付きながら、とてとてといつもより大分かわいこぶった歩き方で、しゃなりしゃなりと宮中まで向かった。


群咲むらさきのおば様の知り合いだ」「……どういう身分の女だ?」「おれ……いや、私は……」「今は怪しいものを中にいれる訳にはいかぬ! 帰れェ!!」

 追い出されたので、しかたなく、朱唇は、見張りの薄い場所を探すと塀を手持ちの道具で飛び越えることにした。


 そして慣れた様子で塀を越えると、王の居るという本殿へと向かった――。



 そして。あっという間に王を殺した。



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 王は錯乱状態にあった。父や兄に命を狙われていたという事実、初老であるがゆえに本当にそろそろ老人になり、老人になれば人はいずれ死ぬという恐怖。いつ寝首をかかれるか分からない恐怖は、人を愚かにする。


 背後に小刀を構えているとも知らずに。かんざしの中に凶悪な毒をしこんだ針を入れているとも知らずに、「そなたは誰だ……? はて、宮殿にこんな可愛い娘が居ただろうか」と近くの若い男に言う王だったが、朱唇がこくびを傾げて、うっすらと微笑んだ。そして、まるで恋する乙女のような表情で、王を見つめた。



 それが、獲物を独り占めできるという朱唇の悦楽から生まれた、いわば死神の微笑みであることなど、王は何も知らない。

 そして王を殺す代償が何であるか、朱唇もまた、知らなかった。



 そして。朱唇はすべるように王に抱きつくと、刃物で背をひとつきにした。そして、崩れ落ちた王の心の臓に、また刃物を突き刺した。「う、うわああああ!」と近くを見張っていた男が叫んだが、宮中には人があまり居なかった。それは、「親王と兄王の味方をしていたものをひとり残らず捕らえろ。5人以上捕まえられなければ、お前の首が落ちるものと思え」という臣下への王命のためだった。


 悪逆の王が、死んだ。



 そして。

 そして。

 それだけではなく。

 

 朱唇の叔父もまた、王のお気に入りの家臣の手によって、ほふられた。


 血の海に落ちた朱唇の叔父を見て、そして、刀を手に取り、王の家臣を倒そうとした縫だったが、朱唇の兄の盆が、「いけません! お逃げ下さい!」と叫び、刀のきっさきを家臣に向けたまま、家臣へと突っ込んだ!


 家臣もそれに応戦する!

 かきん! かぁん! と激しい金属がぶつかる音がした。


 そして、国内では、王が死んだと知らぬ王の家臣が、以前から言動があやしかった国民の家や、適当に選んだ家族のおらぬ国民の家を訪ねては、ほふり、首を切り落とした。


 一方で。こんなことが人のすることか! 許されることではないわ! と、王の悪行に耐えかねて、国民をまもろうとしてそれと戦う家臣もまた、多く出始めていた。荒れ狂う修羅場にて。


 王の生首を持った朱唇が、町へとこっそり戻って来た。そして宿屋の寝室、あけはなしの扉をみて、「やい、不用心だぞ、オッチャン」と言った瞬間――!



 部屋にあったのは、叔父の死体であった。



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 叔父の、死体。亡骸なきがらむくろ。言い方はなんであれ、それにはもう生命が宿っておらず、ただの骨と肉を皮でつつんだ袋であった。


 朱唇は、人生ではじめて、自分の目から大量の水があふれるのを感じて、困惑した。泣いた。泣いた。ぼろぼろと泣いた。泣いても泣いても涙がおさまらず、どこか臓腑ぞうふの病にでもかかってしまったのか、心臓を虫に侵されて、それで俺ぁおかしくなったのか、と朱唇は本気で思った。


「ひっく、ひっく……ひぃっ……。……オッチャン、叔父ちゃん、……おっちゃん……おっちゃぁぁん、……あ、あ、……アぁぁぁぁあぁ!!」


 誰が死んでも悲しくはなかった。誰を殺しても辛くはなかった。仲間が王に無茶に使われたせいで、戦いで何人知り合いが死んでもいきどおりもなかった。人生とはそういうものよ、人の世は弱肉強食よ、弱いのが悪いのよ、俺は人の子じゃないからね。狼や鬼畜生の魂を持つんだろうな、なーんて達観をしていた。


 朱唇はその時はじめて気づいた。

 気づいてしまった。

 もしかして、俺の叔父ちゃんや俺が殺してきた外国の軍人やら、武力衝突してきた民草やらにも、家族ってもんが居たのかなぁって。

 家族をころされて、泣く人の気持ちが朱唇には初めて分かった。

 知ってしまった。

 知らぬように、見ぬように、強くあるように、修羅の運命を抱えるようにと生きてきたのに。知ってしまった。


 朱唇は三度えずくと、一度吐き、けれど、震える手でひしと小刀をひっつかみ、王の死体というか生首はこっそりと西方で言うクロゼットの中にしまいこんで、キッと虚空を睨みあげると、言った。


「必ず、必ず、敵は、討つ……!!」



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 可愛かった着物は、走りやすいようにと引きちぎられ、見るも無惨な姿になっていたしゲロまみれだった。


 そして外の大騒ぎの中で朱唇が走り回り、見つけたのは兄の盆と、縫が家臣と戦っている所だった。いや、実際には盆と家臣の一騎打ちだ。

 縫が刀を持っているが、あれはお飾りにすぎぬだろうよ……と朱唇は思ったその瞬間、兄の盆が切られた。


 兄は鬼子と呼ばれる自分ほどは強くはないが、まさかあんなひょろひょろした家臣に殺されるほど、あんなに兄は弱かっただろうか。否、違う。里での訓練の成績は良かった。きっとひょろひょろしたあの家臣は強いのだ。相当に強い。そして、兄は叔父を愛していた。俺よかずっと、おいちゃん、おいちゃんと呼んで懐いていた。もう30代手前の20代だというのに、叔父離れができてないと里の者は、愛おしむような口調で兄をよくわらっていた。まあ、そこが盆の可愛いところですよと叔父が「盆は精神的に甘ったれている。精神的に乳離ができておらん」となにかの折に激怒した祖父に言っていた。

 

 大好きな叔父。

 それを眼の前で殺されて、さぞ辛かったのだろうなと、だから心の弱さを突かれて負けたのだろうなと思った。朱唇は小刀を持って、兄を斬り捨てた上で縫ににじり寄るその家臣に、「俺が相手だぁぁァ!」と叫んで突っ込んでいった。それを見て、縫は自分が<護衛対象>であるということなど忘れ、慌てて、「俺が相手だ! 朱唇テメェは下がりな!」と叫ぶと抜刀ばっとうした。

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