二、されど娘には修羅の才能があった
娘は四歳になり、里のあちこちを歩き回るようになった。
娘は五歳になり、飛んだり跳ねたりしながら遊び回るようになった。
そして、六歳。王の指の適性試験にて。
もしここで落ちれば、一生のほとんどの時間を里の中で過ごす事になり、炊事や洗濯や、編み物やわらじ作り、山菜採りなどを生業にして生きることになるはずだった。あの母ですら、そうなる事をどこか願っていた。
他に集められた5人の子供達の中で、朱唇はいちばんはやく、人に懐かない小さな犬を捕まえた。そして、いちばんはやく山の上まで登り、滝の前の階段――大人も怖がるほど段差が急で、どこにも手すりなど無い苔むした階段を、たたたたたた、とすばやく飛ぶように駆け上がり、山の頂上で待ち受けていた若者を驚かせた。
「お前、ほんとうに、稚児か?」とも言わせた。
そして、最後の試練と呼ばれる、五十代の王の指の指南役との組み手という名の、子供が大人を一方的に殴って大人が動き方などから子供の戦闘技術の素質をはかるソレでは……。
自分を育ててくれた大人達の一人である、要するに知り合いの男だというのに、「倒すつもりで殴れ」と言われたら朱唇は迷わず走り寄ると、隠し持っていた石をぽっけから取り出して掴んで男に全力で投げつけ、石のつぶてを捕まえた男の背後に男の股の間から地面に背を擦り付けて回り込んだ朱唇は、闇色に近い紺色の服を引っ掴んで背中によじ登ると、なんと、指南役の目を潰そうとしたのである。
「ぐああっ! おのれ、朱唇!」
「おれの勝ちー! だな!?」
それには失敗したが、朱唇のせいで地面に鼻を強打した指南役――完全に子供相手だと舐めきっていた指南役――から、鼻血を出させる事に成功した。朱唇が慌てる指南役と、朱唇を指南役から引き剥がして止めた若者に最初に言った言葉はこうだった。
「これで、おれも、外の世界に行けるんだよなぁ! おれ、王都に行ってみてえ! 王様って宮殿に住んでるんだろう! ぴかぴかの御殿だろう! 軍隊があるのだろう! この世の神様なんだろう!? 羨ましいなぁ! おれもいつかそのくらい偉くなれるかなぁ!」と。
人を出血させておいて、にこにこ、にこにこと笑うのである、この娘。
ふつうの子供ならば、相手が怪我をしたり自分が怪我をしたら泣くというのに、この綺麗なかわゆい小さな女の子は、嬉しそうに、うれしそうに、ほくほく顔でキャッキャと笑った。
髪の毛や顔は母に似てさらりと美しいが、中身はまるで、子供の頃の里長様を見ているようだよ。いやむしろ、里長様のはやくに死んだ弟君に……と、里の者達は噂をした。
あやかしの類と契約して生まれた子供なのではという噂もあった。
このお稚児さんには、間違いなく王の指の血が流れていらぁ、と里の大人達はくちぐちに話したが、どこか誇らしげだった。
ひとり、唯一不安そうな顔を見せたのは、兄に当たる盆だけだった。
暗い影で顔がよく見えないが、母に当たる玉も、あまりうれしそうではなかったように見えたと、のちに話を曾祖母がしたという。
そして、例の占い師は異国でへまをやらかして、囚人になっているそうだ。
なんでも、占い師の予言が当たったとかで、不気味がられて捕まったという。そして、あの日。まだ赤子だった朱唇が「こうなるよ」と言った娘の予言もまた、見事にぴたりと的中するのだ。
――傾国の女になる。
――この国を内から一度滅ぼす。
――英雄と呼ばれ、犯罪者と呼ばれる男の妻となり。
――この娘には、人殺しの才能があるんだよぉ。
――この娘には、王を殺す牙がある。
――この娘は、けだものだ。王様が昔殺し毛皮にした狼一族の、恨みつらみが具現化して、この世に舞い降りてきた、畜生の子だよォ!――と。
ほんとうに朱唇がけだものの生まれ変わりの子なのか、狼の魂を持った子なのかという事は、当然誰にも分からぬが、あの強さは尋常ではない。女ではない。あれは、なにか、けだもののような何かだ。人のことわりを越えている。大男10人ぶんよりも強い。あれは、あれは、ばっ、バケモノだ! と、娘について語るものは、のちに言う。
そして実際に、里の掟をやぶった者を殺す仕事をする叔父の手伝いを平気な顔をしてやり、また、王の命令で秘密裏に処刑せよと言われていた王いわく”裏切り者”であるという若者数名を殺害する時も、朱唇は「なあ、オッチャン。これが終わったらお団子喰おうぜ。俺、みたらしが好きだよ。おいしいよなぁ、あれ。旨いもんを食うと俺は良い気持ちになるぜ。人っていうのは不思議だよなぁ、旨いものを食うと、心の臓がぽかぽかしてきやがるんだ」などと、処刑され悲鳴をあげる若者たちの真横でほざいた。
それは、朱唇が12歳の時の事だった――。
朱唇は見た目こそ麗しく美しい、筆舌に尽くせぬほど魔性の娘に育っていたが、中身はなんてことのないそこらをほっつき回っている餓鬼だよというのが里の連中の評判だった。
「ああ、ああ、惜しいねえ。あの子がこんな王の指の里じゃなくってさあ、どこぞの村娘やら、町娘だったらねぇ」
「ねぇ、朱唇。あんたほどの美人だったら、きっとお大臣様があんたのこと気に入って、お嫁さんにしてくれるわよ」
同い年よりも少し年上の娘たちは、口々に「良いねぇ、いいねぇ、あんたは美人でさあ」「器量よしのお顔で良いねぇ、いいねぇ」と言ったが、朱唇は気にもかけなかった。
「美しいかどうかは知らねえが、俺は大人になってもぜーったい、紅だのおしろいだの、あんなふざけたもんはつけねぇからな! そのつもりで居てくれよ」だの、「お大臣様のお嫁さんになったらどうなるんだい? へえ、金銀財宝のあるお屋敷で、なにもせずにのんびり暮らして、かんざしやら、綺麗なお着物とやらを着て暮らせる? ふうん。実につまらなさそうだなぁ。それなら俺ぁ、猟師と結婚してぇな。熊とか猪がたんと食べたい放題なんだろ。それに、ケモノとの命の奪い合い。金持ちの女になって、民草を見下して、御殿で暮らすよりも俺ぁ、戦場を駆け巡ったり、ケモノと命の取り合いをしたいね。楽しそうじゃねえか。詳しくは知らんが」などと、どうでも良さそうに言った。
あまりにも変人のような発想をする娘だと、年上の娘たちは思ったが、なんとなく、朱唇はほんとうは良い子なんだけどねぇ、と言って、年上の娘たちはなにか朱唇がやらかすたびに(たいてい、親のもとで干し肉泥棒をするたびに)朱唇をかばった。
けれど、娘たちは本人の眼の前でもときどき、「やっぱ、天におられる創造主とやらも、完璧な人はお作りにならないのねぇ」「うんうん、天は二物を与えずだっけ? 知らないけれど、やっぱり、恐ろしいほど綺麗に生まれたら、ほかのどこかが欠けちゃうのよね。ほら、宰相様だって……とんでもない変態らしいし……」「こら、そんなの聞かれたら不敬罪よ」「でもほんとうよう。奥方様が言ってらしたそうだもの。顔で選ぶんじゃなかったって」「あのアマ、選べる立場だった癖に、偉そうに」「それこそ不敬罪だよ」などと可愛らしい小鳥のような鳴き声めいた声を小さく、ぴよぴよと、くちぐちにあげるのだった。
そして、一方で。
朱唇とは違い、惨めな底辺の暮らしと貴族連中が呼ぶ暮らしなど、ついぞしたことのないというとある若者が、――されど、お貴族様の雅な暮らしなど、性分にまったく合わぬよという若者が、宮中に居た。
名前は、論永縫。貴族の論永一睡が長子であり、地方豪族の女を母に持つ、美男子である。
彼もまた、なにかつまらなそうに生きていた。
朱唇に出会う、その時までは。
そして、朱唇は、十六になった。