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6話 「これは許可を求めてるんじゃない」

 私が葵を躾ける覚悟を決めた次の日の朝。ドタドタと床を揺らす足音で目が覚めた。

 時計を見るとまだ外も暗い5時半であった。慌ただしそうに仕事に行く支度を整えている。

「おはよう」

「おはよ」

「早いんだね」

「今日は午前中に取引先と商談があるからね。見本品の準備をしに一回工房にも顔を出さないと」

「そうなんだ。取引先は遠いの?」

「結構遠い。車で1時間強くらい」

「運転してあげようか?」

「馬鹿言え。こうして喋る時間も勿体ない」

 葵はこれからシャワーを浴びるようで、右手にバスタオルを抱えていた。「頑張ってね」という私の言葉を聞く前に、踵を返して脱衣所に向かった。この愛想の悪さ、私が入院中の時とは本当に全くの別人だ。

 私はキッチンに行って冷蔵庫を開ける。昨晩のうちに夕飯の残りをまとめていて、ご飯もすでに炊飯器で炊きあがる予約機能を使っていた。冷蔵庫から昨日の残りを取り出して、弁当箱を棚から取り出す。炊飯器を確認すると、やはりそうか、こんなに早くなるとは思わなかったため、残り『35』分の表示がされていた。

 多分葵が出る時間には間に合わないな。

 そう思って仕方なく冷凍庫にラップで包んで保存されていた白飯を取り出し、電子レンジで温める。残り物だけだと味気ないので、待つ間卵焼きを焼くことにした。

 塩を少し振った程度のシンプルな卵焼き。私はラップの中で熱くなったご飯を何とか弁当箱の中に投入し、おかかのふりかけをかけて、残った半分のスペースに昨日の残り物と卵焼きを詰め込んだ。

 彼が脱衣所の扉を開ける音がする。足音は彼の書斎の方に向かって行った。スーツに着替えるのだろう。

 私は弁当箱を付属のカバーに包んで、水筒に温かいコーヒーを注いだ。

 弁当箱に詰め切れなかった分の卵焼きをつまんで、コーヒーを飲む。ふとカウンターの上に並べられた胡椒や塩などの香辛料が目に入り、そこにうま味調味料も置かれていたため、梓は卵焼きにそれを入れるタイプだったのかな、ととりとめのない妄想をしていた。

 忙しない足音は書斎を出て玄関の方に向かっていた。

 廊下に顔を出すと、彼がシューズクローク横の姿見を見ながらでネクタイを締めようとしている姿があった。

「朝ごはん、すぐに出せるけど」

「見れば分かるだろ。時間がない」

「そうだよね。でもちょっと待って」

 私は弁当箱と水筒を持って玄関に向かった。

 葵は服装が整ったようで、靴を履こうとしていた。

 彼が靴ベラを使って丁寧に革靴を履き終えるのを待っていると、ふと昨日打ち立てた計画のために前準備として必要なことを彼に伝えなければならないことを思い出した。

「そういえばさ、聞いてほしいんだけど」

「はい」

 無機質な空返事が返ってくる。目線も上げないし、声をかけないでくれといった様子だ。

「仕事、探してみるね」

 その言葉を聞いて葵はやっと顔を上げた。

「昨日のこと根に持ってたの? 相変わらずそういうことかわいいね。でも無理しなくていいから。続きもしない仕事なんか中途半端に始めたら、また変な方向にのめり込んで極端なことをしでかすかもしれない」

「そんなことないよ」

「いや、ありそー。お前なら」

 そう言って右の口角だけ上げた。彼はまだ言葉を続ける。

「しばらくはゆっくり休んでて。ご飯も無理に作らなくていいし、週に1度は家事代行を呼んであげるから」

「要らないよ。家事くらいいつでもできる」

「あそう。でも働くなんて考えなくていいから」

 私は彼に聞こえないほどかすかな溜息を吐いた。

 そろそろか。

 これからのためにも、ちゃんとここで言わないと。

「これは許可を求めてるんじゃない。宣言だから」

 そう私は言い放って、強く彼の胸に弁当箱を押し付けた。

 私の態度に戸惑いを隠せない葵。

「いや、俺あんまりお昼食べられないから」

 そう言って押し返そうとするため、私は彼の鞄のチャックを無理やり開けてその中に弁当箱と水筒をねじ込んだ。

「お仕事疲れるんでしょう? 栄養は取らないと!」

 私が玄関扉を開いて、彼の背中を叩き、そのまま外へ押し込む。

「頑張れ! いってらっしゃい!」

 私はできる最高の笑顔を彼に見せつけた。

 気圧された葵は当惑したまま声にならない返事をして、なぜかほんの少し頭を下げた。

 混乱している彼の表情はいつもの高圧的な雰囲気とはギャップがあり、初めて都会に出てきて迷子になった少年のような、あどけなさみたいなものがあった。

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