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4話 「やっぱ、今日俺いらないよね」

 私が退院することができたその日は平日の金曜日で、葵はどうやら有休を取って一日予定を開けているらしかった。

 彼の本性がどこまでのものかは分からないが、彼がこの梓という私を本気で大事に思っていることは伝わった。

「このままお昼どこかに行ってもいいけど」

「私は疲れたし、家でゆっくりしたいな」

「そっか、じゃあ出前を取ろう」

「いいの?」

「退院祝いだからな」

 そう言ってテイクアウトの宅配サービスが受けられるアプリを開いて私に携帯を渡した。

「なんでも頼んで」

「じゃあ、カレーにしようかな」

 そう言って私はアプリの検索欄に「カレー」と打ち込む。

「なんで『カレー』なの?」

「『「なん」でも頼んで』って言ったから」

 私がそう言ってクスクス笑うと、葵は「しょーもな」と言ってため息をついたが、わずかに微笑んでいたのを私は見逃さなかった。

「……付き合いたての頃を思い出すよ」

 ハンドルを握る彼の目はどこか遠いところを見ていた。

「お前は揚げ足取りのように、俺の言葉からおやじギャグを編み出すのが好きだった」

「へぇー。最近はもう言わなくなったの?」

「……忘れた。もう着くぞ」

 そう言って彼はハンドルを切り、大通りから細い路地に入っていった。

 それから2,3分ほどで広い駐車場に入った。その奥には5階建ての横に大きく伸びるマンションが見える。

 車を降りて正面に回り、ゲートを通る。全面ガラス張りの共有玄関を通ると、マンションはコの字に伸びており、中庭が陸上トラックの半分くらい広く、ガーデニングが施されたり、遊具やベンチが置かれたりして小さな公園のようになっていた。

 廊下やエレベーターもホテルのようにきれいに保たれており、なかなか立派な部屋に住んでいそうという妄想がはかどった。

 最上階に降りて外廊下を歩く。このマンションは少し高台のところに建っているようで、多少木々や電波塔が邪魔しているが、街を見下ろせる素晴らしい景観が広がっていた。

 コの字の突き当りの角部屋が私たちの住まいのようだった。

 葵が玄関のドアを開ける。

 玄関は靴が5足ほどしか並べられないほど狭く、廊下もすれ違うのがやっとなくらい細かったが、リビングまで抜けるとそこは小規模のパーティを開けるくらいに広く、巨大なL字のソファーと壁一面くらいあるんじゃないかと思わせるくらい大きなテレビ、複数人で料理してもぶつかる心配がないくらい広々としたアイランドキッチンがあった。

 しかし、正直心地よい感じはしなかった。よく見るといろんなものが無造作に置かれているような感じがしたからだ。

 ダイニングテーブルの上はひとまず何も置かれていなかったが、部屋の隅を見るとゲーム機やらカバンやらがジャンルを問わず重ねられていた。

 元々梓が片付けができないタイプなのか、それとも梓がいないたった一週間の間でこうなってしまったのか、わざわざ訊かなかったが、ソファーの上におそらく洗濯したのであろう男物の衣服だけが山積みになっているのを見て、私はこの家の家事事情を大体把握することができた。

 キッチンを覗くとシンクの中も結構皿が置かれている。これは片付けのし甲斐がありそうだ。

 車の中で注文を済ませていたので、家について荷物を下ろすとすぐに出前が届いた知らせが来た。

 彼が玄関までいって食事を受け取りに行く。

 私はコップやお皿を並べて、昼食を食べられる支度をした。

 彼が戻ってきて、料理を並べる。

 結局本格的なインドカレーではなく、日本風なカレーライスを注文した。

 『何でも』とは言ったが、彼も私もそこまでお腹は空いておらず、軽食程度のたいして量が多くないものを頼んだ。

「いただきます」

 私がそう言って弁当の蓋を開けると、いつの間にか彼は食べ始めていて、リモコンを手にし、テレビをつけていた。

「で、結局今日はどうするの?」

 彼が怪訝そうに私に尋ねる。この夫婦は意外にもアクティブなようで、休日には外に出かけることが多いようだった。

「やっぱり、退院したばかりだから、家でゆっくりしたいな」

 私がそう言うと彼は少し首をかしげた。

「せっかく休みを取ったのに?」

 その言葉に少し胸が痛まないわけではなかったが、精神的な疲れもあって私はどうしても外出しようという気が起こらなかったのだ。

「あんまり外に出たくないかな。体は元気だけど、やっぱり病院にずっといたから、メンタル的に疲れてて」

「そっか」

「ごめんね。わざわざ有休を取ってくれたのに」

「……ま、いいよ」

 葵は食べるスピードが速く、テレビを見ながらもほとんどスプーンが止まる様子はなく、一気に平らげた。その間水さえ飲んでないような気がする。一方私は退院明けということもあるのだろうか、食が細い。飲み込む力が弱いのか、一度にたくさんの量を口に含むことができなかった。

 彼がカレーを完食した時、私の皿はまだ8割程度残っていた。

 葵は面白いと思っているのだろうか、ぼーっと情報バラエティ番組を眺めては、思い出したかのようにスマホを開く。それを何度か繰り返していたため、私はできる限り早食いをして、その気まずい時間を埋めようとした。

 ふと彼が立ち上がる。

 すぐ後ろにゴミ箱があるというのに弁当皿をキッチンに置いて、細かい切子細工がなされた青いグラスを1つ棚から取り出した。

 片付けをしていた時にも思ったが、食器棚にはああいったきれいな切子細工が刻まれたガラス食器が多くあった。梓、もしくは葵の趣味なのだろうか?

 インスタントコーヒーを作り、それを持ってまたダイニングテーブルに座った。

 私はまだあと半分くらいカレーが残っていた。

「外に出ないなら、仕事に行こうかな」

 ぼそっと彼が呟く。

「忙しいの?」

「当たり前だろ? ずっと看病してたんだから。仕事が溜まりに溜まってる」

「そっか」

 彼の語気がだんだんと強まってきた。貧乏ゆすりをして、見るからに苛立ち始めている。

「やっぱ、今日俺いらないよね」

 彼は時計を眺めながらそう言った。

「そんなことないよ」

「いや、そんなことあるね。元気そうだし、シャワー浴びてくるわ」

 一度しか口にしてない切子グラスを乱暴に置いて、勢いよく立ち上がり、自分の部屋へ向かった。

 仕事に熱心なことは称賛されるべきことだが、自分の思い通りに事が進まない鬱憤が一連の行動に詰まっているような感じがしてならなかった。

 早々とシャワーを浴び終わると、忙しそうに上司に電話をし、せかされるようにスーツに着替え、慌てるように玄関を飛び出した。

 葵を見送ったタイミングが私がようやくカレーを食べきった頃合いだった。

 

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