プロローグ 「ごめんね、椿」
どんどんダメになる。私の底はどこまでも深い。
いつもできたことが少しずつできなくなる。気を付けても、また別のことが。
最近、起きられなくて何度か夫の葵さんに起こされることがあった。今日もまた起きられなくて、とうとう彼に起こされることがないまま、私は時計の針が頂点を超えるころに目覚めてしまった。
一日何時間寝ているのだろう。いくら寝ても疲れが取れない。
朝起きて、とりあえず溜まった洗濯物を片付ける。最近はどんなに外が晴れていても、衣類乾燥機に頼りっぱなしだ。ドラム洗濯機で「いつも」のコースを選び、ボタンを押すだけ。ただこれだけの作業でも私にとっては苦痛でしかなかった。
次は台所に行く。シンクには昨日の夕飯のお皿と、葵さんが朝飲んだのであろうコーヒーが、切子グラスに半分ほど残っていた。
このカップは彼のお気に入りだ。少しでもシミを残したら、今度こそ一緒にご飯を食べてくれなくなってしまう。
食洗器はあるが、フライパンやそのコーヒーが入った切子グラスなどは手洗いで丁寧に汚れを落とした。お皿やコップは軽く水洗いをして、食洗器に入れる。
そこまで大きくない食洗器に何とか食器を詰め込んで、後は洗剤を入れるだけ。
袋を開け、スプーンで掬って慎重に一杯分になるように洗剤の粉を削り落とす。
その時、ふと冷蔵庫に貼ってあったカレンダーが目に入った。
今日は金曜日。そこには赤文字で、「出張日」と書かれていた。
ああ、そうだ。今日だったんだ。
そのことに気づくと、途端に洗剤の分量などどうでもよくなった。袋の開け口でスプーンを軽くたたいて、適当に粉を落とし、注ぎ口に入れて、「スタート」ボタンを押す。少し少ない気もするが、正直、もうどうでもよくなっていた。
今日、決行するのか、と思うと少し寂しい気持ちが生まれ、部屋の隅々を見渡した。
私が誤ってピザのソースを落としてしまったカーペットのシミ。時計を掛ける場所を何の考えもなしに見えづらい位置に掛けて、葵さんに馬鹿にされて場所を変えた、その時に残った小さな壁の穴。
そういったものを探し続けると、また考えが揺らぎそうで、少しして部屋を眺めるのをやめ、着替えることにした。
車の鍵を持って、外に出る。
コンビニで今日に配達を指定していた郵便物を受け取り、薬局へ向かう。
徒歩でも行ける大きな薬局は、近くに住む義母が毎日のように使っているから、行ってはいけない。車を走らせるルートも、できるだけ義母と義父が通らないであろう道を想像するしかなかった。
私はもうあの人たちの顔も見たくないのだ――。
――私が本当にダメになってきていることを自覚し始めたころ、私はその時すぐにでも相談できる相手が欲しくて、狭い交友関係の仲で唯一親友と呼べる梅香に電話をした。
梅香は「そんなモラハラ男やめてしまえば? 子供もいらないって言ってるんでしょ?」と言ってくれた。
葵さんはおそらく反出生主義に片足を突っ込んでいると思う。あまり踏み込んで聞いたことはないが、子供が嫌いとよく口にしていたし、二人でいた方が楽だよね、という話題を何度か聞いたことがある。
なのに彼の両親は全く別で、会う度に「どこまで進んでる」だとか、「葵は神経質だからあなたの方から動かないと」などと、孫の顔見たさに私にばかりその話をしてくる。おそらく葵さんがそういう考えであることにうすうす気づいていて、私の方から働きかけるようにしてほしいのだろう。
私は子供が欲しいと思っていたが、葵さんの気がそうならない限りはどうしようもないなと思っていた。
梅香は「翔馬と話してみる? そんなこと言う男の気持ちがわかるかもよ」ともアドバイスをくれた。柳 翔馬は彼女の旦那ではあるが、昔1か月だけ、私もお付き合いをしていたことがある。男の人で相談できる友だちはいないし、全然喋ってもいなかったので、いいなと思い、つい電話をしてみると、柳は久しぶりに会いたいと言ってくれた。
私はうかつだった。てっきり梅香と一緒に顔を合わせるものだと思っていたが、呼ばれたレストランには柳しかいなかったのだ。別に彼も既婚者だし、大丈夫かと思いながら、席に座る。彼も気楽に話せるように安価で気軽に入れるファミリーレストランにしてくれたのだろう。
しかし、それが崩壊の始まりだった。
ふと目線を外すと、偶然いたあの老夫婦が私を睨んでいたのだ。
それからというもの、私に対する彼らの小言や嫌がらせは加速していった。いくら説明しても理解してくれないし、葵さんにもその日のうちに連絡していた。梅香が間に入ってくれたおかげで葵さんはある程度理解してくれたようだが、あの二人は私に毎日のように電話をかけてきた。あんまりうるさいもんだから、一日無視すると、次の日に直接私たちの家に上がり込んできて、
「なんで無視するの? やましいことがあるからでしょ? 働いてもいないのに電話に出られないほど忙しいはずがないでしょう」
と説教してきた。
蛙の子は蛙とはよく言ったもので、あの人たちの言い回しは葵さんにそっくりだったし、その上粘着度も高いから、幾分かドライな夫が少しマシに見えるほどだった。
耐えきれなくなって葵さんに相談すると、彼はすぐに両親を叱りつけてくれて、それから一切電話がかかってこなくなった。そういったところは頼もしくて好感が持てるところなのだが、彼が親子で話した時に子供(孫)の話題になり大喧嘩になってしまったようで、こうなったのは元はといえば後先考えられないお前のせいと釘を刺された。
だから私はあの憎たらしい義母と義父には会いたくないのだ。しょっちゅう電話をかけてくる時期は私がたまたま買い出しのために外で電話をとった時も、
「またあの男のところに行っているんじゃないでしょうね」
と意味の分からないことを言ってきた。
もう外にすら出られないのか、と呆れて言葉も出ないくらいではあったが、最近はもう話していないため、もし仮にここですれ違ったとしても、どんな反応になるか予想はできなかった。
悪い偶然は起きず、私は隣町まで出て薬局に車を停めた。
私は睡眠作用があるものを探していたが、市販の薬では純粋な睡眠効果があるものはないそうで、薬剤師に相談すると副作用で眠くなるという漢方薬を渡された。
そこでガムテープと点火棒を買い、車の中で郵便物の中身も確認して、必要なものが揃っていることを確認した。
それから私はバイパスを走って、10キロほど離れた所にある実母が住む家に向かった。
そこには私の夢でもあった望遠鏡が眠っている。
せめて、今日くらいは星空を眺めたかったのだ。
私は小さいころ、亡くなった父に連れられてよく妹の椿と一緒に天体観測をしていた。最初はその魅力が分かりづらかったが、肉眼では見えない小さな光を見ると頑張って燃えている星の鼓動を感じられ、ファインダーで狙いをつけてもすぐに動いてしまう星の流れに地球が自転している実感を味わうことができた。
そうしてただ望遠鏡を通して星空を観察するだけで、時間を忘れ、自我と切り離される。目が疲れて、腰を下ろした時、改めて星空を仰ぐと、自分がどれだけちっぽけな存在であるかを自覚でき、そのどうしようもない無力感が子供のころの私にとっては非常に神秘的で他では味わえない天体観測ならではの魅力だったのだ。
父と使っていた望遠鏡はもう無くなってしまったため、私は働いていたころに何とか貯金をひねり出して新しい望遠鏡を買った。今はマンションに住んでいるため置き場所がなく、母の家の倉庫に置かせてもらっていた。
実はせっかく買ったのに、一度しか使っていない。社会に出て働いてみると、思った以上に夜の時間は限られていて、その使い方がいかに重要であるかを考えさせられた。天体観測が好きだといってもただ眺める程度で、天体に関する知識は学校の教科書にあるくらいのものしかない私にとっては、価値のある夜を犠牲にして天体を楽しむほどの余裕がなく、望遠鏡にしては大金をはたいて買ったのに、いつの間にか存在すら忘れかけてしまう認識になってしまっていた。
戸建てである母の家に着くと、庭の端にある駐車スペースに車がなく、どうやら出かけているようだった。
家には入らず、庭に置かれた収納庫の鍵を開ける。使わなくなったものや工具箱、ちょっとしたガーデニング用品が入っているその奥に、埃まみれのビニールで包まれた望遠鏡が置かれていた。
ビニールをはがし、鏡筒と三脚、スマホで撮るためのホルダーやケーブルなどの付属品をひとまとめに大きな手提げ鞄に詰め込んで、車のトランクに入れた。
母が帰ってこない隙に車を出し、山道に入る。まだ日が落ちていないので、途中で見つけた道の駅の駐車場に車を停めて、時間を潰した。
夜になる。
自動販売機で温かい緑茶を買った。
よく分からない漢方薬の箱を開け、個包装のものを次々に開けて、全部温かいお茶で胃に流し込んだ。
口いっぱいに苦い匂いが広がったが、緑茶の独特の苦みが勝りだんだんと和らげてくれた。
観測スポットまで移動して、いよいよ荷物を持って車から降りた。
三脚を立て、ひとまず望遠鏡のセッティングをする。
今夜は私を天に迎え入れてくれるかのように快晴で、雲一つなく、下弦の月がにっこり笑っていた。
ひとまず鏡筒は三脚に乗せるだけで、特に調節はせず、付属品を取り付け終わったら、私はコンビニで受け取った郵便物の中身である練炭コンロを取り出した。
練炭に火をつけると、しばらくは白い煙が出た。
ネットの情報によると、この白い煙が出る1時間くらいの間は待たないといけないそうだ。
赤く燃えているところと白く灰になったところ。
炭を眺めていると、嫌でもあの日のことを思い出す。
私は妹の椿の顔が頭に浮かんで仕方なかった。
4月だったので、まだ夜は少し冷えるとはいえ、わざわざ体を暖めるほどでもなかったため、早速望遠鏡を覗き込んだ。
まず月があって、東の低いところに金星が見える。天頂を意識して北の方角に北斗七星を見つけると、その先から東に曲線を描いて最初にある明るい星が牛飼い座のアークトゥルス、もう少し南に進むとおとめ座のスピカが見える。その二つの星を直線で結ぶと天頂の方向に少しわかりにくいが正三角形に近い形で結ぶことができる明るい星があり、これが獅子座のデネボラで、これらを結んで「春の大三角」と呼ばれている。
その先の方向にある獅子座の特徴的なクエスチョンマークのような星の並びも面白いが、まずこの大三角を眺めるのが私は好きだ。
この3つの星はもちろん肉眼ではわからないが、望遠鏡を通してみるとそれぞれ違う色で光っていることが分かる。アークトゥルスはオレンジっぽい温かみのある色。スピカは青白くさわやかな色。デネボラは獅子座を代表しているというのに弱弱しい白色で、私はこの三者三葉の輝きに惹かれてしまう。
もちろんこういった星座などはこの地球から観測できる星界を勝手に人間が解釈したものにすぎないのだが、一等星であるアークトゥルスやスピカと違って二等星である小さなデネボラが「春の大三角」という大役を任されていることに、意味もなくなぜか同情に似た気持ちになってしまうのだった。
そんなこんなで星を眺めていると、小さな星々が見え始め、夜が深まっているのを感じた。
望遠鏡から目を離して、携帯で時間を見る。
いつの間にか2時間以上、時間が経っていた。
そのことを知ると目の回りの筋肉や首筋がどっと疲れた感じがして、多少名残惜しい気はしたが、望遠鏡を片付けることにした。
そういえば大人になって望遠鏡を買って気づいたことが、最近の望遠鏡はスマホで撮影ができる機能があるらしい。父が使っていたのは古い機材だったのでそんなものはついていなかったし、自防追跡の機能まであるということも買うまでは知らなかった。
せっかくスマホで撮れるものを買ったのだからと何枚か写真を撮ってから、望遠鏡を片付けた。
写真に残しても、意味はないか、と思いながら車に戻る。
練炭を車に入れる前に、空気が車内から逃げないように窓ガラスのふちをガムテープで覆い、そして安いウイスキーを開けそのまま瓶に口をつけて飲んだ。
少しずつ飲んだが、だんだんと心臓の鼓動が強く鳴っているのが聞こえてきたため、何度か時間を空けながらゆっくり胃に流し込んでいった。
ハーフボトルのウイスキーを半分まで飲んだころ、やっと強烈な眠気が襲ってきて、心臓の鼓動も遠くに行き、体中のあらゆる筋肉が脱力していくのを感じた。
練炭を助手席の足元に置く。
私は後部座席で横になってアイマスクをした。
少しウイスキーを飲もうと口を開けると、練炭の煙が流れ込んでくる。
再び激しい心臓の鼓動が襲ってきたが、全身の筋肉に力が入らず、もう体を起こす力、指先を動かす力すらなくなっていた。
何も考えることはなく、ただただ眠りたい。
「ごめんね、椿」
私はこの美しい春の星空に見守られて、心臓の鼓動が聞こえなくなるまで、自分の底に到達するまで、深く、悲しく、そして泥のように眠った。