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「どうしたの、ウナちゃん?」
ア―サ―が前世様と衝撃的な対面をした翌早朝。
ウナは普段、部活の朝練でかなり早くに家を出るのだが、今朝は練習がないのでア―サ―と一緒。そしてイルヴィアとも一緒。ア―サ―はいつもイルヴィアと一緒に登校しているので、ウナが朝練のない日は三人で、となるのがいつものパタ―ンだ。が、しかし。
「気にしないで。これは、おね―ちゃんのためなの」
ア―サ―とイルヴィアの間にウナがいるのはいつものこと。ウナがイルヴィアに、実の姉のようになついているのも昔からのこと。
だが今朝のウナはイルヴィアの腕をしっかりと抱き締めて、普段よりア―サ―と距離をとるよう、力を込めて押している。イルヴィアには何も解らず、ただ首を傾げるだけ。
ウナはウナで何も語らず、「イルヴィアおね―ちゃんは、あたしが守るっ」な顔をしている。
「ねえ、ウナちゃん。そういえば昨日の夜、何だか騒がしかったみたいだけど……」
「!」
ウナとア―サ―が同時に、ぎくっとした。
「おね―ちゃん」
「何?」
ウナは何だか、悲しげな顔でイルヴィアを見上げている。
「少しだけ、待っててあげて。きっとおに―ちゃんは、帰ってきてくれるから」
「????」
ウナの説明でイルヴィアはますます混乱してしまう。そのウナはというとイルヴィアの腕に抱きついたまま、ちらりとア―サ―の方に振り向いたりする。哀れむような目で。
哀れまれてしまったア―サ―は、
「……はははは……」
寂しく笑う。
「寂しく笑ってるわね、ア―サ―君」
にょこ、と朝っぱらからア―サ―の頭に、美しい女神様がお生えになられた。
だが、ウナやイルヴィアには見えないし聞こえもしない。
「誰のせいだと思ってるんですか?」
二人に聞こえないよう、特にウナに怪しまれないよう気をつけながら、ア―サ―は小声でボソボソと言った。
もし気付かれたら、ウナならずともかなりヤバい人だと思われてしまう所業である。
「何よそれ。私のせいだっていうの?」
「……だって……」
「落ち込まない落ち込まない。正義の味方は孤独なもの、これも試練よ」
「怪しい新興宗教にハマってるって思われるのもですか」
「そ」
簡単に仰って下さる白の女神様、ことエミアロ―ネ。
一体、僕はこれからどうなるんだろと頭を抱えながら、イルヴィアの疑問な視線とウナの哀れみの視線を浴びながら、ア―サ―はいつものように登校した。
ホワイトワ―ズ中学校は、同小学校と隣接している。剣術や格闘術、魔術理論や魔術実践などの部活動が盛んで、公式試合での成績も上々。よってそういった方面の専門学校に進学する生徒もおり、卒業生の中には高名な魔術師や有名な戦士もたくさんいる。
もちろん、普通に進学して平和な社会人になる者が一番多いのは言うまでもないが。
一年五組のア―サ―君十二歳も、そういった人生設計をしている一人である。
「……本当に誰にも見えてないんですね」
「そうよ」
四階建て校舎の三階、一年五組の教室。今は錬金術基礎の授業中で、男女合わせて四十人が制服姿で机に向かっている。
そんな中、窓際の一番後ろの席にいるア―サ―の頭にエミアロ―ネが生えている。が、誰も気付かない。
ア―サ―は例によって、周りに気付かれないようボソボソと小声で喋っている。
「けど、改めて考えてみると何だか変な感じがするなぁ」
「何が?」
「僕だけにとはいえちゃんと見えるし触れもするのに、煙みたいに重さがないっていうのが」
「なくはないわよ。重さは意図的に調整して、減らしてるの。言ったでしょ? 貴方の感覚に対しては有効な存在だって」
ア―サ―が、え? と言う間もなく、
「何なら試してみようか? えいっ」
ごぃん!
机に、思いっきり頭突きをかましてしまった。かなりいい音がした。
教室がざわめき、少し太めの錬金術の先生が慌てて駆け寄ってくる。
「お、おい! どうした?」
机に額を押し付けたまま、頭突きをかましたポ―ズのままで、ア―サ―は答える。
だって頭が重くて、持ち上がらない。
「だ、だ、大丈夫です……ちょっと、いきなり、頭が重くなっただけですから……」
「そりゃいかんぞ。保健室へ行ってこい」
「いえ、その……これは……」
と、いきなり重さが消えた。勢い余って、ぶぉんと頭を振り上げてしまったア―サ―に驚いて、先生は数歩後退する。
「な、なんだなんだ、元気なのか?」
「あ、はい。元気です。ですからその、お構いなく」
「? ならいいが……具合が悪くなったら、すぐに言えよ」
先生は少し不審げにしつつも、授業を再開した。ア―サ―は額の汗を手で拭って息をつく。
少し離れた席にいるイルヴィアが、心配そうな顔でア―サ―を見つめている。
そして、この事態の犯人たるエミアロ―ネは、ちょっと見下した目をしていたりする。
「ア―サ―君、体力ないわねえ」
などと言われたア―サ―は、例によってボソボソと反論する。
「そ、そういう問題じゃないでしょ? 普通、人間ひとりの体重を首だけで支えられたりしませんよ。凄く重かったんですからっ」
エミアロ―ネの額が、ぴくりとした。
「凄く重い、なんて言われると、ちょっと傷つくわね」
「あ、そんなつもりで言ったんじゃないんですけど……でも、もうやめて下さいね」
やはり、前世様との共同生活はいろいろ難しいようである。
あぁやっぱり不安だ、と、もう何度考えたか判らないことをア―サ―は考え込む。
『やっていけるのかな、こんな調子で』
席の左側、窓の外を見ながらア―サ―は、どこにいるかもわからない【黒の覇王】との戦いに思いを馳せた。
エミアロ―ネが言うには、黒の覇王が使う転生や覚醒、それらの探査などの術に距離は関係ないそうだ。だからア―サ―(=転生したエミアロ―ネ)の周囲に覇王の術が飛んで来ても、覇王自身がこの近くにいるとは限らない。むしろ本人が出て来ないというのは、遥か遠くにいる証拠なのかもしれない。
となると、またウナのような前世をもった人を、遠くから術で狙うのだろう。そして覚醒させ人格交換、さあ転生前の恨みを晴らせ、と。
「う~ん……」
ア―サ―があれこれ考えている間に、からんころんと鐘が鳴って授業は終わった。