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聴覚が麻痺して、生徒たちの悲鳴が聞こえなくなった。六感が麻痺して、前世・前々世の叫びが聞こえなくなった。
風の顎に捕われているア―サ―、そのア―サ―を咥えている大蛇は、空を大きく旋回してから垂直急降下――校舎ゴ―レムの見下ろす体育館中央の床に激突! 爆裂四散して消えた。
「…………」
体育館の床に走っている、放射状のひび。その中央に物言わぬア―サ―が横たわっている。
傷だらけの、白い戦装束を纏った少女ア―サ―が。
「まだ息はあるようだな。とはいえ、肉体にも魂にもかなりのダメ―ジを負ったはず。もう動けまい」
校舎ゴ―レムは空を見上げた。雲の渦、邪神の門へと吸い上げられていく暗い霧が、どんどん増している。
どうやら「恐怖」の上位感情とも言える「絶望」が供給されているようだ。今、生徒たちを絶対的な力で支配している「絶望」が。
悲鳴も呻きも泣き声もない、絶望の沈黙に沈んでいる七百人。その視線は、たった一人の少女に集まっている。だがその少女は、ぴくりとも動かない。
「お前のことだ、魂の完全消滅までは俺とて期待していない。だが殺してしまえば、次の転生まで長い年月を要するからな。これで勝負ありだ」
どん、と体育館の床を蹴って校舎ゴ―レムは跳んだ。その巨体からは想像もつかないほどの身軽さで、信じられないくらい上空まで跳び上がる。
その大きな黒い影が、動かないア―サ―の体の上に落ちる。
「潰れろおおぉぉ!」
まっすぐに落ちてくる、小学校+中学校の巨人、校舎ゴ―レム。大の字になって、全身で押し潰すつもりだ。
だがア―サ―の意識はない。魂の中の中、どこまでいってもア―サ―の意識はない。
あるのは、いるのは、ただ二人。
ためらうカユカと、説得するエミアロ―ネだ。
《ら、来世よ。それは確かに、できないことではないが……じゃが、しかし、》
《迷ってる場合じゃないでしょ、カユカちゃん! やらなきゃア―サ―君が、ここにいるみんなが、そしてこの世界そのものが死ぬのよ! きっと、この為に私と貴女が一緒にいるのよ、今ここに!》
《む……ソナタとヨが、同時に存在している理由……か。よし、やってみよう!》
二人はア―サ―の魂の中で、二手に別れた。エミアロ―ネは上に、カユカは下に。
下、つまり魂の深い領域に踏み込んだカユカは、真っ黒魔術を使ってア―サ―の輪廻を狂わせにかかる。
いかに真っ黒魔術の使い手といえども、通常ならそんなことはできない。が、今は強い力を外から取り入れることができる。それを使えば輪廻を狂わせ、そして肉体を魂の束縛から解き放つことが不可能ではなくなる。
輪廻を狂わせるほどの強い力。それは、今この空間に満ちている、邪神の力。暴風リンが得ているそれを、カユカも吸い取って拝借する。デコロスモンスタ―ならぬ生身の人間の魂にとって、これは尋常ではない傷をつける行為なのだが、
《耐えろよ、来々世の魂……いや、来々世と来世と、そしてヨの魂! 耐えてみせよ!》
一方、エミアロ―ネはどんどん上に向かう。「魂」を出て「肉体」に辿り着き、そして、
《よし。ちゃんと揺らいでるわね、ア―サ―君の肉体。後はこのまま私が……》
そんな二人の作業が完成した直後、ア―サ―の体にかかる影の大きさが最大になった。
落下してきた校舎ゴ―レムが、ア―サ―の体を押し潰し……
ばんっ!
手の平が二つ、足の裏が二つ。その四点が、校舎ゴ―レムを受け止めた。
仰向けに寝たまま、両手両足で受け止めたのだ。
「な、何だと?」
宙に浮いたうつ伏せの体勢で、腹の辺りを見る校舎ゴ―レム。……確かに、受け止められていた。白の女神に。
だが、こんなに早く意識が戻るはずはない。仮に意識が戻ったところで、こんな芸当ができるはずはない。
と、白の女神は両腕両脚をぐぐっと曲げて、
「てええぇぇ――――――――いっ!」
勢いをつけて、校舎ゴ―レムを真上に放り投げた!
「そ、そんなバカなああああぁぁっ⁉」
校舎ゴ―レムは、まるで打ち上げ花火のような勢いで上昇していく。
すかさずそれを追って白の女神も立ち上がり、ジャンプ! あっという間に遥か上空の校舎ゴ―レムに追いついた。
そして校舎ゴ―レムが驚く間もなく目にも止まらぬ速さで、延髄に強烈な豪快な回し蹴りを叩き込む!
「おぐぅぅおおおおぉぉぉぉっ!」
悪い冗談としか思えないその威力は、校舎ゴ―レムの巨体を校庭の中央まで吹っ飛ばしてしまう。
そして白の女神は真っ直ぐ、体育館に降り立った。
そこに注がれる七百人の視線は、もう絶望ではなかった。とはいえ安堵でもない。さすがにこれでは、安堵より呆然が先に来る。
なにしろこの人物は、みんなの英雄・女神二号ではないのだから。安堵などできない。
皆に背を向けているが一目瞭然だ。女神二号より背が高い。女神二号より体つきが女性らしい。女神二号より雰囲気が大人っぽい。
白い戦装束は同じだけど、背中を覆う長い金色の髪など、女神二号にはなかった。
「お待たせ、みんな。私が……」
その金色の髪を揺らして振り向いた顔。
その顔を、七百人は知っている。
女神二号ではなくて……
「女神一号、よ」




