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夏休みも終りが近づいてきた頃。二人の漫画制作もまた佳境に迫っていた。先に完成したのは当然桧原の方。ふーっと一息つき、椅子の背もたれに体重を預ける。
「――できた」
「おー? 完成したの!? 読ませて読ませて!」
金田はそう言い立ち上がり、桧原が座るパソコンの前まで行く。桧原も「はい」と席を明け渡し、金田が読んでいる様子を後から神妙な面持ちで見守るのであった。
「――おー、すげーじゃん! 完成度高いんじゃねー!? これなら賞取れるぜー!」
「何を根拠に言ってんだか……もう少しちゃんと感想言ってよ」
「そうだなー。まー俺も漫画描き始めてから自分も描く視点っていうかさー、桧原に教わったこと意識しながら読んでっけどよー、やっぱ漫画はもうめっちゃうめーと思うけどなー。まずネームなー。コマ割りにセリフに見せ方とか。すげースムーズだしすんなり入ってくるし売ってる漫画とそんな大差ねーんじゃねー? 絵もうめーしよー。そこはもう俺がなんか言う必要ねーだろ実際。構図とかポーズとかさー、アクションもかっけーし。すげーよやっぱ」
「……ストーリーは?」
「この前のよかおもしれーんじゃねー? 読み切りだから物足りねーっていうかよー、そういうのはちょっとあったけどなー。まーしいていうならキャラクターがなー。なんかもっとこうガツーンってくるインパクトあったほうがいいと思うけどよー。やっぱ読み切りじゃキャラのことあんま描けなくてムズいよなー」
「そう……遠慮なくでいいから点数つけるなら何点?」
「点数ー? 俺そういうのあんま好きじゃねーんだよなー。勉強できねーやつが何をえらそーにって感じだしよー」
「いいから。私が望んでんの。あんたの基準でいいからさ」
「そう? んじゃまー、たとえばさー、ドラゴンボールを俺の中の百点としたらだぜ? ドラゴンボールが百点だとすっと……四〇?」
「低っ」
「しゃーねーじゃん! ドラゴンボールが百点だぞー!? あれに比べたら売ってる漫画だって大半は五〇点くらいになるっつーの! そう考えりゃ十分たけーだろ!」
「なんでドラゴンボールと比べんのよ」
「そりゃまああれが色んな意味で百点だと思うからなー」
「……まあでも、ドラゴンボール相手に四〇点ならいいか……いやよくないし! 新人の読み切りとか! 新人賞のとかと比べたら!?」
「そっちなー。ああいうのはマジで作品によって差ーあっからなー。まーそれで考えっと、んー……じゃあ七〇!」
「じゃあって何!?」
「本音言うと六五!」
「わかった! いや全然良くないけど!」
「いやでもよー、実際そんなもんじゃね? 桧原なんか多分俺より色んな新人賞の漫画とか読んでんだろ? したらさー、正直百点のなんてなくね? 九〇点レベルだってんなねーしよー。八〇もあったら一番上の賞取るくれーじゃねーの? それ考えたら六五なんて十分賞もらえるレベルだろ」
「まあそうだけど……」
「だろー? そりゃどうせならいい賞もらいてーんだろうけどさー、とりあえずなんでもいいから賞もらわねーと始まんねーんだろーし、とりあえずもらってそっからまたもっと良くしてけばいいんじゃねーの?」
「そうね……いやでも、やっぱ悔しいっていうか、そもそもあんたにそこまで真面目にシビアにつけられると思ってなかったから」
「なんでだよー。マジでやれっつったのお前じゃん。俺は言われた通りやっただけだっつうーの。俺だってさー、自分で描き始めて多少見る目はついてきたんだぜー? 多分だけどよー。これまでみたいにただ読者として読んでるわけにもいかねーからさー。でもそういう意味じゃすげー勉強になったぜ? 同じような立場の漫画だからさー」
「あんたの勉強のために描いてるわけじゃないけどね……でもしょうがないか。こういう形でとりあえず完成したんだし。いちから直してる時間もないし、自分の中ではやることやったし。それよりあんたよ。あんたはペン入れでほぼ終わりかもしれないけどそのあとにこっちは仕上げやらなきゃいけないんだからね? それ考えたらほんと締め切りまで時間ないんだから」
「わかってるって。多分明日、明後日までにはできっからさ。暇ならペン入れしたやつ確認してくれよ。修正とかさ」
「暇じゃないけどね……というか終わったとこからもう始めてけばいいだけか」
桧原はそう言って金田の漫画を手に取って読み始める。
「へぇ……まあ、いかにも漫画描くの初めてって感じの出来かな。やっぱりミリペンだろうと全然線入れるのは慣れてないし。しょうがないけど。でもちゃんと見栄え良く完成させるのが一番だもんね。そこからじゃないと始まらないし」
「そうだなー。桧原に手本描いてもらったとことかさー、ちゃんと描けてる?」
「多分このへんだろうけど、まあ慣れてないのはわかるけどパッと見は何やってるかわかるからとりあえずはいいんじゃない? でもあんたこれ終わったら徹底的に絵の練習しないとね。線描く練習も。まだ全然線描けてないし」
「線なんて誰でも簡単に描けっと思ってたけどやってみるとすげー難しいんだよなー。下絵のほうが全然うまかったじゃんって感じでさー」
「あるあるね。下絵はいくらでも線誤魔化せるし脳が補完してくれるから。じゃ、これ最初の方から仕上げしてくから」
「わりーな。ほんとあんがとなー。桧原いなかったら完成してねーぜ」
「そもそも漫画描くこともなかったかもだけね」
桧原はそう言って笑うのであった。
*
数日後。夏休みも終わるというその前日。その日は漫画賞の締め切りでもあった。
「――ふぅ……なんとか完成」
「おー! 終わったのかー!?」
と桧原の言いつけ通り勉強をして待っていた金田ががたっと立ち上がる。
「一応ね。ほんとはもう少しやりたかったけど最低限は。間に合わせないとだったし。じゃ、早速ご確認どうぞ作者さん」
「わりーなほんと! あんがとな!」
金田はそう言い、PCの前に座り桧原が仕上げをした自身のマンガ原稿を読み進めていく。
「おおー! すげー! トーンと背景あるだけでこんな変わんのかー! すげーちゃんとした漫画になってるわー!」
「そりゃね。そうするためにがんばったんだから」
「すげーすげー! こりゃ感謝してもしきれねーわー! お礼になんでも奢ってやるぜー!」
「そんなお金あったらデジタル環境のために貯めといてよ」
「あー、じゃああれだなー。なんだっけ。出世払い?」
「便利な言葉よね。ほとんどツケと変わんないし」
「別になんか食ったわけじゃないからギリギリセーフだなー。いや、飲みもんとかクーラーとか機材に時間とか散々借りてっか……とにかく出世払いだな! けどまー、あれだな。デジタルの背景がうますぎてなんか俺の絵のほうが浮いてんな」
「しょうがないでしょ。それでもなるべくあんたの絵に合わせて下手にしたんだから」
「これでかー。でも俺も背景もちゃんと描けるようにならねーとなー。めんどくせーけど。まーそのうちデジタルでやんのかもしんないけどよー、したら俺の絵の方うまくするしかねーんだな。どっちみち絵の練習かー」
「トーンだって練習でしょ」
「そうだなー。トーンの練習ってどうやんの?」
「基本は真似でしょ。読んでる漫画好きな漫画のトーンの種類とか使い方真似して。もちろん完全に同じの見つけるなんて大変だけど似てるの探してきてね。大部分は雰囲気だから。でもまあ、髪とか服とか影とかそういう最低限をとりあえずできるようになれば大丈夫じゃない? あくまでアクセントとしてさ」
「なるほどねー。いやーでもこれは、すげーなー……俺が初めて描いた漫画とは思えねーわ。半分以上は桧原が描いてんだけどよ」
「どうだろ。私がやったのはネームと仕上げでしょ? まあ下絵もしょっちゅう見本描いてたけど。あんたは下絵にペン入れにそもそものプロットで……まあ確かに半分くらい私かもね」
「だよなー。でこれどーやって送んの? ネットなんだろ?」
「そ。データ。まあ大丈夫だとは思うけどなんかあってもいいように早めにやっとこっか」
と桧原は応募フォームを開く。
「私自分のはすでに送ってあるからね。今回のと前描いたの二つ。こっちで打っちゃったほうが確実だからここ住所とか教えて」
桧原はそう言い、金田の名前や住所を入力欄に打ち込んでいく。
「でペンネームだけど、そういやあんたペンネームとか決めてた?」
「いやー? 本名でいいんじゃね?」
「いや、ほんとにいいの? 今後もずっと使ってくことになるかもしれないんだけど。ていうか普通に身バレするかもだし」
「あー、それはちと嫌だなー。桧原はなんてペンネームなの?」
「……教えない」
「えー!? いいじゃねーかー! ていうかどうせそのうち知ることになんだろー!?」
「……ひのき香」
「ヒノキカオリ? なんかふつーだな。なんで?」
「……ひのきは、そのまんま桧原の桧がひのきだからで、漢字はちょっと硬かったからひらがなにして……香は、檜は香りがいいし、伊織と一文字違いだから……」
「へー。自分の名前使ってか。考えてんだなー」
「そうでもないでしょこれくらい。あんまり凝ったのとかもなんか恥ずかしいし、無難だけど最低限人名っぽくて読みやすくて親しみやすくてあんまり派手でもなくてって」
「めっちゃ考えてんじゃん」
「考えるでしょそりゃ! これで一生漫画家としてやってくかもしれないんだから!」
「そうだなー。じゃあ俺も考えねーとなー。つっても自分の愛着のある名前の方がいいしよー……お! 金田正太郎だな!」
「……ショタじゃん」
「は?」
「いや、『鉄人28号』の金田正太郎」
「そうなの? 俺は『AKIRA』のつもりだったんだけど」
「あーそっち。まあそっちの金田正太郎も鉄人28号の金田正太郎からなんだけど」
「へー、そうなんだ。でもなんでショタ?」
「ショタの語源っていうか元ネタが鉄人28号の金田正太郎だから。短パンはいた少年で。正太郎だからショタ」
「へー。なんでも知ってんなー桧原は」
「そんなことで褒められても嬉しくないし。なんか『インターネットの先生』みたいじゃん」
「いーじゃんインターネットの先生。物知りってことだろ?」
「悪意がないのが逆にきつい……でもほんとに金田正太郎でいいの? 別に投稿時なんて好きにすればいいけどさ。さすがに後々編集部に変えられろうだけどね。あまりにも有名な名前だから」
「そう? でも本名そのまんまだからいいんじゃね?」
「じゃあ金田正太郎で入力するからね」
「おお。あー待った待った! そこさ、色々書けんだろ?」
「色々って?」
「俺だけじゃなくて桧原のペンネームも入れてよ。原作俺で作画は俺と桧原で」
「は? いやでも」
「だって実際そうじゃねーか。全然俺一人で描いたわけじゃねーしよ。めっちゃ桧原に助けてもらったし。それなのにさも自分一人で描きましたーなんて自分の名前だけで送れねーだろー」
「……まあ実際聞かれたらそう答えるしかないだろうけど、でもほんとにいいの?」
「いいっつうかそれしかありえねーしな。むしろ桧原がこっちにも名前入れちゃっていいかって話だけど」
「私は、まあ、別に減るもんじゃないし……あんたの下手な絵が私のだって思われたらさすがに嫌だけど」
「ねーだろーそれは。お前はお前であんなうまい絵で描いて送ってんだしよ」
「それもそうだけど……じゃあ、連名で出すからね」
「おー。よろしく頼むわー。これで賞取った時は賞金山分けだなー。そうじゃなくても出世払いだけどよー」
「そうね。どの道絶対お金はもらうし」
「だよなー! いやーでも、いよいよだな! マジでここまで来るとはなー。送っちまったらもうマジで編集の人が読むんだろ? すげーなー。一人だろうと確かに誰かが読んでさー。まさかこんなんなるとはなー。一ヶ月前には考えもしなかったぜー!」
「そうね……あんたはさ、不安とかは全然ないの?」
「不安って?」
「実際こうやって出して、でもなんの賞にも引っかかんなくて。全然受け入れられなくて、認めてもらえなくてって。そういう不安とか恐怖みたいなのは」
「あー、ねーなー別に。元々賞に出すために描き始めたもんじゃねーしよー、初めてだからそもそもなんかもらえるなんても思ってねーしなー。それよかこうやってちゃんと完成させられて出せたってことのほうがでけーわ。まーこれで満足してらんねーけどよー、色々考えんのはこれからじゃねー? これからも描き続けていくならさー、そん中で色々あるだろうし何回も落ちたりしたらそりゃヘコむだろうしよー。でもそれはまだ先のことだからなー。今はできた喜び噛み締めんので精一杯だぜー」
「そっか……ほんとあんたは、めちゃくちゃ得な性格だよね」
「まーなー! 漫画描くのもバカの方がいいのかもなやっぱ! 案外向いてんのかもなー俺も」
金田はそう言ってケラケラと笑う。
「ある意味あんたに向いてないこととかなさそうだけどね……じゃ、送るよ。送信くらいはあんたが自分で押したほうがいいでしょ」
桧原はそう言いマウスを差し出す。
「いやいや、俺と桧原の連名なんだしここは二人で押そーぜ! 桧原がいなけりゃ存在しなかった漫画なんだからさー」
「私がいなかったら存在しなかった漫画か……確かにそうかもね。それじゃ、私に最大限の感謝して、押すよ」
「おー!」
金田はそう言い、マウスを握る桧原の手の上に自分の手を重ねる。そうして二人で、クリックした。
「――送信完了!」
「おっしゃー! これでもう後戻りできねーぞー! つってもあとはあっちが勝手に読んで選ぶだけだから俺はもう関係ねーんだけどよー」
「はは、ほんといい性格。普通は結果出るまで悶々悩むもんだからね? いくら自分じゃもうコントロールできないっていってもさ。頼むーとかあそこもっとうまくできたなーとか」
「俺は初めてだからなー。自分なりにできることはやったしよー。それよかそれ以前にまだまだ下手くそなんだから考えてねーで練習あるのみだからなー! これからも頼むぜししょー!」
「はは、うん、まあね。私はこれからも自分の漫画描いてくから、あんたもひたすら練習して、漫画描いてだね。自分の描いてる間にちゃんと見て教えてあげるからさ」
「マジ助かるわー。いやーでも、ほんと充実した夏休みだったな! というかあっという間過ぎたわ! 毎日毎日やることあったし忙しかったしよー。なーんか時間フルで使った感じだよな! こういうのマジでいいわー」
「そうね。私も、こんな夏休みは、多分初めてだったし……」
「だろー? いや、でも桧原は不登校だったから毎日夏休みだったみてーなもんじゃん」
「それ言う? だとしてもこんな一日中本気で漫画描いてなかったからね。そこは、あんたのおかげでもあるから。あんたがいたからこんなやろうと思えたし、がんばれたし……だからその、ありがとう……ほんとに」
桧原は表情を隠すようにうつむいて言う。
「おー! どういたしましてなー! こっちこそ桧原のおかげで漫画描けたしよー、サイコーに楽しい夏休みだったぜ! これからもよろしくなー!」
金田はそう言い、手を差し出す。桧原はその手を見つめ、そうしてふっと微笑み手を握った。
「――うん。これからも、よろしくね」
「おー! ズッ友だなズッ友!」
「はは、うん。それで戦友。お互い漫画描いていく戦友……でもさ、ほんと不思議だよね。つい一ヶ月前までこんなのほんと考えられなかったし。あんたがうちに来た時だってさ。ほんと、あの時はこんなことさ……あの時うちに来たのが金田でよかったかな。ほんと、金田が来てくれてよかったと思う。金田が金田でさ、ちゃんと来てくれるようなやつで、漫画好きで、私のこと外に連れ出してくれて……でもそれ以前に、あんたが留年しそうになるほどバカでよかったほんと!」
桧原はそう言い、声を上げて笑うのであった。
「そうだなー! 俺が赤点とりまくって留年しかけなかったら桧原んち来ることもなかったもんなー! まじバカでよかったわー! 初めて自分がバカでよかったって思ってるぜ俺ー」
「私だって他人がバカでよかったなんて思ったの初めてだし」
「だよなー! んじゃーま、二学期からも一緒にがんばっていこうぜ! ていうかちゃんとガッコー来るよな?」
「さすがに行くって。そりゃ夏休み明けでだるいけど、でも夏休みも遊び呆けてたわけじゃないからメリハリあってそんな苦労なく学校行けそうだし。あんたこそ間違っても留年なんてしないでよね」
「あー、とりあえず結果待ちだなー。どうなってかなーマジで。つってもここ乗り越えてもまた赤点取ったらヤベーんだけどよー」
「そうならないように私がちゃんと師匠として勉強も教えてあげるから」
「マジー!? さすがだぜー! ほんとどんだけ礼言っても足りねーわー! マジで桧原がいてよかったー!」
金田はそう言い、思い切り万歳をして笑うのであった。