こんなにまぶしくて熱いのに、ものすごく冷酷
こんなにまぶしくて熱いのに、ものすごく冷酷
夏だから、夏の話をしよう。ありきたりなことだけど、季節を感じるというのはいいものだ。たとえそれが、死にそうなほど暑い夏なのだとしても。
だけど……
いつかの夏という、酷暑がまだ存在しなかった、古き良き夏の思い出話を書くつもりはない。
私がこれから書くのは、いつかの夏の懐かしいできごとではなくて、今年の夏のできごとだった。
7月だけで四万人以上の人が救急搬送され、79人が亡くなった。死の匂いが漂う夏に起きた生死にまつわるできごとを、これから私は書こうと思う。
8月の終わりに、あるいは秋に、この文章を読んでいる君は、死の匂いが漂い、本当に死ぬ可能性のある夏をくぐり抜けた生存者だ。そして私も、今年の夏を生きのびた生存者だ。
だけど、今年の夏を生きて秋をむかえることはかなわず、死んでいった者達がいることを、私と君は忘れてはいけない。そして、夏に死にゆく者たちのかたわらにいた者のことを、私と君は夏の終わりにほんの少し考えるべきなのだ。
だからこれから、今年の夏にあった生死の話をしようと思う。生きる者と死にゆく者と、そのかたわらにいることしかできない者が過ごす季節。こんなに暑いのに、あまりにも冷酷な世界で起きた、残酷な話をしようと思う。
あれは7月の終わりが近づいてきた頃だった。
まだ8月に入ってもいないのに猛暑など軽く超えた、酷暑と呼ばれる熱波が襲いかかってきた日のできごとだった。
太陽の光は私を焼き尽くそうとし、吸い込む空気は鼻の中まで熱く感じるほどに熱い。
これはもう尋常ではない。酷暑と呼ぶのはなまぬるく、気候変動危機と呼ぶべき緊急事態だ。
あまりの暑さに、私は自分が限界に達したのを感じ、こうなったらアイスを食うしか生き残る道はないと思うに至った。
酷暑と呼ばれる日に外を出歩くことは避けるべきだと、国家様が言うような戒厳令めいた事態にあって、アイスを買いに外に出るというのはどうなのか? そんなことを思いはしたが、ことはもはや緊急事態。アイスを食べなければどうにもやっていける気がしなかった。
だから私は、アイスを買いにスーパーに向かった。
なぜコンビニに行かない? だと?
私の家から一番近い店はスーパーなのだ。以上。
一番近いと言っても、私はスーパーの隣に住んでいるわけではなく、自転車で走っても五分以上はかかる場所に、一番近いスーパーはある。
照りつける太陽に、体内まで熱くする空気、そして、アスファルトからの照り返しで両面と内側からじっくりと熱を通されながら、私は一番近いスーパーに自転車で走っていった。
スーパーに到着すると、一番でかいアイスを迷わず選んだ。アイスはでっかい方がいい。地獄のように暑い夏であるならば、巨大なアイス=幸せの大きさといってい世界線なのだから。
一番でっかいアイスを手にレジへと直行し、さっさっと支払いを済ませて店を出る。あとは再び自転車に乗って帰って、自宅で利用料永年無料のUber Eatsを楽しもうと、私の自転車は走り出したのだけれども……
帰り道のド真ん中に、人がうずくまるようにしゃがみこんでいた。
照りつける太陽の光に焼かれながら、人が道路の真ん中にうずくまるようにしゃがんで、地面をじっとみつめていたのだ。
「ああ、これはまずい……」
熱中症で立っていることができず、道の真ん中でしゃがみこんでしまったのだろうと、私は瞬時に理解した。
これはもう救急車一択だ。私はそう思ったのだが……
近所のスーパーに一番でっかいアイスを買いに行くという、余裕で楽勝な勝利条件だったがために、その時、私はスマホを持っていなかった。
これは盛大にやらかした。私はそう思った。夏とあらばどこで誰が死に直面するかもしれぬ。であるならば、緊急連絡手段であるスマホは、肌身離さず持っているべきだ。そういう考えを持てなかった自分に、その時、心の底からあきれかえった。
しかし……。私の手には、今手に入れたばかりの一番デカいアイスがあるのだ。
熱中症でダウンしている人にいきなり、一番デカいアイスを持ってきたぞ! 今からこれをぜんぶ食え! というのは無理がある。しかし、一番でかいアイスであれば、食べなくても人を冷やすことはできるのだ。
どうだい? 一番デカいアイスを迷わず選ぶ理由、君もわかってくれたかな?
だから私は自転車を道端に止め、一番でかいアイスを手にして、道の真ん中でしゃがみこんでいる人の救出に向かった。
一歩、また一歩、もう少しだ、一番でっかい冷たいアイスを君に届ける。私がしゃがみこんだ人に近づいている途中、しゃがみこんでいた人が突然、すくっと立った。
立てるのか! それは良かったと思い、まずは日陰に行こうと声をかけようとした時……
私は気がついたのだ。さっきまでしゃがみこんでいた人が、手にしているものを……
それは、黒寄りの茶色の物だった。そして、かすかに動いていた。誤解して君が怖がると嫌だからはっきり言おう、それはセミだった。
夏にひたすら鳴きまくり、あっという間に死んでしまう、あのセミだった。
さっきまで道にしゃがみこんで、じっと地面をみつめていた人は、セミをその手に持って、街路樹に近づくと、そっと手にしたセミを街路樹の幹にそえた。
しかし……
セミはすでに瀕死だったのだろう。街路樹の幹にしがみつくこともできそうにないほどに、セミはすでに弱ってしまっていた。
正確なことはわからないが……。街路樹の幹にしがみつくこともできないほど、セミが弱ってしまったのは、暑さのせいだったとは思わなかった。
寿命だ。
ほんのわずかしか生きられないセミは、きっと、もう……
セミを手にした人は、セミが街路樹の幹にしがみつけないことを理解すると、そっとセミを街路樹の根本に置いて、だまって数秒、セミをみおろしていた。
この後どうなるかは、何もかもがわかっている。セミを助けようとした人も、セミを助けようとした人を一番デカいアイスで助けようとしていた私もだ。
数秒の間、黙祷するように街路樹の根本をみつめていた人は、顔をあげて街路樹に背を向けた。
その瞬間……
ついさっき手に入れた、一番でっかいアイスを手に突っ立っている私と、目があった。
セミを助けた君と、一番でっかいアイスを手にする私。
ふたりの目があったのは、ほんの一瞬のことだったし、そこに言葉はただの一言もありはしなかった。
だけど、ふたりの目があったほんの一瞬に、様々なことが通いあうのが、私にはわかった。
夏の光に漂う死の匂い、死にゆく者と生きる者、なにひとついいことがない絶望の中にあったとしても、あまりにも眩しい光を投げかけ、容赦なく私たちを焼いてくる太陽こと……
互いに名前も知らず、縁もゆかりもありはしない完全な他人である私と君の間に、ほんの一瞬だけ存在した、
「こんなにまぶしくて熱いのに、すごくすごく悲しいよね」
という感情。
私たちは挨拶すらしなかった。ただの一言も言葉をかわさなかったけれども、死にゆくセミに対する哀悼の気持ちを共に捧げたことを理解した。
そして、私たちは、さようならの一言もいわずに、それぞれの道を歩みだす。
もしかしたら、その時、いまふたりが目にした夏に漂う死の匂いについて、少し話そうと言えば、もっとこの文章を続けることができたのかもしれない。
もしかしたら、ささいな夏のできごとから、想像すらできないような大冒険が、はじまっていたのかもしれない。
でも、そんなことは起きなかった。
セミを助けた君と、一番でっかいアイスの私の間には、すでに伝え合うべきことはすべて伝え合い、わかりあった後だったのだから。そこにはもう、言葉を交わす必要がなかったのさ。
そしてなにより、私の手には、刻一刻と夏の暑さに溶かされていく、一番でっかいアイスがあった。
だから私は、セミを助けた君に背を向けて、まったく違う方向に自転車に乗って、走り去ることしかできなかったんだ。




