93.海で色々釣り上げる
街での買い物に味を占めたロバートとミュリエル。今のうちにアッテルマン帝国を楽しもうとギラギラしている。
「海で遊んでみたい」
ロバートが目をキラキラさせてアルフレッドに言う。アルフレッドはうっと詰まった。護衛がためらいがちに口を挟む。
「実は、先日の買い物の際も、問題がなかったわけではありません」
「そうなの?」
ミュリエルが犬の毛繕いの手を止めて、顔を上げる。
「はい。ロバート様とミュリエル様に近づこうとする一般庶民。ラウル様に色目を使おうとする少女。犬に乗ろうとする子ども」
「それぐらいならいいんじゃないの?」
ミュリエルには何が問題か分からない。
「アルフレッド殿下に近づこうとする女性集団。これはやや危なかったです。押しとどめるために、刀を少しチラつかせました」
はあ アルフレッドがため息を吐く。全く気にしていなかったミュリエルは目を見開く。
「モテる旦那を持つと苦労するなあ」
ロバートが遠い目をした。
「母さんもモテたんでしょう?」
ハリソンが口を出す。
「まあ、シャルロッテを口説こうとした旅人はいたな。首根っこつかまえて、城壁から落としてやった」
カカカカッとロバートが高笑いする。
「じゃあ、私も石投げて蹴散らそうか? うーん、でも顔に傷でもついたらかわいそうだしねえ」
ミュリエルが腕組みをして考えこむ。アルフレッドもしばらく考えて、口を開いた。
「メガネをしよう。顔を隠せばいいんだろう」
ヒルダの部下に頼んで、メガネをいくつか借りる。アルフレッドは次々とかけていく。部屋の空気が重くなった。
「アル、だめだわ。美しい王弟が、美しくて知的な王弟になっただけだわ」
ミュリエルがガックリとうなだれた。アルフレッドの美貌が強すぎる。
「では、顔を隠そう。頭にターバンを巻いて、顔を布で隠せばいい。確かそういう部族がいたな」
そういうことで、アルフレッドだけでなく、全員が頭と顔を布で巻き、部族になりすまして外出することにした。
「夜は軍船で寝ればいいか」
アルフレッドと護衛は色々と諦めた。旅行などほとんどしたことのない、ミュリエルたちだ。せっかくの機会に楽しみたいと言うのを、むげにはできない。
アルフレッドは手練れの護衛たちを、先に出発させた。危険があれば排除しておくためだ。
荷馬車に乗って出発する。
「泳げるんだっけ?」
「いや、さすがにもう水が冷たすぎると思う」
「そっかー残念。湖で泳ぐのと、大分違うんでしょう? 波があるもんね」
「余はラグザル王国の海で泳いだことはある。塩辛かった」
「塩辛いのか」
海で泳いだことのないロバート家族は、目を細めて想像する。よく分からなかった。
「釣りでもする?」
「いいな。それを焼いて食べるか」
「王宮で毎日魚出てきたけど、どれもおいしかったもんね」
「どんな魚がとれるか、楽しみだね」
食い意地の張った家族は一瞬で意見がまとまった。
「釣り竿かなあ。それともモリで突き刺す?」
「川ならすみっこに追い込んで、手でつかんで川辺に投げるけどな」
「水から跳ねてくれれば、石投げたらいいけどねえ」
「港で漁師に聞いてみよう」
獲物をとることにかけては、ぬかりない一家である。
港に着くと、軍船の司令官が感無量と言った雰囲気で待ち構えていた。
「殿下、皆さまがご無事で何よりでございました」
「ありがとう。すまない、ここに待たせたままであった」
「とんでもございません。どこの港でも生きていけるように訓練しておりますから」
司令官は真面目な顔で答える。
「魚を獲りたいのだが、どうすればよいであろうか」
「地元の漁師に頼んでみますよ。漁船を出してくれるでしょう」
司令官は部下に指示を出し、あっという間に漁師をふたり連れて来てくれた。
「五人乗りの漁船なら二隻あるけど、それでいいか?」
「ああ、では二手に別れよう」
アルフレッドが頷く。一隻はアルフレッド、ミュリエル、ラウルと護衛。もう一隻にはロバート、ハリソン、ウィリアムと護衛が乗り込んだ。
「この辺りなら潮の流れも穏やかだからね。手頃な魚が釣れるよ」
漁師が沖合いまで船を進めて、錨を下ろした。
「最近、海の水がキレイになったのさ。見たことない魚が獲れるようになった」
漁師がニコニコしながら、釣り竿を準備してくれる。
「タコツボも最近ではまんぱいでね。今までは、三割入ってればいい方だったんだけどね。綱に五十個ぐらいのタコツボを繋げて海に沈めてんだけど、最近全部埋まってる。それがまたミッチミチのうまいタコでねえ」
「食べたいっ」
ミュリエルが目を輝かせて身を乗り出す。
「そうかい? じゃあ、今日の帰りに引き上げて行こう。タコは焼いても揚げてもうまいからな」
ミュリエルが小躍りする。船が揺れ、アルフレッドがそっとミュリエルを止めた。
「さあ、好きなように釣ってください」
三人は静かに釣り竿を垂れた。ミュリエルは順調にスズキやタイなどの大物を釣り上げ、その度に漁師に感心されている。アルフレッドとラウルはさっぱりだ。
「ミリー姉さま、コツを教えてください」
ラウルが音を上げた。ミュリエルは釣り竿を漁師に渡すと、ラウルの後ろに立つ。
「そうだなー。ラウルって猫と遊んだことある?」
「はい、あります。王宮にたくさんいましたから」
「猫はさ、動くものが好きでしょう? 布とかヒラヒラさせたら飛びついてくるじゃない。魚もあれと一緒だよ。ほーれ、おいしいごはんだよー、ほれほれって揺らしながら、引き寄せるといいんだよ」
ラウルとアルフレッドは顔を見合わせて頷く。何度か投げては、たぐり寄せをしているうちに、アルフレッドの糸がピンと張った。
「そうっとね。急に上げると糸が切れちゃう。引き寄せて、ちょっと緩めて。そうそう」
アルフレッドは真っ赤な顔で小さなイワシを釣り上げる。漁師がすかさず外して、水カゴに入れる。アルフレッドは汗を拭きながら嬉しそうに笑った。
「きましたっ」
ラウルが大声で叫ぶ。ラウルも必死で竿を操り、赤い小さな魚を釣り上げた。ラウルとアルフレッドとミュリエルは抱き合ってグルグル回る。漁船が不安定に揺れ、護衛が悲鳴をあげる。
「三人とも、落ち着いてくださいっ。船が転覆します」
三人はピタッと止まり、大笑いする。
「ミリー姉さーん、どうー釣れてるー?」
離れたところにいる船から、ハリソンが大声で聞く。
「順調だよー。みんな釣ったよー」
三人は誇らしげに胸を張る。
「こっちは全然だよー。父さんのせいで魚がちっとも寄ってこない」
「俺のせいじゃねえぞ」
ロバートはブツクサ文句を言ってる。
「お、待て、なんか、すっげー引いてる。おい、お前ら手伝え」
突然ロバートが竿を持つ手に力をこめる。竿がギューンとしなり、船が不気味に揺れる。
「おらーーー」
ロバートが渾身の力をこめて、竿を後ろに引いた。
ダーンッ 巨大な魚が船に乗り上げる。
「メカジキーーー」
漁師が目をむいて叫ぶ。
「よしきたー」
ロバートはメカジキの頭を殴って気絶させる。二隻の船はシーンと静まり返った。
「ま、まさかメカジキをこの竿で釣り上げるとは。信じられない」
漁師は口をパクパクさせている。
「おーい、港に戻って食べるぞー」
ロバートは意気揚々と皆に声をかける。二隻の漁師はポカーンとしながら、船の向きをかえた。
「あ、タコツボ持って帰るんだったね」
漁師は呆然としながらも、手際よくタコツボを引き上げて船に乗せる。
「へー、こんなのにタコが入ってるんだ。おもしろいね」
三人は興味津々でタコツボをのぞき込んだ。
「ツボから出てこないんですね」
ラウルが目を丸くする。ウネウネとツボの中で動いているが、外には出てこない。
「タコの足には吸盤がついてるんで、ギュッとツボにしがみついて離れないんだ」
「へー、どうやって出すの? ツボを割るの?」
「そんなもったいないことはしないよ。陸に着いたら、塩をかけるんだ。そうすっと出てくる」
三人が感心してタコを見ていると、ギャーッと悲鳴が聞こえた。
「俺の獲物ーーーー」
ロバートが魔剣を抜いて高く振り上げ、漁師が必死でロバートを止めている。大きなメカジキがもっと巨大なタコの足にクルクルっと巻き取られて、船から持ち上げられている。
「タコ母ちゃんだーーー。海神様の眷属だーーーー」
ミュリエルの隣の漁師が、船底に頭をつけて必死で祈っている。
「えーっと、アレって食べてもいい? 仕留めていい?」
ミュリエルがモリを構えて漁師に聞く。
「ダメダメダメダメーーー。タコ母ちゃんをやったら、海が大荒れになる。タコツボも空っぽになる」
ミュリエルはスッとモリを下ろした。大きな声でロバートに声をかける。
「父さん、あれはやっちゃダメだってー。海神様の眷属らしいよ」
「なんだとっ。俺の獲物をとられて、泣き寝入りしろって言うのか」
「仕方ないよ。怒らせたら海が荒れて、小さいタコも食べられなくなるって。私、タコ食べたい」
「ぐぬぬ」
ロバートは獲物には厳しいが、娘には甘い。渋々魔剣を下ろした。
「おいっ、眷属。よくも俺の獲物をとりやがったな。泥棒じゃねえか」
ロバートは遠ざかっていくタコに叫ぶ。ロバートの隣の漁師は、泣きながら祈っている。
「半分寄越せー」
タコはピタリと止まると、器用にメカジキを半分にぶった切った。
ヒュウッ ドウーン 下半分のメカジキがキレイな放物線を描いて、ロバートの隣に落ちる。漁船がグラリと揺れた。
「ちっ、仕方ねえ」
ロバートはメカジキの尾びれをパシっとはたくと、横にドサッと腰を下ろした。
「タコ母ちゃんが獲物をくださった。信じられない。ありがたやー、ありがたやー」
ふたりの漁師はタコとロバートに向かって五体投地を繰り返す。
海神様の眷属、タコ母ちゃんと獲物を分け合う男。ロバートに新たな伝説が生まれた。アッテルマン帝国の船には、タコの足を体に巻きつけたロバートの船首像がつけられるようになった。