91.市場でのお買い物
ヒルダたちが旅立って、当初の浮足だった王宮の空気は、すっかり落ち着きを取り戻した。
「なんとなく、もう大丈夫な気がする。街に出て買い物でもするか」
ロバートがある日言った。ミュリエルはスクッと立ち上がる。肩かけカバンをかけ、硬貨がぎっしり詰まった財布をお腹に巻く。色んなポケットにも少しずつ硬貨を忍ばせる。腰と足首に短剣を装備し、軽い布を頭からかぶった。
「さあ、行こう。今すぐ行こう」
ミュリエルは有無を言わさず、アルフレッドとラウルを引っ張る。アルフレッドはしばらくためらったが、ロバートと目を合わせた後、渋々承諾した。
「皆、目立たない服装で、護衛をそばから離さないこと」
アルフレッドは一人ひとりに専任の護衛をつけた。犬は目立つので、ハリソンとウィリアムが乗る二匹だけを連れて行く。ミュリエルはウキウキして、跳ねるように駆けていく。アルフレッドは苦笑しながら追いかけた。
王宮から歩いてすぐのところに、屋根つきの市場がある。小さな店がひしめき合い、あらゆる種類の品々が所狭しと並べられ、通路までせり出している。
人々がさざめき、売り子の声が響く。笛や太鼓が鳴り、踊ったり歌う人たちもいる。ローテンハウプト王国の行儀よく品のいい王都とは別世界だ。わい雑で、大声が響き、活気に満ちている。
「うおおおーー、やっと外に出れたーーーー」
ミュリエルが両手を上げて雄叫びを上げる。ロバートがミュリエルの頭をはたいた。
「目立たないようにって、アルに言われただろう」
ミュリエルはすぐさま腕を下ろし、スタスタと市場に入って行く。
「父さんは何買うの?」
「みんなへのお土産だな。シャルロッテには装飾品、マレーナには靴だろうな。トニーとジェイとダニーは、見てから決める。領民にも食べ物とお菓子と酒でも買っていくか」
「いいね。わーい、いっぱい買おーっと。ヒルダさんがお金たくさんくれたもんね」
「まあな。さらわれたんだ。それぐらいのことはしてもらってもいいだろう」
ロバートもニヤリと笑う。お金を気にせず買い物をするなんて、慎ましく生きてきた父娘には生まれて初めてだ。興奮の色を隠し切れないふたりに、アルフレッドは気を引き締める。護衛に合図をし、警戒を怠るなと指示する。
ハリソンとウィリアムはもう慣れているので、ラウルを連れてさっさと奥の方の串肉の屋台に向かった。護衛が三人、気配を消してついて行く。
ロバートとミュリエルは、まずは装飾品の店に入る。
「ま、まぶしいっ」
キラキラジャラジャラしている。
「目がチカチカするな……」
ロバートは小さくつぶやく。
「いっぱいありすぎて、どれがいいのかさっぱり分からん」
ロバートの言葉にミュリエルが頷く。ふたり共、買い物の経験が乏しすぎてどうしていいのか分からない。アルフレッドがにこやかに店主に声をかけた。
「いくつか買いたいのだが、ありすぎて選べない。いいものを選んでくれないか?」
店主が満面の笑顔で近づいてくる。
「もちろんですとも。森の息子と森の娘に見ていただけるなんて、光栄です」
「バレてるっ」
ロバートとミュリエルが叫んだ。
「ははは、皆さま有名ですから」
店主は朗らかに笑う。つと真面目な顔になった。
「アッテルマン帝国を助けてくださって、ありがとうございます。水が枯れ、砂漠に飲み込まれるのではと恐れておりました。神にたてつく悪しき男を討ってくださいまして、誠にありがとうございます」
ロバートとミュリエルは困って目を下に向けた。店主はすぐに揉み手をすると、いくつか並べ始める。
「どなたかへの贈り物でしょうか? 髪や瞳の色に合わせるとハズレが少ないです」
ロバートはじっくり眺めて、鮮やかな青い石のついた首飾りと、揃いの耳飾りを選んだ。
「せっかくだからマレーナにも買うか。トニーが気にしないといいが」
「いや、トニー兄さんなら大丈夫でしょう。マレー姉さんはピンクが好きだからねえ。これがいいんじゃない」
ミュリエルはピンクの花のような首飾りと耳飾りを選んだ。
「私も欲しいんだよねえ。あの、子孫繁栄の踊りをするときに使いたいんですけど、どんなのがいいですか?」
「おやおや、それはそれは」
店主はミュリエルとアルフレッドをニコニコしながら見ると、奥から箱をいくつも持ってきた。
「重いと踊りの邪魔ですから。軽くて、見た目が華やかなものがよいでしょう。長い首飾り、垂れ下がる大きな耳飾り、細い連なった腕輪。派手な腰飾り。そして、脚全体に巻きつける鎖状のこちらがおすすめです」
ミュリエルはジャラリとした細い鎖を手に取って広げてみる。
「踊ってるうちに取れちゃわない?」
「脚全体に巻きつけたあと、こちらの金具で腰飾りにひっかけてください。肌着の下から通してつければ大丈夫です。それを外せるのは、旦那様の特権ですな」
店主の言葉にミュリエルとアルフレッドが真っ赤になる。ロバートは気まずそうにポリポリ頬をかくと、
「あー、俺はマレーナの靴を見に行ってくるわ。ミリー、俺の分もお金払っててくれ」
と慌てて出て行った。護衛がさりげなく後を追う。
「じゃあ、これ全部ください」
ミュリエルは恥ずかしそうに言い、ハッとする。
「そうだ、イローナにも買ってあげよう。踊り教えてあげたら、イローナもブラッドに見せられるじゃない」
ミュリエルはイソイソとイローナに似合いそうなものを漁り始めた。アルフレッドが気まずそうに声をかける。
「ミリー、イローナに教えるのも、お土産あげるのもいいんだけど……。ブラッドの前で踊るのは、ふたりが結婚してからにするようにイローナに伝えてくれる? ブラッドがかわいそうだからね……」
「生殺しですね……」
護衛がポツリとつぶやいた。ミュリエルは目を丸くして、何度も頷く。
買ったものは、王宮に届けてくれるそうなので、手ぶらで店を出る。
「アルは何か買いたいものないの?」
「そうだね、寝室に置くモザイクガラスのランプが欲しいな」
ふたりは近くのランプ屋に入る。あれこれ眺めて、青と緑色の卓上型を選んだ。
お互いの瞳の色が施されたランプを買うふたりに、護衛は心の中で叫んだ。
(尊い! これは絶対に今日の日誌に書かなければ。ジャックさんが喜ぶだろう)
「せっかくだから、踊りの衣装も買おうよ。イローナはピンクね。私の分はアルが選んでくれる?」
ふたりは仲良く次の店に向かう。隠し切れない喜びを浮かべてミュリエルの衣装を選ぶアルフレッドの姿に、護衛はそっと目尻の涙を拭いた。
(殿下、よかったですね。ジャックさん、これも忘れずに書きます)
ミュリエルとラウルを見失い、他国にさらわれるという言語道断の失態をした護衛たち。あのときジャックに厳しく言われたのだ。
「非番だったダンはともかくとして、護衛は命を賭けておふたりを救出するように。そしてひとりも欠けることなく国に連れ帰るのです。それ以外に挽回する道はないと思いなさい。もしも、ミリー様とラウル様に何かあったとしても、アルフレッド殿下をなんとしても連れ帰るのですよ」
そして、分厚い日誌をいくつも渡されたのだ。
「きっと無事に救出できるでしょう。ミリー様とアルフレッド殿下が再会できた瞬間から、おふたりの一挙手一投足を日誌に書くように。クッ、足手まといになるから、ここで待つしかない我が身の至らなさが口惜しい。慚愧に堪えないとはこのことか……」
鬼のような形相のジャックさん、怖かったな。護衛は遠い目をした。皆が無事でよかった。