86.こんなところにいたなんて
パッパは精力的に仕入れている。アッテルマン帝国の品々は、ローテンハウプト王国でよく売れるのだ。
異国情緒あふれる手織りの絨毯は、ローテンハウプト王国にはない色の組み合わせが目をひく。非常に高価だが、仕入れればすぐに貴族に売れる。床に敷いたり、壁に掛けると部屋の雰囲気をガラリと変えられるので、来客の多い高位貴族のご夫人たちに重宝がられている。
独特の香辛料は、美食家から要望が多い。ただの肉料理に少し香辛料をかけると、簡単にいつもと違う風味のご馳走になる。これらは裕福な平民によく売れる。レストランにも卸せる。色んな店から少しずつ買う。ひとつの店だけではなく、なるべく多くの店に利益をもたらす、それが商売のコツだ。
オリーブの石鹸は肌に優しいのでご年配の貴婦人や、小さな子どものいる家庭で愛用されている。あまり泡立たないが、香りがよく肌がしっとりするらしい。ローテンハウプト王国でもオリーブは採れるが、アッテルマン帝国の暑い気候で育ったオリーブの方が質がいい。
モザイクガラスのランプは若い夫婦に飛ぶように売れる。ロウソクを入れると光がモザイクの隙間から漏れ、幻想的な雰囲気を醸し出す。若い夫婦の甘い夕べのひと時を演出するのに、最適なのだ。
パッパは棚に置かれたモザイクランプを手に取る。卓上型のランプだ。赤と青を基調に様々な色で星がいくつも描かれている。派手だが品が良い。通常なら台の部分は真鍮だが、これは真っ白な陶器製なのでひときわ目立つ。貴族の部屋に置くと映えそうだ。
「このランプは素晴らしいですね。色使いが独特で形もいい。陶器製の台というところも斬新だ。ひと目で気に入りました。これを作った職人はどんな方ですか?」
「ああ、これですかい? 旦那、さすがお目が高い。これはねえ、三人の合作なんですわ。絵描きが図案を描き、手先の器用なガラス職人がその図案を超える逸品に仕上げるんです。台は陶磁器職人の手によるものですな。なんでも同郷の仲間らしいんですよ」
ランプ屋の店主は店の奥から他のランプを出してくる。その吊り下げランプは濃い青と薄い青のモザイクガラスを施した三日月型。ロウソクを入れれば、海の中で差し込む月の光を見ている気持ちになれそうだ。
「これなんかも彼らの作品ですわ。注文商品なもんで売れないんですがね」
「ほうっ、なんともはや。これは……。買えなくて残念です。妻への贈り物にしたかった。彼らの他の作品が出たら私に売ってもらえませんか? 金額を上乗せしていただいていいですよ」
店主はニコニコする。
「ええ、もちろんです。おお、ちょうど次の新作を持ってきたみたいですね。おおーい、スタン、カシミール、お客さんだぞ」
よく日に焼けた精悍な若者が、愛想よく笑いながら近づいてくる。パッパはまじまじとふたりを見つめる。
「立ち入ったことを聞きますが、おふたりはもしやヴェルニュスの出身ではありませんか?」
ふたりの若者がスッと無表情になった。
「だったらなんだって言うんです?」
「いや、あの……。私はローテンハウプト王国の商人、レオナルド・サイフリッドです。よくヴェルニュスで手工芸品を買いました。陶磁器職人のボリスは、私の妻の親戚です」
「……ウソだろ。レオさんかよ。覚えてるよ、俺、覚えてる。スタンだ。ボリスは俺の父親だよ」
スタンは持っていた荷物を店主に押しつけて、パッパの肩に手を置く。
「やはり……。ボリスの面影があります。ひょっとして、カシミールさんのお父さんはユーラという画家では?」
「なぜ……」
「ユーラもボリスも生きてます。私が二十年前にローテンハウプト王国に連れて逃げたのです。今、ふたりはヴェルニュスに戻っています。スタン、君のお母さんとお姉さんもヴェルニュスに戻ったんだよ」
「マジかよ、信じらんねえ。マジか」
スタンとカシミールは顔を見合わせて、半泣きになっている。
「スタン、君が北の漁港、タヘリンにいると聞いて探していたんだよ。見つからなかったので情報を集めていたんだ。まさかアッテルマン帝国にいるとは」
「タヘリンでは漁猟の仕事はあったけど、俺は手工芸がやりたかったんだ。それにあそこは寒いだろう? 下手したらラグザル王国のやつらに殺されるし。それで俺たちはアッテルマン帝国に移住したんだ。ほら、ここは冬でもそんなに寒くないからさ。壁と屋根があれば、なんとか冬を越せる」
「そうだったんですね。他にもヴェルニュス出身の人がここに?」
「ああ、いっぱいいる。みんなで船で逃げてきたんだ。母さんたちに手紙出したんだけど、届かなかったのかな……」
スタンは唇を噛み締めた。パッパはスタンの手を強く握る。
「他の人たちを紹介してくれないか? 実はユーラとボリス以外にも、ヴェルニュスに戻ってる職人がいるんだ。職人たちの家族をずっと探していた。もしできれば、ヴェルニュスに戻って、手工芸を一緒に復興させてほしい」
「いいよ、固まって住んでるから、今からでよければ一緒に行こう。ああっと、ただ……」
スタンはカシミールをチラリと見る。カシミールは気まずそうにパッパに告げる。
「実は、母さんはアッテルマン帝国の人と結婚してるんだ。ふたりの間に娘もいる。だから、母さんはヴェルニュスには戻らないと思う……。それに、姉さんもこっちで家庭を持ってるから、戻らないんじゃないかな。俺はまだ独り身だし、父さんと一緒に絵を描きたいからヴェルニュスに戻るつもりだけど」
「そうですか……。そうですよね、二十年経ったんです。新しい家族を持っていても不思議ではないですね」
パッパはユーラのことを思うと胸が締めつけられる。カシミールは眉を下げた。
「父さんには俺から話すよ。母さんも大変だったんだ。責めないでほしい」
「責めるだなんてとんでもない。生きていてくれただけで、本当に嬉しいのですよ。あのとき、お父さんたちしか助けられなくて……。そのことを後悔しない日はありませんでしたから」
パッパはついに、こらえ切れなくてオイオイ泣いた。通りを歩いている人たちが驚いて凝視する。スタンとカシミールはランプ屋の店主に挨拶すると、子どものように大声を上げて泣くパッパを連れて家へ帰った。
***
「ということでミリー様。ついに見つかったのです、職人たちの家族が!」
パッパが晴れやかな顔で報告する。ミュリエルは心配そうにパッパの顔をのぞき込む。
「それはとても素晴らしいことなんだけど……。パッパどうしたの? 目が開いてないけど……」
「ああ、これは泣きすぎて目が腫れておるだけです。ひと晩寝れば治るでしょう。私の美貌が台無しですな」
パッパは糸のような目でカラカラと笑った。ミュリエルは笑っていいのか分からず、困った顔であちこちに視線をさまよわす。
「既にこちらで家庭を持っている者もいます。ユーラの元妻と、娘などですね」
「そっか……」
ミュリエルはふうっと息を吐いた。二十年の時の長さを思い知る。
「ヴェルニュスに戻って手工芸を共に復興する者。ユーラの娘のように、少しだけ父に会いに行って、またアッテルマン帝国に戻る者。ユーラの元妻のように、このままアッテルマン帝国に残る者。様々です」
「うん、分かった」
「ひと足先に私はヴェルニュスに家族たちと戻ります。そして冬になる前にユーラの娘をアッテルマン帝国に連れて来ます」
「ありがとう、パッパ。みんなによろしく伝えてね。がんばって冬支度終えてって言ってね」
「分かりました。万事つつがなく整えておきますので、ご心配なく」
パッパは満面の笑みで職人の家族たちと共に旅立った。パッパはついに、本懐を遂げたのだ。