85.息を吐くように祈るとは
ロバートたちは王宮の庭に出た。
「それで、ここでは魔剣は木になるんだな」
一行は庭に生える一本のリンゴの木の下で立ち止まる。
「はい、砂漠の部族には、それぞれ縄張りにする水場があります。水場には木があり、その木に祈りを捧げていました。『木を、水を』というのが、簡易的な祈りの言葉でございました」
「国によって色々違うんだね。おもしろいね」
ヒルダの言葉にミュリエルは目を輝かせる。
「それで、この木がいいんだな」
「はい、この木に私は長らく祈りを捧げておりました。最近は言葉には出せておりませんでしたが」
「よし、いいんじゃないか。じゃあ、王宮にいる者は空き時間にここで祈ればいい。王宮の外の民は、好きなところで祈れ。ところで何を捧げるんだ?」
「私の部族は砂漠で出る魔獣、ヤギや羊などでした。ここなら海が近いですから、魚もいいと思います」
「早速祈るぞ、なんか持ってこさせてくれ。酒もいいな」
ヒルダの指示で、酒や魚、果物などが運ばれてくる。ロバートを先頭に、木の下で皆が跪く。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。えー、ゴホン。ここの民は長らく頭のおかしな王に祈りを禁じられておりました。元凶は取り除きましたので、これからは頻繁にお祈りを捧げます。一刻も早くご加護を賜りたく、なにとぞよろしくお願い申し上げます。森の息子ロバート、一か月でシャルロッテの元に帰りたいのです」
跪いた皆がポカーンと口を開ける。
「父さん、その辺の人にお祈りしてんじゃないんだからさあ。不敬だよ……」
ミュリエルがロバートの腰を突っつく。
「何を言うか。これぐらい気軽に祈れって見本だ」
ロバートは仁王立ちになった。
「いいか、この一ヶ月でひとり一日百回祈れ。朝三十、昼三十、夜三十、寝る前十だ」
「ひっ」
「ひっじゃないだろう。それぐらいやらないと、神様は許してくれない。例えばヒルダさん、あなた旦那が新しい女を後宮に入れたときどう思った?」
「それは……虚しかったです。私たちの愛はどこにいったのかと。私はそれほど無価値な女なのかと……」
ヒルダはうつむいた。髪で顔は見えない。
「そうだろう。それをさ、旦那が十年後、悪かったヒルダ。許してくれって言ってきたとして、許せるか?」
「……許せません」
「例えば、一年間毎日謝ったらどうだ?」
「……許せません」
ヒルダはうつむいたままつぶやく。
「まあ、そうだろうな。十年ってのは長い。神様もすっかり愛想をつかしてるだろうさ。だけどな、大きな違いは、俺たちは神の夫でも妻でもない、子どもだ。親は子どもにはめちゃくちゃ甘い」
「確かに……」
ヒルダは顔を上げてロバートを見上げる。
「シャルロッテが精魂込めて縫った服を、ミリーは一日で破った。ミリーが泣きながら謝ったらシャルロッテはすぐ許した。ちょーっとばかし機嫌がわるかったが、ミリーの涙でコロリだ」
「う……」
ミュリエルはそっと目をそらす。
「シャルロッテが編んでくれた俺の毛糸の帽子。ハリーがそれにニワトリの卵を集めて入れたとき、俺はブチ切れたがすぐ許した。キレイに洗わせたけどなあ」
「だから何度もごめんって言ったじゃない……。いつまでもしつこいなあ」
ハリソンがため息を吐き、ロバートがハリソンの頭をつつく。
「それぐらい親は子どもに甘い。心を込めて祈れば、許してくれるさ。ただし声に出せよ。口に出さなきゃ伝わらん」
「はいっ」
それからアッテルマン帝国では、挨拶やひとり言のついでに祈ることを義務づけられた。
「おはようございます。父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。今日はいい天気で嬉しいです。感謝いたします」
「あー疲れたー。父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。仕事があり、お給金がいただけてありがたいです。感謝いたします」
そんな感じだ。割と無茶苦茶だ。何でもありだ。いいのか?
今のところ神の怒りの鉄槌は落ちていない。いいのであろう。
***
そうこうするうちに、王都からの精鋭部隊が王宮にやって来た。事前に軍船には連絡を入れていたので、誰とも戦闘はせず静かに隠密に移動してきた。軍船は港につけて、警戒を続けている。
「ご苦労だった。今のところ不穏な動きはないが、油断はするな」
「はっ」
「一か月ここで滞在することになるが……。国への連絡をどうしたものか」
アルフレッドの言葉にロバートがハッとして大声を出す。
「あ、クロを港に置き去りにしてるー」
子どもたちは冷たい目でロバートを責める。
「父さん、ひどいや。きっと寂しがって泣いてるよ」
「うう、すっかり忘れていた。クロ、すまん」
「どうすんだよー、もー」
「……ひとつご提案がございます。我らが来るきっかけとなったのは、ミュリエル様の『アッテルマン帝国だ』という言葉が、王都の貴族女性に届いたからです。なんでも、腕輪から聞こえたとか」
「ええーそうなのー?」
ミュリエルが仰天する。
「ああ、そういえば聞こえた。忘れていたよ」
アルフレッドが気まずそうに言う。
「そうだった、確かに聞こえた。ばあさんたちにも聞こえた」
「ええー、ちょっと怖い……」
ミュリエルが口を歪める。
「もしよろしければ、ミュリエル様に再度何か言っていただければと」
「なるほど、試してみる価値はあるな」
アルフレッドは紙に文章を書き、ロバートとミュリエルに見せる。
「分かった、これを言えばいいんだね。やってみる」
皆すぐさま跪いた。ミュリエルはしっかりと紙を読んで覚えると、腕輪を握り目を閉じて祈る。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。我、森の娘ミュリエル。我に力を与え給え。えーっと、ローテンハウプト王国の皆さんこんにちは。ミュリエルです。全員無事です。色々あって、一か月アッテルマン帝国で過ごしてから帰ります。港にクロが取り残されてるので、ジェイは迎えに行ってあげて。じゃあねー」
皆がガクッと力を抜いた。
「書いてあった言葉より、大分くだけてないか? 不敬じゃないか?」
ロバートがオロオロする。
「父さんにだけは言われたくありませーん」
皆が苦笑いしながら、神に気軽に祈る父娘を見つめた。
***
その頃、ローテンハウプト王国の王宮では、エルンスト国王と宰相のヒーさんが話し合っている。
「無理を言って腕輪を融通してもらっていてよかった」
「思っていた以上にはっきりと聞こえましたなあ。国家機密がダダ漏れですのう……」
王と宰相は顔を見合わせてため息を吐く。
「まあ、やむを得ん。非常事態だ。とにかく、皆が無事でよかった。戦争を回避できただけでも上出来だ。ラグザル王国にも報告せねばならんな」
「至急、使者を送りましょう。王子を誘拐されたとあっては、どのようなイチャモンをつけられるか」
ヒーさんは難しい顔をする。
「うむ。……ルティアンナ第四王女に手紙でも書いてもらうか。ルイーゼ嬢の信奉者になっておるのだろう?」
「おお、そうでしたな。では早速手配いたします」
ヒーさんはポンと手を打った。
「陛下、ヴェルニュスとロバート卿の領地に人手を送ってもよろしいでしょうか? 護衛の数が足りないと危惧しております」
「うむ、送ってやれ。一か月、領地に何事もないようにせねばならん」
苦労人の大人たちは、他国で大暴れしている自国民の後始末に大わらわだ。