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83.鉄の女王


 私はアッテルマン帝国のヒルダ。シャルマーク皇帝の正妃です。シャルマーク皇帝の娘をふたり産み、後宮の女性たちを守る鉄の女と呼ばれております。


 陛下の妻となったのは、もう三十年も前になります。元々は砂漠の部族の娘でした。砂漠の緑を守る、森の娘として日々祈りを捧げておりました。


 遠征の途中で水を求めてやってこられた陛下に見初められ、宮殿に連れて来られたのです。あの頃は、私たちの間には確かな愛がありました。陛下はその頃はきちんと服を着た、美丈夫でした。


 陛下は軍神です。類い稀な戦の才能を持ち、部族を平定し、アッテルマン帝国に栄光の最盛期をもたらされました。


 砂漠に散らばる部族を平定し終わったあたり、そう、陛下が五十歳になられた頃から、少しずつおかしなことが始まりました。


「父なる太陽から、太陽神王となるように神託を受けた」


 などと陛下が仰るようになったのです。



 私には理由が分かります。陛下は昔から、褒められたい、崇められたい、注目されたいという思いが強いのです。軍神として遠征を繰り返していた頃は、人々から崇め立てられました。


 しかし、平定し終わってしまうと、皇帝の仕事は統治に移ります。


「退屈だ……」


 虚な目をして、ポツリとこぼされることが増えました。


 そう、陛下は退屈のあまり太陽神王となり、人々から信仰されることを望んだのです。何度も諫めましたが、その頃から陛下は私を遠ざけるようになりました。もう長らく陛下にはお目にかかっておりません。


 風の噂では、肉体を鍛え上げ、ほぼ裸体で筋肉を見せつけているそうです。浅ましいこと。


 私への気持ちをなくされて、陛下は美女を掠奪してきては、後宮に入れるようになりました。一時期、後宮には千人もの女が囲われました。やり過ぎです。陛下に一度も呼ばれぬまま、若さを失う女がたくさんおりました。


 私は、まだ親元がしっかりしている女たちは、ひそかに後宮から出して親元に返しました。今の後宮では、戻る場所のない女たちが、日々鬱々として過ごしております。



 一度タガが外れると、後は坂道を転がる石のようです。


 陛下は言葉に出して神に祈ることを禁じました。神に祈ることを禁じ、太陽神王である陛下へのみ言葉に出して祈ることを強要されました。


 森の娘と息子は殺され、魔剣は奪われました。私の部族も殺されたと聞いております。陛下はとうに、私が森の娘であることはお忘れです。


 ですが、念のため、私は髪の色を真っ黒に染めました。そして瞳の色をごまかせるメガネをかけるようになりました。ふたりの娘、フェリハとアイリーンも森の娘です。フェリハは黒髪に、アイリーンは金髪に染めさせています。


 後宮では茶色の髪は禁忌となりました。どうせやることのない、後宮です。女たちは、戯れに髪の色を変えて、無為な時間を潰しております。


「今度は髪を緑色にしてみようかしら。アタシの瞳は茶色だもの、これで私も森の娘と同じ色よ」


 退屈のあまり、危険な思考に陥る女たちもおります。女たちが暗黒面に落ちぬよう、目を配るのも私の仕事です。


「お母さま」


 いつの頃からか、女たちにそのように呼ばれるようになりました。


 暗く、虚しい十年でした。後宮では、言葉に出さず、神に祈ることを続けております。ただし、誰もいないところでのみ。陛下の親衛隊に見つかると罰せられますから。


 大地に祈りを捧げず、お供えもお祭りもなく、獲物の血を捧げることもない。母なる大地は我らをお見捨てになったのです。ましてや、父なる太陽を標榜する皇帝がいる国です。そのような国に、どうして神がご加護をお与えになるでしょうか。



 アッテルマン帝国はヒタヒタと滅亡に向かって進んでおります。


「森の娘を連れて来い」


 そんなとき陛下から後宮に連絡が入りました。


「森の娘に祈りを捧げさせ、作物の収穫量をあげよとのご命令です」


 陛下の側近から、そのように告げられました。


「まあ、おかしなことを。後宮には森の娘などおりません。陛下の親衛隊が皆殺しにしたではありませんか」


 私は居丈高に断ります。側近は私の後宮での力を恐れていますので、スゴスゴと下がりました。


「皆の髪色を変えておいてよかったこと」


 私の言葉に女たちが暗い顔で頷きます。皆、これから何が起こるか分かっているのです。


 アッテルマン帝国の、茶色の髪と緑の目を持つ若い娘たちが集められます。バカな陛下、力のない娘をいくら集めても無駄なことなのに。


「ええーい、どれが真の森の娘なのだ」 


 陛下が荒れ狂っていらっしゃるそうです。


「魔剣を持たせてみれば分かります。森の娘なら、魔剣を持ち上げられるはずですから」


 私はこっそり側近に助言します。まあ、誰も持ち上げられるとは思えませんが。私でさえ、もう無理でしょう。祈りを捧げぬ私には、もう森の娘の力はないはずです。


 魔剣は祈らぬ民には重いのです。持ち上げることなどできません。ましてや、魔獣を狩るなど不可能です。



 ある日、下働きの女からとんでもない情報がもたらされました。


「なんですって? ローテンハウプト王国の森の娘と、ラグザル王国の王子をさらってきた?」


 下働きの女は小刻みに震えております。


「いいですか、ふたりが陛下と会う時間が分かったら知らせなさい」


 女は何度も頷くと王宮に戻ります。


「なんてこと。これでは戦争になるではありませんか。なんとしても陛下を止めなければ」


 私は自分の命を投げ打ってでも、陛下を諌めることを誓います。残念ながら、私の命は陛下にとっては紙クズ以下なのですが……。それでも何もせぬよりはましでしょう。


 私はジリジリと知らせを待ちます。


「お母さま、知らせが入りました」


 女が私を呼びにきます。私は立ち上がり、青ざめた女たちを見つめます。


「私はもうここには戻れないでしょう。いざとなったら逃げなさい。なんとかして生き延びるのです。お金と宝石は身につけておくのですよ。さあ、声に出して祈りなさい。祈ればそのときが分かるでしょう」


 女たちはハラハラと涙をこぼしながら、皆跪いて祈ります。十年ぶりに後宮に祈りの声が響きます。心にスッと涼しい風が吹いたようです。


「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。加護を失いし我らにご慈悲を賜らんことを。我に力を与え給え。民と国を守る力を我に授け給え」


 私も十年ぶりに祈ります。ああ、どれほどこれを望んでいたことか。さあ、私の命でどこまで助けられるか、やってみましょう。


 私は誇り高く歩いて行きます。私の手の者である後宮の護衛が付き従います。寵愛は失っても、正妃。私を止める者はおりません。無事、最上階に着きました。扉の前の護衛を、鋭い視線で見つめます。


「階下に下がりなさい。そなたらも頭がついているなら分かるはず。国家存亡の危機です。正妃として、陛下を止めなければなりません」


 護衛はしばらく私を見たあと、顔を見合わせて立ち去ります。まだ、話の通じる者がいるのですね。針の先ほどの希望の光が見えます。神に祈ったおかげでしょう。


 私の護衛が扉を開けます。部屋の奥で陛下が椅子に座っておられます。まあ、なんでしょう、あの醜悪な格好は。ほとんど裸ではありませんか。確かに筋肉はありますが、もう六十の老体です。醜悪というよりは、むしろ滑稽と言う方が正しいかもしれません。



「よしっ、お前は死ねー」


 強い声が聞こえ、私の目の前を何かが横切ります。


 バシッ 音につられて見ると、陛下が魔剣に貫かれております。


 私は頭が真っ白になりました。しばらく固まっていると、声が聞こえます。


「新しい太陽神王のご誕生、おめでとうございます」


 召使いたちが壮年の男の足元に跪いています。


「はああ? 俺は太陽神王じゃねー」


 魔剣を持った男が叫びました。これは……森の息子。千載一遇の機会です。神よ、感謝いたします。


 私は威厳をもった歩みで男に近寄り、しっかりと目を合わせてから跪きます。


「正統なる森の息子とお見受けします。私はヒルダ。アッテルマン帝国シャルマーク皇帝の正妃でございます。かつては森の娘でありました」


 男は何も言いません。


「正統なる森の息子、貴殿にお願いがございます。私が女王としてこの国を統べます。森の娘として、この国に祈りを復活させます。お力添えを願えませんでしょうか」


「俺は太陽神王じゃねえぞ」


 男は憮然とした顔で答えます。


「もちろんです。人は神にはなれません。我らはただ、大地の子であります」

「アルに相談してからだ。俺には何も決められねえ」


 ハッとするほど美しい男性が近寄って来られます。王族でしか持ち得ない威厳が垣間見えます。


「話し合いをいたしましょう。その前に、押さえておくべき勢力などはありますか? それほど手勢がいるわけではない。騒ぎになる前に、不穏分子は抑えたい」


「陛下の親衛隊は危険です。そこの護衛は私の味方です。彼らを使いましょう」


 速やかに親衛隊は排除されました。


 神が怒りの鉄槌をくだされた。御使様がフクロウに乗って王宮に降り立たれた。そうウワサを広めます。


 さあ、これからは時間との勝負です。一刻も早く女王として立たねばなりません。今、国を割る訳にはいかないのです。神よ、ご加護を。森の息子の力を借りられますように。


 

 

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― 新着の感想 ―
[一言] このヒルダさんは有能そうなのでアッテルマン帝国は良い方向に進みそうですね!
[一言] 乱世の王ではあったが治世の王ではなかったんだな…
[良い点] ここで読んでいて、助かってよかった! ひさびさに、ミリー様がヒロインだと思わせる話でした(いつもかっこよくかわいい主人公) 一人の女の子だなと。
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