80.人は神にはなれません
ミュリエルが荷馬車から見た感じだと、アッテルマン帝国は屋根が丸かったり平らな家が多い。ローテンハウプト王国の家の屋根は傾斜のきつい三角だ。
きっとアッテルマン帝国は、雪があまり降らないんだろうな。雪がよく降る地域は、屋根の雪が自然に地面に落ちるように、屋根が三角になっている。
荷馬車が止まってから、連れて行かれた大きな建物は、屋根が玉ねぎみたいに丸い。中に入って天井を見上げると、天井も丸かった。色とりどりの石で装飾された、美しいモザイク模様だ。
金も手間暇もたっぷりかけられた建物である。故郷の簡素な屋敷とは大違いだ。さぞかし金持ちが住んでいるに違いない、ミュリエルはため息を吐いた。
建物の上の階に連れていかれる。案の定、ミュリエルとラウルは別々の部屋に連れて行かれた。
「服を脱いでください。今から湯浴みをしていただきます」
やや不思議な抑揚で女から指示された。すごーくイヤだけど、ここでもめても仕方がない。ミュリエルは諦めてさっさと服を脱ぐ。
女に連れられて浴室の湯船に入ると、女たちが大きな水瓶からお湯を注いでくれる。ミュリエルは指示されるままに、石けんで髪と体をゴシゴシ洗った。
湯船からあがり、体を拭くと、涼しげな白い服と透けたベールを渡される。
「この国では、女性はベールで髪と目から下を隠します」
女たちはフワフワした服を着るミュリエルを手伝い、髪をくしけずり、最後にベールをかけた。部屋にいる女性たちは、皆似たような格好で、透けたベールをしている。
「ベールしてても、顔は全部見えてるんだけど、それはいいの?」
ミュリエルが聞いてみると、女たちは黙って頷く。
「この後、皇帝陛下がお目通りになられます」
ひとりの女が小さな声で言った。
うわー、皇帝かー……。殺したら面倒くさいことになりそうだ。まあ、仕方ない。何か武器になりそうなものは……。ミュリエルはさりげなく室内を物色する。
「一緒にお食事をとのことでした。何か召し上がれない物はございますか?」
「いえ、たいていの物は大丈夫です。そうですね、虫とかはちょっと……」
「アッテルマン帝国に虫食の習慣はございません」
女はやや引きつった顔で答える。
「あ、そうですか。それはよかった。肉が好きです。あと、甘い物も好きです」
ミュリエルはちゃっかり好きな物を言ってみる。
「はい、伝えて参ります」
女がひとり出て行った。
よし、やっとまともなごはんにありつけそうだ。昨日からまともな物を食べていない。ミュリエルのお腹は大雨の前みたいにゴロゴロ鳴っている。食事ということは、ナイフとフォークがあるだろう。人間は柔らかいから、ナイフとフォークでヤレるわ。ミュリエルはお腹がすきすぎて、投げやりになっている。
女たちに連れられて、豪華な部屋に入る。ものすごく長い机があり、ラウルが端っこに座っている。ミュリエルもラウルの隣に行こうとしたら、真ん中の席に座らされた。
ミュリエルはラウルと目を合わせて元気づけようと笑う。ラウルはこざっぱりとしているが、元気はない。ラウルはミュリエルを見て無理に口角を上げた。
チリン チリン 鈴の音がして、大勢の人の歩く音が聞こえる。
途端に部屋の中の召使いたちが五体投地した。ミュリエルは目を丸く見開きながら、すかさずズラリと並んでいるナイフを一本お腹の腰紐の下に隠した。ラウルもそれを見て、ナイフを隠す。ミュリエルはラウルを見て小さく頷く。
チリン チリン 数名の男たちがきらびやかな台を担いで部屋に入ってくる。台の上には、男が乗っている。
ミュリエルはポカーンと口を開けた。男がほぼ裸なのだ。頭に白いターバンを幾重にも巻いているので、頭部は異様に大きい。金色の鎖や装飾品をいくつもジャラジャラさせている。金色のマントを肩からかけ、金色の腰布を巻いているが、あとは裸だ。
裸の男は、長机の最も奥にある仰々しい椅子のそばに運ばれる。召使いたちが次々と這い寄り、台の前に身を投げ出す。
裸体の男は無造作に立ち上がる。筋骨隆々の大男だ。大男は召使いたちを踏みながら、台を降り、机の前の椅子に腰掛けた。ミュリエルとラウルには目もくれない。
「アッテルマン帝国の太陽神王、シャルマーク皇帝陛下であらせられる」
皇帝の側近が重々しく言い、ミュリエルはポカーンと開いていた口をガチンと閉じた。
ダメだ、話が通じる気が全然しない。自分のことを太陽神って言わせちゃうって、頭おかしい人だもん。なんか目も気持ち悪いし、裸だし、召使いを踏むし、間違いなく変態だ。ミュリエルはぞぞーっとした。
それにしても、あの筋肉にこのナイフで通用するかな。フォークの方がいいかもしれない。ミュリエルは袖の中にフォークを隠した。
ミュリエルはとりあえず食事に集中することにした。腹が空いては戦えない。側近が何やら皇帝の偉大なる軌跡などとツラツラ述べているけど、聞き流す。異常者の経歴なんてミュリエルは全く興味がないのだ。
ミュリエルは運ばれてくる料理に目を輝かす。あっという間に、机の上にご馳走が並べられた。祈らない方がよさそうなので、さっさと食べ始める。
香辛料が独特で味が濃いが、肉と野菜の煮込みをパラパラの米や、平たいパンと食べるととてもおいしい。豆や肉のペーストを、パンにたっぷり塗って食べると、パンがスルスルと食べられる。ミュリエルは夢中で食べた。
お腹が大分落ち着いたところで、ラウルを見ると、ラウルはちっとも食事が進んでいないようだ。モソモソと少しだけパンを口に運んでいる。
むむ、ラウルめ。食べないと戦えないぞ。ミュリエルはラウルに念を送った。ラウルはミュリエルを見ると、少しだけ表情を緩めて、肉を食べ始める。よしよし。ミュリエルはこれ以上食べると、動きが鈍くなるだろうと、食べるのを止めた。
「ということでございまして、皇帝陛下は森の娘をお求めになったのですよ」
側近の言葉が耳に入った。うん、肝心のところを聞き漏らした。
「えー、もう一度いいですか? どういう理由で私とラウルをさらったんでしたっけ?」
「あ、はい。アッテルマン帝国は太陽神シャルマーク皇帝陛下への信仰があつく、大地の女神はすっかりすたれてしまいました。それにより、近年では農作物の収穫が落ちております」
「はあ」
自業自得だろう、バカめ。ミュリエルは心の中で悪態をついた。
「よって、森の娘ミュリエル様には魔剣に力を注いでいただきつつ、皇帝陛下とお子を成していただきたい」
「はあっ? 私もう結婚してますから、お断りします」
寝言は寝て言え、ミュリエルは叫びたい気持ちだけど、つとめて抑えた口調で返す。大体、あんな気持ち悪い男に触られたくない。おぞましくてミュリエルはブルっと全身が粟だった。
裸で担がれるって頭おかしい。そんな男はごめんだ。ミュリエルは部屋の奥に無表情で座っている皇帝にチラリと目を向ける。うええ、絶対イヤ。アル、早く助けに来て。
「ラウル様の命はミュリエル様にかかっているわけですが……」
側近がねっとりとラウルとミュリエルを見ながら、嫌味ったらしい言い方をする。
ミュリエルはフォークを握りしめた。その口を切り裂いてやりたい。ミュリエルはワナワナと震えながら側近の口をにらむ。
側近はややたじろいで後ずさる。
クソったれ。ミュリエルは自分の甘さに腹が立った。王子であるラウルが目的だと思っていた。ならば、自分がラウルを守ればいいと楽観的に考えていた。自分が目的なら、ラウルの命が軽くなる。
ギリギリとミュリエルは歯を食い縛る。
「分かった。好きにすればいい。協力する。ただし、ラウルは国に返して」
ラウルがハッとしてミュリエルを見る。ラウルが無事に帰れたら、ミュリエルはいつでも隙をついて逃げられる。ラウルを盾に取られると、自由に動くのが難しい。
そうだな、閨のときにアレを切り取るか、握りつぶすかして、皇帝を人質に取れば逃げられそうだ。ラウルがいない方がいいけど……。皇帝を人質に取れれば、ふたりでも逃げられるかもしれない。
ミュリエルはグルグルと必死で考える。アレをぶった斬って、そのあと耳でも切り落とすか。耳は出血が多いけど、すぐには死なないから、脅すにはちょうどいい。
ミュリエルが物騒な計画を考えている間に、側近は皇帝とゴニョゴニョやっている。
「そなたが朕の子をひとり産んだら、その少年は国に返す」
皇帝が初めて口を開いた。巨体なのに、意外と声は小さいし甲高い。
「分かった」
ミュリエルはあっさり承諾した。どうせそれまでにヤルから、どうでもいい。そのうちアルも来るだろう。
ミュリエルはあっけらかんとしているが、ラウルは真っ青だ。
ラウルは自分の存在がミュリエルを縛りつけていると、分かった。誘拐の目的は自分だと思っていたのに。自分さえ大人しく言うことを聞けば、ミリーお姉さまは助かると思っていた。自分の命を盾にとられて、ミリーお姉さまがあの男になぶられる。そんなことはあってはならない。
足手まといにはなりたくない。ラウルは決心した。