8.女は背中で語る
「……という感じでさあ、危うく不敬罪でつかまるところだった」
ブラッドとイローナがさあっと青ざめた。
「それは……さすがに想定していなかった。王族の顔を知らない貴族がいるとは……」
「だって王都に来たの、今回が初めてだし。ふたりはどうやって知ったの。」
「それは、姿絵とか、社交とか」
「姿絵かー。ないわー」
「だろうね。てことは社交経験もないんだよね?」
ブラッドが聞く。
「ん? うちの領地はみんな社交的だよ。家でも外でも、会った人とは必ず少しは会話するよ。あそこの川で魚がとれたとか、あそこの藪のラズベリーが甘いとか。そうやって助け合って生きてるからね」
ミュリエルが誇らしげに語る。
「あーうん。そうだと思った。まあ、ミリーはそのままでいいよ、うん。しばらくは騎士に近づかない方がいい」
ブラッドがミュリエルに注意してくれる。
「そうだね、そうする」
「少しずつエライ人たちを教えてあげるからね。あ、あの人はヨアヒム殿下の婚約者よ」
イローナが窓の外を指差す。恐ろしいほど輝く少女がそこにいた。朝日に輝く湖畔のような銀色の髪が、柔らかく風に揺らいでいる。瞳は驚くほど青い。
「あれは……人間?」
「うん、公爵令嬢のルイーゼ様だよ。キレイだよねー」
「キレイっていうか……表現する言葉が見つからない。あんな美しい人初めて見た。イローナもかわいいなーって見とれちゃうけど、あの人はなんか……」
「ギャー、ミリーやめてよ。ルイーゼ様と比べないで、恥ずかしい。アタシはね、庶民向けの肉を高級な調味料でごまかしてるだけだから。服と化粧だから」
イローナが真っ赤になって言い募る。
「ルイーゼ様は素材がユニコーンな上に、最高級の美容と教育を施されてるからね。モノが違うから。別格だからね」
「ふわあ〜、ルイーゼ様とヨアヒム殿下の子どもなら、とんでもなく神々しいんだろうね。楽しみだね」
イローナとブラッドが顔を見合わせる。
「どうしたの?」
「ああ、いや、その……。最近、ヨアヒム殿下とルイーゼ様の仲が、あまりうまくいってないってウワサがあってだな」
「そっかー、まだ若いもんね。ふたりとも極上の容姿だもん、誘惑が多いよね」
仕方がない、うんうんとミュリエルが頷く。
「そういえばさ、来週夜会があるでしょう。ミリー、そこが男つかまえるのに絶好の機会だから」
「そっかー、がんばるね。って何をがんばればいいんだろう? 全ての男子と踊ればいい?」
「いや、それは……まあ、足が疲れると思うが。ミリーなら可能なのか? やはり衣装ではないか?」
ブラッドがイローナを見る。
「そう、ドレスと化粧よ。見た目が全てよ。今日から練習するわよ」
「うえー」
「うえーとか言わないの。ぶっつけ本番だと転ぶよ。その靴じゃ無理よ」
「ハッ、そういえばマリー姉さんが、王都でドレス用の靴買いなさいって、お小遣いくれたんだった。すっかり忘れてた」
「任せなさい。ミリーに似合う靴を見繕ってあげる」
「わーい」
***
ミリーは母が用意してくれたドレスを持って、イローナの家を訪れた。
イローナの家は、なんというか目がつぶれそうだった。ミュリエルが目をパシパシしていると、イローナが苦笑する。
「ごめんねー、うちの両親って成金丸出しなのよ。キンキンギラギラしてるでしょう。目が疲れるよね。何度言っても聞かないのよ」
「う、うん……。なんだろ、そのー、高そうな物がいっぱいあるね。うっかり壁際寄ったら、なんか落としそうで怖い……。ははは」
「そうなのよ。高い物いっぱい買うのよ。それをさあ、とにかく全部飾ろうとするわけよ。常に足し算ね。引き算できないからね、あの人たち」
イローナが乾いた笑いをする。
「アタシの部屋は落ち着くから、早く早く」
確かに、イローナの部屋はスッキリとして居心地がよい。薄い青色の壁紙で、家具は白だ。ミュリエルはホッとした。目が痛くない部屋って素晴らしい。
「やっぱりさあ、生まれたときからお金持ちで、伝統のある高位貴族はさあ、違うのよ。いい物を見慣れてるから、厳選した家具や飾りを少しだけ置くのよね。そういうのって、小さいときからそれなりの環境で育ってないと、なかなか身につかないよね」
「この部屋はとても素敵だと思うけど」
「アタシは色々勉強してなんとかここまで来たって感じよ。アタシの婚約者は子爵の四男なんだけど、やっぱり違うもん」
「えっ、イローナ婚約者いるの?」
初耳だ。ミュリエルは目を丸くする。
「いるよー」
「ええええ、どんな人?」
「うーん、そうだなあ、まあ、優しいし紳士だよね。まあ、そんなことより、ドレス着てみてよ。合う靴を探さないといけないんだからね、時間ないよ」
ミュリエルは急いでドレスを着る。
「ど、どうかな?」
恐る恐るイローナの前に立つと、イローナがパアッと笑顔になった。
「うん、いいね、すごくいいよ。ミュリエルの良さがよく引き立ってる。すっごく大胆だけどね。袖がなくて胸の上部から肌を全部出しちゃうなんて、なかなか見ないよ。でも下品じゃないのは、ミリーの肌がよく焼けてるからかな」
「本当? よかったー」
ミュリエルはほっとした。あまりに露出が多いので心配だったのだ。
「ミリーの瞳と同じ深い緑色で大人っぽい。ゴテゴテせず、さらっと体に沿ってるから、ミリーの長身で引き締まった体が映えるよ。フリルもレースも一切ないところが、潔くていい。満点だよ」
「母さんがへそくりで作ってくれたの」
ミュリエルがはにかみながらモジモジする。
「ミリーのお母さんってもしかして高位貴族? すごく趣味がいいね」
「えーっと確か子爵だったような。詳しくは知らないんだ」
「なんで?」
「なんでだろう……。確か、父さんとの結婚でゴタゴタして、勘当されたんだったような……。親の恋愛話とかキモくて聞きたくないじゃない。いつも聞き流してた。ははは」
「あー、なるほどね。分かるわ。聞きたくないわ、そういうの」
イローナが全力で同意してくれる。
「ちょっとクルッと回ってくれる?」
ミュリエルはクルリと優雅に回ってみせる。
「わあー、ミリーの背中ってカッコイイね。近衛騎士が乗ってる馬みたい」
「馬……」
「アタシなんて鍛えてないからポヨポヨだもん。ねえ、どうしたらアタシもそんな背中になれる?」
「石投げればいいんじゃないかな。でも、胸がなくなっちゃうかもよ」
ミュリエルは、イローナの柔らかなふくらみと、自分のささやかなそれを見比べて悲しくなった。
「ああー、そっか……悩むなー。あ、でもそのドレスだと、胸の下に切り替えが入ってるから、胸が大きく見えるよ」
「ホント? これだと背中丸見えだから、寄せて上げるヤツがつけられないんだよね」
「あ、あれね。うん、なくていいよ。むしろない方がいいから」
イローナが太鼓判を押してくれた。
「じゃ、靴買いに行こうよ。どんなのがいいとかある?」
「どんなドレスにでも合う靴! といってもドレスはこれしか持ってないけど」
「そっか。そしたらスッキリした感じの、黒の靴がいいよ。何色のドレスでも大丈夫だもん」
イローナの厳しいダメ出しをくぐり抜け、ミュリエルの予算で買える黒い靴が無事みつかった。
「今日から夜会まで、家でこの靴履いてね。ちゃんと慣らしておかないと踊れないからね」
「分かった」
ミュリエルにとって、友だちとの初めての買い物だった。領地にいたときには想像もしない華やかな生活に、ミュリエルは自然と笑顔になる。
「夜会楽しみだな〜」
ミュリエルは新しい靴を履き、マチルダとジョニーの前で軽やかにステップを踏んでみせる。
「すごいよ、ミリー。お金とれるよ!」
「ホント? どこで踊ればいい?」
「……いや、ミリーには狩りの方が向いてるよ。浮気せずに狩りで儲けなさい」
「はいっ」
王都での生活もいいもんだな、ミュリエルはほんわりした気持ちになった。