78.早いのは誰だ
ヴェルニュスの領地内は騒然となった。犬が息も絶え絶えに城門まで這ってきたのだ。すぐさま鐘が六回鳴らされ、人々が集まる。
畑からも皆が戻ってきた。
「ミリーは? ラウルもいない」
アルフレッドの言葉にその場が静まり返る。
「見張りは? 何か見ていないのか?」
「あ、はい。ミリー様とラウル様が犬を連れて畑に向かわれるのは見ました」
女がビクビクしながら答える。
「いつだ?」
「えー、一時間ぐらい前かと」
「そうすると、私と話したすぐ後ぐらいだ」
ブラッドが青ざめる。
「ハリーとウィリーは犬の言葉が分かる?」
アルフレッドの問いかけにふたりは首を横にふる。
「僕はフクロウなら分かるけど……。犬は分からない」
ハリソンはハッとして、大声で叫ぶ。
「フクロウ、どーこー? ちょっと来てー」
しばらく待つとフクロウがバッサバッサと飛んできた。
「ねえ、ミリー姉さんがいなくなったの。何か知らない?」
「ホッホー」
「ワウッワウッ」
「ホッホー、ホッホホー、ホッホホー」
フクロウと犬がやかましく鳴く。
「荷馬車が来て、男が毒の吹き矢をふいて、ふたりは荷馬車で連れ去られたって。ミリー姉さんは無事だけど、ラウルは吹き矢に当たったって。ミリー姉さんはラウルを助けるために、荷馬車に乗ったらしい」
ハリソンの言葉にアルフレッドが犬とフクロウを見る。
「荷馬車はどっちに向かった?」
「南の方だって。ミリー姉さんが、フクロウと犬で追いかけてこいって言ったらしい」
「よしっ、今すぐ追いかける。馬を引けっ」
「僕、魔剣取ってくるー」
ウィリアムは、城塞に向かって駆け出した。フクロウがウィリアムをつかまえて、飛び上がる。
「うわあぁぁぁぁぁ」
しばらくして、魔剣を抱えたウィリアムが、フクロウにぶら下げられて戻ってくる。
「護衛全員でミリーとラウルの後を追う。石投げ部隊は領地に残す。皆、城門は全て閉じ、戦いに備えろ。誰も入れるな」
「はっ」
「ジャック、王都に至急連絡を。じい先生、あとのことは頼みます」
「お任せください。殿下、ご武運を」
「ああ。……止めないのだな」
「止めても無駄でしょうに」
ジャックとじい先生はため息混じりに言う。
「僕たちも行くからね」
ハリソンとウィリアムが言う。
「ハリー、ウィリー。頼む、残ってくれ」
アルフレッドがふたりの肩に手を置いて懇願する。
「ダメ、絶対行くからね。犬とフクロウの通訳できるの僕だけでしょう」
「魔剣は僕が持つから。犬に乗るし。絶対行くからね」
ハリソンとウィリアムは引き下がらず、さっさと犬の背にまたがった。アルフレッドは諦めた。
「殿下、こちらをお持ちください。これはサイフリッド商家の通行手形です。これがあれば、主な関所は素通りできます」
デイヴィッドはアルフレッドに通行手形を渡す。
「ありがとうデイヴィッド、助かる」
アルフレッドは通行手形を上着の内ポケットにしまった。
「よし、では出発する。必ずミリーとラウルを取り戻す。そなたらは、領地をなんとしてでも守れ」
「おうっ」
男たちは犬とフクロウを追って馬で疾走する。残された領民は城門をしっかり閉ざし、跪いて祈りを捧げた。
***
ポタン ポタン 何か冷たいものが顔に当たる。
ミュリエルはそっと目を開けた。ラウルがミュリエルの頭を抱えて泣いている。
「ラウル……」
ミュリエルは声を絞り出した。小さなかすれ声しか出ない。頭がガンガンする。ラウルはさっと顔を上げてミュリエルを見つめる。
「ミリーお姉さま……」
ラウルはさらに号泣した。
「ラウル、解毒剤は飲んだのか?」
ミュリエルの手の中には、まだガラス瓶が握られたままだ。
「うん、男たちが飲ませてくれた」
「そうか。気分はどう?」
「大丈夫。まだちょっとフラフラするけど……。ミリーお姉さまは?」
「うーん、頭がガンガンする……」
ミュリエルはそろそろと起き上がる。ゆっくりと立ち上がって体を順番に動かす。なんだか頭がグラグラするけど、それ以外は大丈夫そうだ。
「大丈夫みたい。ところでここはどこ?」
ミュリエルはグルリと周囲を見回す。小さな木造の部屋だ。
「船の中です。おそらくアッテルマン帝国に向かっています。あいつらが話しているのを聞きました」
「ええー、ひょっとして、今って海の上?」
「はい……」
「うわー最悪だ。海だと犬たちが匂いをたどれない……」
ミュリエルはがっくりと床に崩れ落ちる。ラウルも床にペタンと座った。
「参ったな。どうしようか」
ミュリエルは情けない顔でラウルを見る。ラウルが口を震わせる。ミュリエルはラウルの肩をしっかり抱いた。
「ごめん、弱気になっちゃった。大丈夫、きっとアルが助けに来てくれるよ」
「はい」
「まだ殺されてないってことは、しばらく大丈夫ってことでしょう? 皆殺しにしてでも生き残ろうね。大丈夫、私は強いから」
「はい」
「アッテルマン帝国かー、調べたばっかりでよかったね。ろくな情報なかったけども」
ミュリエルはうーんと考える。
「よしっ、祈るわ」
「え?」
「私は森の娘。母なる大地と石の神の加護を受けてるよ。きっと助けてくれる。でないと、なんのためにあんな死ぬ思いしてまで、血を捧げたんだか。せめてあの血の分は助けてもらうんだから」
ミュリエルはドンっと胸を叩いた。ラウルが少しだけ笑う。ミュリエルはガラス玉の腕輪を外すと、両手でしっかり握って跪く。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。我、森の娘ミュリエル。我に力を与え給え。石の民、ラウルを守り給え」
ミュリエルは静かに続けた。
「アッテルマン帝国だ」
***
その頃、港では犬が右往左往グルグルやみくもに回っている。
「ヒンヒンヒン」
「ホッホー」
「ここで匂いが途切れてるって」
ハリソンが青い顔をして言った。
アルフレッドは港の管理事務所に足早に向かった。ダンダンっと扉を叩くと、返事を待たずに開ける。
「ローテンハウプト王国の王弟、アルフレッドだ。責任者を出せ」
受付けの女は小さく叫びながら立ち上がり、部屋の奥に走って行く。すぐに男が汗をダラダラかきながらやってきた。
「ああああアルフレッド王弟殿下。いかがなさいましたか?」
「この港から出港した船の一覧を出してくれ。ここ二時間あまりだ」
「ははははい、こちらでございます」
アルフレッドは紙の束を上から順に調べて目をギュッとつぶる。
「クソッ、分からん……。ミリー……」
アルフレッドは机を強く叩く。ふとミリーの声が聞こえた気がする。
「アッテルマン帝国……」
アルフレッドはもう一度紙をめくる。あった。
「アッテルマン帝国だな。よし。確か近くに軍港があるな」
「はいっ、ここから馬なら半時間ほどで行けます」
「よし、ありがとう。もし誰かミリーの名前を出す者が来たら、アッテルマン帝国に行けと伝えてくれ。いや……書いておこう、その方が間違いがない」
アルフレッドは紙にさらさらっと書くと、署名をし、男に渡した。
「ミリー、もしくはミュリエルの名前を出す者に、この紙を見せろ。そして、十分に便宜をはかってくれ」
「はいっ」
アルフレッドは馬に飛び乗ると、軍港に向かって駆けた。犬もフクロウも男たちも大慌てでついていく。
***
「アッテルマン帝国」
ロバートは屋敷の執務室で突然叫んだ。ばあさんたちが屋敷の庭に集まり、執務室の窓に向かって叫ぶ。
「さっき、姫さまの声が聞こえました。この腕輪から……」
ばあさんたちは腕輪を持ち上げて震えている。ロバートはばあさんたちに窓から声をかける。
「俺にも聞こえた。ミリーに何かあった。助けに行く」
「でも、どうやって? 早馬もないし、荷馬車の馬じゃいつまで立っても着かないよ」
執務を手伝っていたジェイムズが拳を握ってワナワナ震える。ロバートはしばらく宙をにらんで考える。
「クロを貸せ」
「分かった」
「行ってくる」
ロバートは金貨の袋をカバンに突っ込むと、魔剣と弓をかつぐ。ロバートは部屋に入ってきたシャルロッテを抱きしめた。シャルロッテは静かに告げる。
「ミリーをお願い」
「任せろ」
ロバートは屋敷を出るとクロに乗り、ジェイムズの肩を叩いた。
「領地のことは頼んだぞ、ジェイ」
「はいっ」
ロバートはクロに乗って疾走する。どの馬よりも速く、クロは駆けた。
***
ローテンハウプト王国の王都では、王宮に女性たちがあふれている。
「さきほど、ミリー様の声が聞こえました。アッテルマン帝国だって」
「わたくしもです。腕輪が少し光りました。そして声が聞こえたのです」
「ミリー様に何かあったに違いありません」
「どうか、助けてください」
王はヒーさんと話し合い、至急アッテルマン帝国に使者を送ることに決める。一騎当千の精鋭部隊が港に向かって出発した。
***
「任せなさい」
パッパは北の漁港で叫ぶ。漁師たちがギョッとしてパッパを見つめる。
「どなたかアッテルマン帝国まで連れて行ってください。金はいくらでも出します」
パッパはすぐに最も速い船に乗り込んだ。
「戦える人は来てください。金は弾みます」
パッパの言葉に、漁港の荒くれ男たちがニヤリと笑った。パッパは金払いのいい商人として、既に漁港で有名だ。
「俺が行くぜ」
「俺もだ」
「俺たちの本気を見せてやろう」
「最速でアッテルマン帝国まで着けてやる」
パッパは朗らかに笑った。
「お願いしますよ。私は商売は得意ですが、荒ごとは苦手ですからね」
「おうっ、任せろ」
アッテルマン帝国に向けて、人々が動き出した。
さあ、早いのは誰だ。