76.難しい課題
「さあ、今日から各国の女性の地位について考えましょう」
じい先生がミュリエルとラウルに告げる。
「これは実に難解な課題です。五日間かけてじっくり取り組みましょう。まず今日は、おふたりには誰とも相談せず、資料を読み込んでいただきます」
じい先生が大量の本と資料を積み上げる。ミュリエルとラウルが青ざめた。
「明日は、ミリー様とラウル様はふたりで話し合ってください。今日調べたことを中心に、今後何をどう調べるのか、おふたりで決めてください」
ミュリエルとラウルはゴクリと唾を飲み込み、頷く。
「三日目は、他の人に聞きに行く。四日目が発表。五日目は考察です。よろしいですか?」
「はい」
「調べるのは四か国のみで結構です。ローテンハウプト王国、元ムーアトリア王国、ラグザル王国、そして海を挟んだ隣国のアッテルマン帝国です」
「はい」
よかった、四か国ならなんとかなりそうだ。ふたりはホッと息を吐く。
「始める前に、ひとつ確認します。おふたりは、失敗することについてどうお思いですか? はい、ミリー様」
「うーん、狩りでの失敗は命に関わるから、絶対に避けたい。狩り以外での失敗は、私は気にしないかなー」
「なるほどなるほど。では、ラウル様」
「うむ、余は失敗すると王位が遠ざかる。なるべく失敗しないように周りから言われておる」
「ふむ。よく分かりました。おふたり共たいへん素晴らしい。命に関わること、立場に関わることは失敗できない。その通りです。ですが、学びの場においては、大いに失敗してください」
「そうなのか?」
ラウルは怪訝そうな顔をする。今までは失敗は死を意味するぐらいのことを言われてきたが。
「失敗を恐れては、小さくまとまってしまいます。失敗を恐れず、自由に思考を羽ばたかせるのです。そして、失敗はどんどんすべきです。人は失敗からこそ、より多く学ぶのですよ」
「うむ、それは余には難しいな……。もの心ついて以来、常に失敗してはならないと言われ続けてきた」
ラウルは困ってズボンの膝あたりをギュッと握った。
「ラウル様、ここはラグザル王国ではありません。そうですねえ、こうしましょうか。毎日、ひとつ失敗すると決めてください。そうすれば、あなたはもっと大きな人間になれるでしょう」
「うぬぬ……。分かった。ミリーお姉さまに失敗のやり方を教えてもらってもよいか?」
「はははは、もちろんですとも。失敗のやり方さえ、人に聞こうとする。ラウル様は真面目が過ぎますぞ。もう少し肩の力を抜きなされ。ここにはあなたの失敗を告げ口する者などおりません」
「うむ。善処する」
ラウルは何度も頷いた。
「それでは、今日はおひとりで資料と向き合ってください。悩み、もがき、失敗し、そこから学ぶのです。さあ、打ちのめされてください」
じい先生は高笑いしながら部屋を出ていった。ミュリエルとラウルは資料の山に途方に暮れる。ミュリエルはラウルを見て、肩をすくめると、資料を半分ラウルの方に近づけた。
「じゃあ、よく分かんないけど、読もうか」
「はい、ミリーお姉さま」
ふたりは積み上がった資料を次々読んでいく。ミュリエルの眉間には深々とシワがより、ラウルのため息を吐く回数が増える。
途中でラウルが資料を分け始めた。
「えーこれはひとり言ですが。資料が混ざっていると、頭がこんがらがります。国ごとに分けて読んでいくと、頭に入りやすいように思います」
「ラウルー、あんたっていい子だねー。天才か」
ミュリエルはウルウルしながら資料を分けた。それでも、まだまだまだまだ読むものがある。ふたりはガックリとうなだれた。
「あー、もう無理。休憩しよう、休憩」
ミュリエルがペンをポーンと投げて、立ち上がった。肩をグリグリ回し、突然逆立ちする。
「ミリーお姉さま、何を……。例えズボンだとしても、はしたないのでは……」
ラウルが真っ赤になった。ミュリエルはいつもズボンを履いているから、下は大丈夫だが、お腹が少し見えている。
ミュリエルはシュタッと立ち上がる。
「ごめんごめん。逆立ちすると、頭がスッキリするよ。ラウルもやってみなよ」
「余は逆立ちなどしたことがありません」
「え、そうなの? じゃあちょうどいいじゃない。今日の失敗は逆立ちにしたら? ほら、支えてあげるからやってみなさい。下はフカフカ絨毯だから安全だし。ほれほれ」
ラウルはしばらくためらったが、息を深く吸って目をつぶり、思いっきり絨毯に飛び込んだ。
「うわーーー」
ミュリエルがすんでのところでラウルを受け止める。
「ちょっとちょっとー、首の骨折るところだったよ。あっぶなー」
ミュリエルは逆さに持ち上げたラウルをグルリと回して立たせてあげる。ラウルは恥ずかしくて小刻みに震えている。
「ごめん、一緒にやったげる。壁際でやってみようか。手と頭を床につければ安心かな。こうやって足を思いっきり振り上げる」
ミュリエルは何度か見本をみせた。ラウルは足を上げてはヘナヘナと崩れ落ちるのを繰り返す。
「で、できた……」
何十回目かの挑戦で、ラウルはついに逆立ちに成功した。ミュリエルが拍手喝采する。ラウルはグシャアと崩れると、力なく言う。
「腕がプルプルします。今日はもう何も書けません……」
ミュリエルとラウルは床に転がってひとしきり笑った。
「じゃあ、ラウルが読んで、大事なことを言ってくれたら私が書きとめるから」
「それは……じい先生の言いつけに背いているのでは?」
「もーラウルは真面目だなあ。ラウルのひとり言を私がたまたま書きとめるだけだし。話し合ってないし。いいのいいの」
「はい、ミリーお姉さま」
ふたりは静かに読み、たまにラウルの大きなひとり言をミュリエルが書く。三割ぐらい読み終わった時点で、ミュリエルが飽きた。
「はーい、今日はもう終了でーす」
「う、まだ外は明るいではありませんか」
「これ以上読んでも頭に入らない。明日やろう、ね」
ミュリエルはラウルのペンを奪うと、資料を片付ける。ラウルの腕を引っ張ると台所に連れて行く。
「ミリー様にラウル様。いかがなさいました?」
料理人たちがニコニコと問いかける。
「もうさー、今日の課題が難しくって。お腹減っちゃった。何か甘いものが食べたいでーす」
「では、きちんとスープとパンを召し上がっていただきましょう。その後にケーキをお持ちしますよ。天気がいいですから、庭で召し上がってはいかがですか?」
「いいね、じゃあ待ってるー」
ふたりはのんびりと庭でごはんを食べた。途中でアルフレッドとブラッドも合流する。
「いやー、王族って大変だね。失敗したら王位が遠のくって。十二歳の子どもが言うことじゃないよ」
ミュリエルはラウルを気の毒そうに見つめる。
「王族にとってはそれが当たり前だと思います。国の頂点に立つわけですから。アルお兄さまはどうでしたか?」
アルフレッドは上品な手つきで口もとを拭くと、ラウルに向き合う。
「そうだな。ローテンハウプト王国では男子の長子が王になるのだ。だから、王位継承権を持つ者全員で王位を競い合うラグザル王国とは、異なる部分が多いかもしれない。まあ、王家の威信を傷つけてはいけないという点では、確かに失敗は許されないな」
「失敗してはいけないという重圧は、どのように乗り越えたのですか?」
「ふふ、僕はね、女性が苦手という圧倒的な弱点があったんだよ。誰とも婚約したくないと二十五年間、無理を押し通した。だから、その王族としてあり得ない瑕疵を挽回すべく、できることはなんでもやったよ」
「そうだったのですね……」
アルフレッドが優しい目でラウルを見る。
「ラウルは王になりたいんだね?」
「はい。良き王となり、ラグザル王国を繁栄させたいと思っております」
「そうか、ラウルは立派だ。それなら、なるべくラグザル王国では失敗しないようにがんばれ。その代わり、ここで色々試せばいい。挫折を知っている方が、人の痛みの分かる人間になれると思うよ」
「はい」
ラウルはまだ腑に落ちない感じで、首をひねっている。
「そうだな……。運動をすると体が痛くなるだろう? それは筋肉が傷ついているかららしい。だけど、傷ついた筋肉はより強くなって復活するのだそうだ。じい先生が言ったことは、そういうことだと思うよ」
「たくさん失敗すると強くなるのですね」
「そうだ。心が強くなる。少しぐらいの失敗なら、ねじ伏せられるようになるよ。王なら、白を黒と言い切らなければならない局面も出てくるからね」
「分かったような気がします」
ラウルの顔が明るくなった。
「ここで新しいことに挑戦して、たくさん失敗すればいい。それに、万一王になれなくても、生きてさえいれば、ここに逃げてくればよい。ラウルひとりぐらいなら、いつでも養えるからね」
「はい、アルお兄さま」
ラウルはたくさん失敗しようと決めた。そして立派な王になるのだ。もしなれなかったら、ここで皆と暮らせる。そっちの方が楽しそうだったりして……。
でも、まずは王になるためにやれることはやってみよう。ラウルはモヤモヤしていた未来への道が、少し明るく晴れたような気がした。
ムーア王国→ムーアトリア王国に変更しました。
ムーア人が実在すると分かりまして……。