75.ジャックの忙しい休日
私はジャック・グロース、アルフレッド王弟殿下の侍従です。年齢は三十五歳、殿下の十歳上です。私は代々王家の侍従や侍女を輩出してきた、グロース伯爵家の三男です。
私が十歳のとき、アルフレッド王弟殿下がお産まれになりました。その時から、私はアルフレッド殿下に仕えることが決まったのです。なんと光栄なことでしょう。
幼い時から、侍従になるための技術をみっちりと仕込まれました。私はいつでも準備万端です。殿下が五歳になられたとき、ようやく侍従として仕えることが許されました。神に感謝いたします。
殿下は幼い時から聡明で、全く手のかからないお子様でいらっしゃいました。産まれながらの王族とは殿下のことでしょう。何事も熱心に学ばれ、兄上を補佐することを喜びとされる、王弟の見本のようなお方でいらっしゃいます。
見目麗しい殿下には、貴族からの熱い視線が注がれます。私の役目は、有象無象の邪な貴族から、殿下のお心をお守りすること。鉄壁の盾であることを心がけております。
何事も卒なくこなされる殿下が、たったひとつ苦手なこと、それが女性関係です。ミリー様に出会うまで、殿下は結婚などとうに諦めていらっしゃいました。
子を成すことを求められる王族が、女性に心が動かない。殿下はどれほど悩まれていたでしょう。それは私とエルンスト陛下にとっても同じです。
ああ、ミリー様。ミリー様がアルフレッド殿下の心をとらえられたとき、どれほど陛下がお喜びになられたか。ふたりで祝杯をあげたのは、良い思い出です。
アルフレッド殿下がミリー様をご覧になる目。愛情があふれて私などは溺れてしまいそうです。おお、神よ。ありがとうございます。
殿下とミリー様がご結婚されてから、私に新たな仕事ができました。それは、おふたりの愛の軌跡を書き記すこと。
王都で今最も売れている、王子とおてんば令嬢の恋物語は、何を隠そう私の作品です。イローナ様とパッパにぜひにと請われ、試しに書いてみたところ、飛ぶように売れております。もちろん売上の一部は王家に納めさせていただいております。
殿下はもちろん、陛下にも私の執筆については報告しております。陛下は大喜びで、
「ジャック、私に真っ先に読ませるように。王として、世に出してよいかどうか判断せねばならん」
とおっしゃいます。実際は止められたことなど一切なく、
「いいぞ、もっと赤裸々に書け」
とけしかけられてばかりです。本当によろしいのでしょうか……。たまに不安になりますが、他ならぬ陛下のお言葉です。私は粛々と従うばかりでございます。
殿下は遠い目をされて、あまりお読みにはなりません。ですが、この本が口うるさい貴族連中を黙らせるのに効果があることは明らかですので、好きにさせていただいております。
ミリー様には小説については申し上げておりません。なんとなく、その方がいい気がするのです。もしお伝えすると、ミリー様がギクシャクして、おもしろいネタが得られなくなりそうではありませんか。
アルフレッド殿下は王族ですから、人にあれこれ言われたり、注目されることには慣れきっていらっしゃいます。ミリー様はそうではありませんからね。私の無用なひと言で、ミリー様のお心が曇るようなことはあってはなりません。
今日はそのミリー様のひと声で、休暇になってしまいました。ダンはさっさと領地の未亡人の家にしけ込んでおります。全くあの男は。まあ、後腐れなく遊ぶのがうまい男なので、心配はしておりませんが。
「ジャックもたまには女遊びしたらどうだ?」
ダンはそんなことを言っておりましたね。余計なお世話です。私はヴェルニュスで遊ぶつもりはありません。王都では、それなりにまあ、ありましたが。身の程をわきまえた未亡人などは、ええ、言葉は悪いですが便利な存在です。
未婚の女性には決して手は出しません。殿下にどのような悪影響があるかわかりませんからね。わきまえているはずの未亡人の中でも、何をとち狂ったか、アルフレッド殿下へのお目通りを望むバカ者もおりました。もちろん、その瞬間に関係は終了です。
未亡人とは最初から細かに取り決めをして、契約書を交わします。そうでなければ、関係など持つ気にもなれません。殿下にご迷惑をおかけすることは絶対にできません。
ヴェルニュスはあまりにも小さい。ここで女遊びなど、私には恐ろしくてとてもとても。
さて、せっかく時間ができたのです。次回作の執筆を始めましょう。実はイローナ様に密かに打診をされたのです。
「ジャックさん、ラグザル王国のジャジャ馬王女の活劇、書いていただけないでしょうか」
イローナ様には申し訳ないですが、即座にお断りさせていただきました。なぜ私が殿下の天敵の物語を書かなければならないのでしょう。あり得ません。イローナ様もダメだろうと思いつつ、聞いてこられたようです。
「聞くのはタダですから」
平然とおっしゃいました。すご腕の商人一家は肝がすわっています。そこで、私から助言をさせていただきました。
「レイチェル王女の元侍女、ロゼッタに頼んでみてはいかがですか? ラグザル王国の牢屋でまだ生かされております。牢獄生活は暇でしょうから、たくさん書けると思いますよ。元侍女ですから、王女たちの情報にも明るいでしょう」
イローナ様は大きな目をさらに大きくされて、喜ばれました。
「ジャックさん、さすがですわ。父に相談して、ラグザル王国の上層部に持ちかけてみますわ」
たくましい女性です。サイフリッド商会には、国境は関係ないのでしょうね。売れればよい、そういうことでしょうか。
ラグザル王国の王女には全く執筆意欲がわきませんが、殿下とミリー様についてならいくらでも書けます。さて、どの逸話を書きましょうか。
前作は、田舎で健やかに育った天真爛漫な令嬢が、心を閉ざした王子とお茶会で出会い、少しずつ心を通わす内容にしました。多少は脚色しないといけませんからね。事実の方が、本よりもはるかに波瀾万丈なのですが、仕方ありません。猪に襲われた王子を、おてんば令嬢が助けるなんて、荒唐無稽過ぎて読者に呆れられてしまいます。
イローナ様が言うには、貴族のお茶会や舞踏会については、平民女性が興味津々だそうです。おふたりの舞踏会でのことを書きましょう。実際はミリー様は食べてばかりでしたが……。それではおもしろくないです。
香水の匂いで気分が悪くなった王子が、バルコニーに行くことにしましょう。高位貴族令嬢たちにいじめられたおてんば令嬢が、バルコニーに逃げてくる。そこでふたりだけで踊るのです。
「君は太陽の匂いがする」
これぐらいは入れてもいいでしょう。脚色したお話に、少しだけ真実を混ぜる。それが売れる秘訣です。
慣れない靴で足を痛めた令嬢が、裸足で踊るのもいいかもしれない。普段は見ることができない、女性の素足に心を揺らす王子。よいではないか、よいではないか。
気の利く侍従が、ふたりのためにケーキを運んできてもいいですね。王子が令嬢にあーんと食べさせるのです。尊い。
ふふふふ、次回作も大売れ間違いなし。
ジャックは普段は決して見せない、ニヤけた笑顔でせっせと執筆に励んだ。全く休暇になっていない。ミュリエルに見つかると怒られるぞ。