72.いい男とはどのように
「余はミリーお姉さまが納得できるぐらいの、いい男になります」
ラウルが鼻息荒く宣言する。
「じゃあ、狩りだな」
ミュリエルはあっさり答えた。ラウルは生真面目に頷く。
「狩りですか。確かに、数百人の勢子を指揮し、猟犬を操り獣を追い立てるのは、実戦の練習として我が国でも重んじられています」
「えーっと、セコってなんだっけ?」
「勢子とは、獲物を追い立てる農民などですね。鹿や狼などを大声を上げながら、一定方向に向かわせるのです。そこを貴族が馬で狩りつくします」
ミュリエルが思いっきりしかめっ面をする。
「うう、それは私の知ってる狩りとは違う……。セコの無駄遣い……。セコが狩ればいいじゃないのよ」
「それでは貴族の見せ場になりません」
「なるほど……。困った、どうしよう」
ミュリエルは頭を抱える。じい先生が助け舟を出した。
「ミリー様にとっての狩りとはどのようなものですか?」
「農民というか、領民がその日のごはんを狩るの。見せ場とかはどうでもよくて、仕留められればいいの。もちろん、オオカミなんかは集団で追い立てながら狩るよ。その場合も全員できっちり肉は分けるよ。でないとみんなが仕留めたがって、狩りが無茶苦茶になるから」
「なるほど、ミリー様にとっては食べるための狩り。ラウル様にとっては、王侯貴族の武勇のための狩りですな」
じい先生がアゴをさすりながらラウルを見る。
「余は、ミリーお姉さまの食べるための狩りを学びたい」
「分かった。教えてあげるね。まずは石投げができる体作りからだよ」
「私にも教えてくだされ」
ラウルとじい先生の布振り特訓が始まった。王都から来た石投げ部隊や、領地の女性たちも一緒になって訓練する。
「これは、なかなか理にかなっておりますな。背中と肩の筋肉がよくほぐれます」
じい先生は息を切らしながらも、感心している。老人にしては素晴らしい筋肉だ。
ラウルは訓練の合間に、領地の女性にいい男とはどのようなものか聞きまくっている。皆、クスクスと笑いながら答えてあげる。
「そうですね、私にとってのいい男は、静かな人ですね」
「どういうことだ?」
「私の夫は、あのー、ラグザル王国出身でしたが……。機嫌が悪いと机を拳でガーンって叩くのです。私、その音を聞くとビクッとして、体が動かなくなって……。今でも大きな音を聞くと体が固まります……。だから、大きな音で脅さない人がいいですね」
「それは……。我が国の者がすまなかった。ラグザル王国の女性は強いので、女性も机を叩いて不満を表すのだ。ムーアトリア王国の女性はそうではないのだな」
ラウルはすまなそうな顔で謝った。
「そうだったのですね。私も負けずに机を叩けばよかったのですか……。今ならできそうな気がします」
女性はたくましくなった二の腕をさすりながら笑った。別の女性が声を上げる。
「私は子育てを一緒にやってくれる男性がいいです。私の夫もラグザル王国出身でしたが、家にいるときはソファーから一歩も動きませんでした。召使いや乳母の数も減って、私の負担が増えたのですが、夫は何もしてくれませんでした」
「そうか……。ラグザル王国では、家事と育児は召使いの仕事なので、男が手伝うという意識がなかったのだと思う。すまない……」
「いえ、ラウル様に謝っていただく必要はありません。あのとき、私が夫と話し合えばよかったのかもしれません。あの頃は怖くて、言えませんでした。今なら言えそうです」
その女性も石を的に当てながら嬉しそうに言う。
「女性が怖がらずに、考えを言えるようにしなければならないのだな……」
「そうですね、女性がどれだけ鍛えたところで、男性の力には敵いませんから。怖いと思ってしまうと、どうしても言えなくなりますね」
「そうか……。ラグザル王国の女性は、ものすごく気が強いが……。あれはなぜなのだろう」
ラウルが宙を見上げてじっと考える。じい先生はニコニコした。
「それはおもしろい観点ですね。狩りができるようになったら、次の課題は国ごとの女性の強さと理由を調べてみましょう」
「はい……」
ラウルは課題が増えて、うっという顔をしている。
ラウルとじい先生が、石投げがそれなりにできるようになった。
「それでは、森に行こう。ハリーとウィリーと私がふたりを守るからね。安心して狩ってね」
「ミリー、せめてもう少し護衛をつけてくれないかな?」
アルフレッドが心配を隠しきれない表情で懇願する。
「あまり人数がいると狩れないんだよね。だって今日の獲物はウサギだよ。大人数で行ったら、絶対出てこないよ。猪とかが出たらふたりを真っ先に逃すから、大丈夫」
アルフレッドはやきもきしていたが、ダンの視線を感じて渋々頷く。ダンは小声で言った。
「殿下、私の命に代えても、ミリー様とラウル様をお守りします」
「分かった。そんなことになる前に、角笛で応援を呼んでくれ」
アルフレッドの言葉にダンは角笛を見せて頷いた。
ミュリエルたちが意気揚々と森に向かったあと、アルフレッドは護衛と石投げ部隊に指示をした。屈強な男たちは、森の外側でいつでも救出に向かえるように待機をする。アルフレッドは執務室で書類を見るものの、まったく頭に入らない。
ミュリエルたちは森の中で最後の確認をする。
「ラウルとじい先生は、木登りはまだできないよね。ハリーとウィリーが少し離れた木の上から見守るからね。もし危ない獣が出たらすぐ逃げよう」
「はい」
ラウルとじい先生は真剣な目でミュリエルに答える。
「今日は初めての狩りだから、土をつけておこう」
ミュリエルは手で土をすくうと、指でふたりの額と目の下に少しだけ土をつける。
「母なる大地、ふたりにご加護をお与えください」
ミュリエルは静かに祈った。
「さあ、これからは忍耐だよ。森と一体になって、ひたすら待つだけ」
三人は大きな木の陰でじっと片膝だちで待つ。たまに膝を替えながら呼吸だけに意識を集中する。
森の匂いがする。土の匂いかな……。ラウルは少しだけ目を閉じて深く息を吸う。目を開けて、耳を澄ます。鳥の鳴き声、ピチピチとかわいい声。ガーカッカッカ、あの下品な鳴き声はカササギだ。尾が長く、燕尾服を着た紳士のような優美な鳥なのに、鳴き声がひどい。
隣にいるじい先生の気配はよく分かる。ミリーお姉さまとハリーとウィリーは全く分からない。ミリーお姉さまなんて、すぐ隣にいるはずなのに、すごいな。ラウルはそっと左にいるミュリエルに目をやった。
ミュリエルは静かな目でかすかに微笑んでいる。ミュリエルの目がかすかに瞬き、ラウルを見る。
ラウルは石をギュッと握りしめた。
カサッ カサカサカサッ
ラウルは夢中で石を投げた。ひとつ、ふたつ、みっつ。隣でじい先生も投げている。
はっはっはっ ラウルは自分の吐く息がやけに大きく聞こえた。
「よくやった」
ミュリエルが静かに言う。
「し、仕留められた?」
「うん。ふたりで一匹だけどね。最初はそれで十分だよ。さあ、行こう」
ミュリエルは物音ひとつ立てずにスッと立ち上がると、静かに藪の向こうに行く。
「ラウル。さあ、命をいただくんだ」
ミュリエルがラウルに短剣を渡す。ラウルは震えながらミュリエルに続いて祈りを捧げる。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。今日の恵みを感謝いたします」
ラウルは震える手を必死で抑えながら、短剣でウサギの喉を切った。赤い。赤い血がドクドクと流れる。
「うぐっ」
ラウルは思わず込み上げるものをウサギの横に吐いてしまった。
ミュリエルは何も言わずに土を掘ると、血とラウルの出したものの上に土をかけた。
「さあ、行こう」
ミュリエルはウサギをラウルに持たせると、さっさと歩いて行く。後ろから静かにハリソンとウィリアムが追いつき、ラウルとじい先生の背中を叩く。
森の外に出ると、屈強な男たちが不自然に布振りの訓練をしている。
「ははは、心配症だなーみんな。大丈夫、ふたりはちゃんと狩れたよ」
ミュリエルが声をかけると、男たちは口々にラウルとじい先生を褒め称える。
「もうウサギを狩れるなんて、素晴らしいです」
「石投げを始めて間もないのに、もう立派な石の民ですね」
「次は鹿をお願いします」
ラウルはなんとか返事しようとするが、言葉が出てこない。血の色とウサギの目。手に持った柔らかい物体。ラウルはまた吐きそうになって、必死で飲み込んだ。
ミュリエルはラウルの頭を優しく叩く。
「これが、命をいただくということだ。ラウルは王族だ。いずれ部下たちに、国のために死んでくれと言わなければいけない。今日のことを決して忘れてはいけないよ」
「はい、ミリーお姉さま」
ラウルは右手の柔らかいウサギをしっかり握った。これが命の重さ。ラウルは決して忘れまいと心に誓った。