70.勝者が歴史を作る
ミュリエルとラウルはローテンハウプト王国の帝王教育を受けている。
ミュリエルは事前にアルフレッドに、本当にいいのか聞いてみた。
「ローテンハウプト王国の王族が受ける教育だよ。他国の王子に教えて本当に大丈夫?」
「大丈夫。隣国の王子がバカですぐ暴力に訴えるよりは、話し合いで解決できる方がいいだろう? それに早期の思想教育で我が国に敵対しないよう、シツケをできるんだ。素晴らしいではないか」
「せ、せんのう……」
「ミリー、洗脳ではない。物事を柔軟に、多面的に見られるように育てるんだ。洗脳とは真逆だよ」
アルフレッドの笑顔がなんだかすごかったので、ミュリエルはそれ以上は気にしないことにした。王弟がいいと言っているのだ。いいのである。
数々の王族を鍛えてきた老師は、老人にしては体ががっしりとして、まだまだ長生きしそうな感じだ。帝王学の先生というよりは、体術の先生の方が似合いそうな、覇王感がある。
「じいさんと呼んでくだされ」
「じいさん……」
そんなんでええんかいな、ミュリエルは気になったが、本人がそう言うならそう呼ぼう。
じいさんから早速課題が出た。
「歴史は勝者が作る。この言葉をおふたりに実感してもらいましょう。この二十年、この地で何が起こって、何が起こらなかったのか。それを調べてまとめてください。明日のこの時間に発表してください」
「ええっと、それは元ムーアトリア王国の人たちに質問しろってこと? そんな傷口に岩塩を塗り込むようなことはちょっと……」
ミュリエルが情けない顔をする。
「ミリー様、今歴史を直視しなければ、真実は二度と浮かび上がりません。また侵略されて右往左往するぐらいなら、ここで恐ろしい事実を皆が受け止めるべきではありませんか?」
「確かに……」
「ミリー様は、今また侵略されたらどう対応すべきなのか、そのこともお考えください」
「はい」
ミュリエルは真剣な顔で返事をする。
「ラウル様は、自国で習った歴史。ここの人が語る歴史。それらの差異に注目してください。傷ついた人たちに聞きにくいことを聞いてください。聞きたくないことをたくさん聞くでしょう」
「はい」
ラウルも真面目な顔で頷く。ミュリエルはしばらく考えた。
「ラウル、まずは一緒にアルフレッドに聞きに行こう。第三者から見てどうだったかは、参考になると思う」
「はい、ミリーお姉さま」
アルフレッドはミュリエルとラウルの話を聞くと、本棚からいくつか古い書類を取り出す。
「これが、ローテンハウプト王家に伝わっている話だ。ラウル、君の知っている歴史とは異なるだろう。覚悟はあるかい?」
「はい、アルお兄さま」
「では、ふたりで読みなさい。読むのは辛いと思うが……」
ミュリエルは読み進むにつれ、胸が苦しくなった。ラウルをチラッと見ると、顔を真っ赤にしてブルブル震えている。
「嘘だ、こんなのは嘘だ。父上は、ムーアトリア王国の虐げられていた女性を救ったと仰った。真の王を知らぬ無知な民を、青き血を持つ由緒あるラグザル王国が導いたのだと」
「ラウル、人の数だけ真実がある。何が本当かは誰にも分からない。色んな見方があるということを、知っておくといい。これはあくまでもローテンハウプト王家に伝わった歴史だ。真実かどうかは分からない」
アルフレッドの言葉に、ラウルはうつむいて唇を噛み締めている。
「ラウル、これは画家のユーラが描いたダマシ絵だ。ラウルには何に見える?」
「鳥の頭に見えます」
アルフレッドが笑顔で頷く。
「ミリーには何に見える?」
「え、ウサギだよね。ここが耳でしょう」
「そう、ここを耳にするとウサギ。クチバシにすると鳥だ」
「ああっ、もう鳥にしか見えなくなった」
ミュリエルが叫び、ラウルはポカーンとしている。
「おもしろいだろう。人の目はこれだけ惑わされるということだし。人によって見えるものは違うということだ。ラウル、分かるかい?」
「はい。色んな視点で物事を見て、判断するということですね」
「そうだ。人の数だけ真実がある。王族なら、色んな視点を持たなければならない。自分の見たくないことをこそ、まっすぐ見ないといけない。そして、それを教えてくれる人を遠ざけてはいけない」
「はい」
ラウルは何度も頷く。アルフレッドはラウルを見つめて静かに言う。
「さあ、色んな人に聞いておいで。真摯に問えば、教えてくれる人もいるだろう。ラウルが生まれる前に起こったことだ。何を聞いても、そこは忘れてはいけないよ。全て自分で受け止める必要はない。例え、君のお父さんがやったことでも」
「はい」
人々の口は重く、なかなか話してもらえなかった。
「ミリー様にはともかく、ラウル様にはお話ししたくありません」
そうはっきり言う人もいた。
それでも少しずつ話が聞けた。父親を城壁から吊るされた女性。息子を殺された女性。妻子と引き離された職人。
ラウルはすっかり落ち込んでしまった。
「余は父上を尊敬している。誰よりも強い王の中の王だ。父上は、ムーアトリア王国を圧政から救い、新しい文化をもたらしたと聞いていた」
「うん」
「神に導かれて、ムーアトリア王国の危機に居合わせたと聞いていた。余は誇らしかった」
「うん」
「ムーアトリア王国を救った功績で、父上はラグザル王国の王位を得られた。王位争いで血が流れずに済んだ。素晴らしいことだと思った」
「うん」
「余はもう何を信じればいいのか分からない」
「うん」
ミュリエルはポロポロと涙をこぼすラウルの肩を抱いた。まだ十二歳。ラウルの体は小さく細い。
ふたりは勉強部屋に戻り、紙にあれこれ書き連ねる。ラウルはまだ目が真っ赤だ。でも、少しずつ、ゆっくりと文字を綴っている。
翌日、ラウルはスッキリとした表情でじいさんをみつめる。ミュリエルはホッとした。
「それでは、ミリー様からお願いします」
「はい。ムーアトリア王国のことは、私はここに来るまでほとんど知らなかった。それってすごく悲しいことだなと思う。もし、ヴェルニュスが今侵略されたら、ここで暮らす人のことはまた無かったことにされてしまう。それは絶対イヤだなと思う」
ミュリエルはじいさんとラウルを交互に見ながら、話を続ける。
「ローテンハウプト王家に伝わる話と、ヴェルニュスの人たちから聞いた話はあまり差異がなかった。でもその話はローテンハウプト王国ではほとんど誰も知らない。無かったことになってる。それが勝者が歴史を作るということなのかなと」
ミュリエルは昨日から心配で気になっていることを話す。
「権力の空白期間を作らないようにしないといけない。万一私とアルフレッドに何かあった場合、誰が後を継ぐのか決めておかないと」
「なるほど、確かに。現時点でおふたりに何かあった場合は、王都からしかるべき代官が派遣されるでしょう」
「そっか」
じいさんの言葉に、ミュリエルは少し安心した。
「おふたりにお子様ができて、それなりの年齢であれば、お子様が後を継ぐでしょう」
「そっか」
「子作りに励んでくだされ」
じいさんに満面の笑顔で言われ、ミュリエルは思わず頷いた。ここまでまっすぐ言われると、イヤな気持ちにもならない。
「できれば男女ふたりずつぐらいはお願いしたい」
「が、がんばります……」
ミュリエルは少し赤くなった。遠くで聞いているアルフレッドは、おもしろそうにミュリエルを見ている。
「では、ラウル様。お願いします」
「うむ。余は、ラグザル王国で伝えられている歴史が事実だと思っていた。そうではないらしいことも分かった。父上はムーアトリア王国からすると非道なのだと思う。だけど、ラグザル王国にとっては偉大な王だ。余は父上を尊敬し続ける」
ラウルはキッと頭をもたげて強い口調で言う。
「父上のおかげでラグザル王国が安定しているのは事実だ。父上がムーアトリア王国に対して行った残虐な仕打ちによって、他国はラグザル王国を恐れているのだと思う。それはラグザル王国の民にとっては良いことだ」
「確かに、その通りです」
じいさんに肯定されて、ラウルは少し自信が持てたようだ。背筋をピンと張って大きな声を出す。
「余は、父上が作ってくださった悪辣非道なラグザル王国の悪評を、なるべく残したいと思う。そうすれば他国から見くびられない。しかし余は、あまり残虐なことはしたくない」
ラウルが最後は小さな声でボソボソと言った。
「ローテンハウプト王国と同盟を強化し、他国から舐められないようにしたいと思う。隣国同士が仲良ければ、他国からの干渉も抑えられるのではないか」
ラウルが小さな声でじいさんとミュリエルを見ながら言う。
「だから、余はローテンハウプト王国から嫁をもらおうと思う」
「ほーう。十二歳なのに、ラウルは偉いねえ。いいお嫁さんが見つかるといいねえ」
ミュリエルはラウルの頭をグリグリと撫でた。ラウルはミュリエルを見つめてゴクリと唾を飲み込んだ。
「余はミリーお姉さまと……」
部屋にいるミュリエル以外の人が息を止めた。ジャックはラウルに念を送り、じいさんはおもしろそうにニヤニヤしている。ラウルは生まれて初めて殺気を感じた。
「余はミリーお姉さまのような女性と結婚します」
ラウルは正しく方針転換をした。なかなか見どころのある王子である。アルフレッドから出る冷気が少し減った。
「ミリーお姉さま、早く子どもを産んでください。ミリーお姉さまとアルお兄さまの娘さんを、余のお嫁さんにください」
ラウルはミュリエルの手を握って懇願する。アルフレッドが静かに近寄り、ラウルの手からミュリエルの手を抜き取る。
「き、気持ち悪いこと言わないでよー。まだできてもいない娘の将来を決められるわけがないでしょうが」
ミュリエルは心底イヤそうな顔をする。アルフレッドがウンウンと頷いている。
「そ、そうですね。でも、もしも娘さんが産まれたら、そのときは考えてください」
「ええー、イヤだ。子どもには自分で結婚相手を見つけてもらいたいもん」
「ぐぬぬ。もし、余が娘さんに選ばれたら、許してください」
ラウルは必死にすがりつく。
「ううー、そんな先のこと言われてもねえ。まあ、娘次第だよ。あんたは、ちゃんと同じ年頃の女の子を探しなさい」
「……はい」
その日から、ラウルはミリーお義母さま、アルお義父さまと呼んでは、ふたりから頭をはたかれるようになった。
気が早いにもほどがあるのではないか。皆が思った。