69.新たな訪問者
「たのもー」
ヴェルニュスにバカ殿、いや、若殿がやってきた。
「ラウル・ラグザル、ラグザル王国の第一王子、十二歳じゃ。しばらくここで世話になる。苦しゅうない」
ものすごく煌びやかな衣装をまとった、黒髪のお坊ちゃんがふんぞり返っている。
「えーっと、なんでラグザル王国の人は、約束なく勝手に来ちゃうのかな?」
ミュリエルは、浮世離れしたお坊ちゃんを前に目を白黒させている。
「ローテンハウプト王国からの許可書と、父上からの手紙を持ってきたぞ。読むがいい」
お坊ちゃんの侍従が、うやうやしく手紙をミュリエルに渡す。
「はあ」
ミュリエルは手紙を開けてじっくりと読む。美辞麗句がふんだんに使われているけど、つまるところはおそらく……。
「えー、お坊ちゃんを鍛えてやってくれってことかな?」
ミュリエルは手紙をアルフレッドに渡す。アルフレッドはざあっと手紙と許可書を見て頷く。
「ラグザル王国は内政が苦手だったが、次代はなんとか内政を整えたい。自分たちの教育ではバカばかりに仕上がるので、助けてください。お金払いますからー。という感じか。すごいな、よくここまで他国に内情をぶちまけられるものだ」
アルフレッドは呆れたような感心するような、複雑な表情を見せている。侍従は恥ずかしそうに、ラウルはあっけらかんとしている。
「父上はすごいのじゃ。政敵は皆殺しじゃ。もはや国には、はい陛下、そうですね陛下、その通りです陛下、というヤカラしか残っておらん。好き放題やり放題じゃ。しかし、このままでは国が潰れると慌てていらっしゃる」
「はあ」
バカなのかな? ミュリエルは漏れそうになった言葉をグッと飲み込んだ。
「第四王女のルティアンナ姉上が、ローテンハウプト王国の学園に留学中だ。未来の王太子妃ルイーゼ嬢にビシバシしごかれておるそうだ。余も負けてはおられぬ、さあ、ビシバシしごいてくれ。このままでは、ルティアンナ姉上に王位を取られてしまう。さあ、さあ」
「えー、めんどくさい。うちに何の利点があるっていうのよ」
ついにミュリエルの口から本音がこぼれ落ちた。
「金なら払うぞ。それに、隣国同士、仲良くしている方がよいであろう? ラグザル王国はすぐに暴力で解決しようとするからな。わははは」
「むー」
「まあ、ラグザル王国の次期王がルティアンナ王女殿下になるか、ラウル王子殿下になるかは分からないが……。今から交流を持っておくのは悪くない。幸い、レイチェル王女よりは話が通じるようだし」
アルフレッドはまんざらでもなさそうだ。
「ルティアンナ姉上と私は側妃の子なのだ。レイチェル姉上を筆頭に正妃の娘三人はバカたれだから、王位を継ぐことはない。しかし、父上はまだまだ子作りするつもりじゃ。余もウカウカしておれぬ」
ラウルは国家機密を堂々と披露した。アルフレッドは聞かなかったフリをし、ミュリエルは頭を抱える。
「でも、鍛えるって何をどうすれば? 私だって書類仕事はこれからアルに教えてもらうつもりなのに」
ミュリエルは不安でしょうがない。
「兄上が、王都で暇を持て余してる老師をここに派遣してくれるそうだ。ラウル殿下に帝王教育を施してもらおう。ミリーも一緒に勉強すればいいよ。知ってて損はないからね。老師が来るまでは、ミリーやハリーと冬支度をしてもらえばいいよ」
ラウルは目をキラキラさせて、アルフレッドとミュリエルを見ている。ミュリエルは腹をくくった。幸い、ミュリエルは姉としての経験が豊富だ。年下男子を絶対服従させるのは慣れている。
「よし、お前のことはこれから、ラウルと呼び捨てにする。いいな」
ミュリエルはポケットからクルミをふたつ取り出した。不服そうなラウルのソコをじっと見つめ、クルミを手のひらの上でカラカラと回して見せる。
「ふんっ」
ミュリエルはクルミを右手の中で粉々にした。ミュリエルはパラパラパラーっとクルミを床に落とす。視線はラウルのソコに向けたままだ。
「私のことは、ミリーお姉さまと呼べ。いいな」
「はいっ、ミリーお姉さま!」
ミュリエルに下僕がひとり増えた。ラウルとラウルの侍従は内股になってプルプル震えている。
ジャックが苦笑しながら、クルミのかけらを片づける。アルフレッドは、早まったかと少し思ったが、気にしないことにした。血気盛んなラグザル王家の男を玉無し、いや、腰抜けにするぐらい、たいしたことではない。将来の戦の芽を摘むのは、早いに越したことはないのだから。
「それでは、ラウル、ついて来なさい。これから領民たちと触れ合いの時間よ。領民は労ってやらねばいけない。こき使って、使い潰すのは以てのほかだよ」
ミュリエルは早速、姉さん風をビュンビュン吹かす。
「そうなのですか、ミリーお姉さま? 下々の者は気が利かなければ、首にして入れ替えれば早いのではありませんか?」
「それはラグザル王国のやり方なの? 人が豊富にいるからそうしちゃうのかな……。そうだなあ、じゃあニワトリ見に行こっか」
ミュリエルはラウルをニワトリが放たれている場所に連れて行く。
「ニワトリはいいよー。卵は完全栄養食って言われてるし。いざとなったら鶏肉も食べられるしね。庭に放置してたらいいし、手間がかからない」
ラウルはニワトリたちに追いかけ回された。つつき回され、小突かれて半泣きだ。
「あーあ、ラウル……。あんたニワトリの一番下っ端に認定されちゃったよ……」
「そ、そんな……。ニワトリごときにバカにされるとは。うぬっ、成敗いたす」
「バカ者。あんた、ニワトリより、領地の役に立ってから言いなさい、そういうことは」
ミュリエルはラウルの頭をはたいた。
「ニワトリってさあ、完全な縦社会なんだよね。オスが頂点で、朝鳴くのも、ごはん食べるのも、順位が上のニワトリからって決まってるの。でも、オスは群れのメスやヒナたちを、キツネとかから守らないといけない」
「ほう、人間と似ておるのですな」
ラウルはニワトリから用心深く距離を取って観察する。
「上に立つものは下を守らないと、誰もついていかないよ。上は赤ちゃんを守らないと。一番庇護されるべき立場だから。弱いものを排除するのは簡単だけど、それだと誰もついていかない」
「なるほど……」
ラウルはその日はずっとニワトリを見ていた。ミュリエルもつきあって、あれこれ質問に答えてあげる。
「動物というのはおもしろいものですな、ミリーお姉さま。余もせめてニワトリのオスぐらいには強くなりたいものです」
「そうだね。ここには色んな動物がいるから、よーく見るといいよ。動物はとても頭がいいからね」
「はいっ、ミリーお姉さま」
ハリソンとウィリアムは物陰からこっそりふたりを見ていた。
「あいつ……チョロいな」
「あれで王子って、ラグザル王国大丈夫なのかな?」
「まあ、戦争はイヤだから。ミリー姉さんにしっかりシツケてもらおう」
「そうだよね。男子を手懐けることにかけては、ミリー姉さんは領地で一番だったもん」
「なんだろう、ミリー姉さんには絶対逆らえないってあの感じ。領地の男子は産まれたときから刷り込まれてるよね」
「姉ってそういう存在らしいよ」
「理不尽だよね」
「そのミリー姉さんをうまく操るんだもん。アル兄さんはすごいよ」
チョロいラウルのおかげで、ふたりの弟たちからのアルフレッドの評価が、また上がったのであった。