66.祈る人
「ボリスさん、これ」
「デイヴィッド、どこでこれを?」
「散歩してたら道に落ちてました」
「落ちてましたって……。最高級の陶石……」
「これもミリー様の、いや、石の神のお力なのでは?」
ここでは不思議なことが日常的に起こる。なかなかおもしろい。ローテンハウプトでは目に力の入っていなかった職人たちが、ここに来てからは生き生きとしている。
私は職人を見ているのが好きだ。無から芸術を作り出す魔法の手。私たち家族にはないものだ。その代わり、私たちはいい目を持つ。
父さんはいい目と、必要なときにその場に居合わせる能力がある。イローナは新商品のひらめきがあり、ドミニクは人たらしだ。それぞれ得意分野がある。
私は誰に売れるか分かる目を持っている。仕分けは私の仕事だ。
職人の手が作品に命を吹き込む瞬間を見るのは楽しい。最後のひと削り、追加のひと針、迷いなく加えられるひと筆。職人は完成の瞬間が分かるようだ。終わった、そう聞こえるらしい。
オモチャ職人のヨハンは、ウィリーと一緒に木のオモチャを作っている。ろくろを使って大きな木をグルグル回し、ノミを色んな角度で当てて削っていく。薄い削りカスがハラハラと床に落ちる。
「これで出来上がりだ。こうして薄く切っていくと、牛がたくさんできる。同じ型のモノを大量に作るには、ろくろが最適だ」
ヨハンの説明をウィリーは真剣な目をして聞いている。
「これに彩色する。今日は練習だから、好きなように塗りなさい」
「はいっ」
ウィリーが顔や手に絵の具をつけながら、口を尖らせて牛を塗っている。
(迷いなく塗るんだな。あらゆる牛の模様が頭に入っているんだろう)
ウィリーが塗る様子を後ろからそっと見守る。ヨハンも横目でチラチラ見ていたが、満足そうにしている。筋の良い弟子を持てて嬉しそうだ。
出来上がった大量の牛を、三人でじっくり眺める。
「ウィリー、いくつか特別な相手に売りたい。取っていいかい?」
私が尋ねると、ウィリーは目を丸くする。
「売れるの、これが?」
「売れるよ。そうだな、これと、これと、あれと……。この三つは特別に良くできている。これを欲しがりそうな良家のお嬢さんを知っている。売れたら特別手当てを払うからね」
「どうしてその三つ? こっちの方が顔がかわいいと思うんだけど」
ウィリーがひとつの牛を手に取って、私の手の中の牛と見比べる。
「それは、説明が難しいな……。多分言っても伝わらないと思うが、この三つは比率が最適なんだ」
「比率?」
「黄金比とも言われている。完璧な調和があると、美しいと感じるんだよ」
「……よく分からない」
ウィリーの眉間にググッとシワがよる。
「分からなくていい。職人はそんなこと気にせず、好きに作るべきだ。狙ってできるものでもないし、狙うとあざとさが出てよくない。気にしないでいい」
「でも、売れるならそこを目指すべきでは?」
なんと言えばよいだろうか。私は少し考えをまとめる。
「実に難しい問題だけど……。黄金比は一定の審美眼を持っている人にしか、良さが分からないかもしれない。多くの人は、美しすぎるものには恐れを抱く。少し崩れている方が、愛嬌があって好かれるんだ。さっきウィリーが言った、顔がかわいい牛もそっちだ。オモチャ店で手に取られやすいのは、その顔がかわいい牛だよ」
「難しいね」
「だからこそ私のような商人の出番だ。職人は気の向くまま、好きなものを作ればいい。その作品を見極め、適切に売るのが私の仕事だ。安心して任せてくれたまえ」
「そっかー。分かった。高く売って来てください」
「任せなさい」
ウィリーがニコニコする。
私はウィリーの頭をポンポンと叩くと、工房を出てまたブラブラ歩き出す。
画家のユーラが、石投げをするミリー様を取りつかれたように素描している。そのふたりを、アル様が微笑みながら見ている。
アルフレッド王弟殿下。ローテンハウプト王国とラグザル王国での姿絵売上、不動の一位だ。長年に渡って衰えることのない人気。
アルフレッド殿下は黄金比ではない。笑うときに右側の口がやや大きく上がる。鼻もほんのわずか右に曲がっている。だが、それがいいのだ。それこそがアル様の魅力だ。そこがなければ、完璧すぎてここまで人気は出なかっただろう。
黄金比は美しいが記憶に残りにくい。絶妙な揺れ、それが人の目をとらえて離さない魅力だ。
私と母さんは、黄金比だ。美しいが、人間味がない。昔からそう言われてきた。イローナは黄金比ではない。目が大きすぎ、口は口角が上がりすぎている。だからこそイローナはかわいい。人間は人形ではないのだ。愛嬌がある方が人に好かれる。
私と母さんは黄金比を見分けるのが得意だ。小さいときから黄金比の自分の顔を見慣れている、当たり前だ。他の人には簡単ではないらしい、大人になって気づいた。私の目は、この仕事に最適だ。
ユーラが素描を終えて、仕事場から銅板画を持ってくる。ユーラは天才なので、何ででも描ける。水彩画、油彩画、木版画、銅版画。なかでも、ユーラの銅版画は非常に人気がある。何を刷ったのか興味が湧いて、近寄る。
「ほう、これは……。控え目に言って、傑作だな」
私の言葉にユーラが嬉しそうに笑う。
石塚の前で剣を掲げるミリー様の後ろ姿だ。少しこちらを振り返った表情が素晴らしい。朝日と石塚の光の違いがよく表現できている。そばに控えている巨大なフクロウも、神話の一幕のような神秘性を出すのにひと役かっている。
しかし……。私はしばし考え込んだ。
私が黙り込んでいる間に、ミリー様を崇めたてまつるふたりの男の間で、幼稚な戦いが繰り広げられている。
「だから、言い値で買うといっている」
「いえ、原版は売れません」
「この絵を流通させることは反対だ」
「なぜです。全ての民が、ミリー様の神との邂逅を知る権利がある」
ミリー様は何度か口を挟もうとするが、諦めたようだ。私の方を見て、助けて欲しそうにしている。
「おふたかた、落ち着いてください。私もアル様の意見に賛成です。これは世に流通させるべき絵ではありません」
「デイヴィッド、お前……」
ユーラが怒りをこめた目で私を見る。
「この絵は刺激が強い。下手に狂信的な宗教家の目に触れると、とんだ言いがかりをつけられかねない。一見すると、ミリー様を神と持ち上げているように受け止められる」
「…………」
「だからといって、この傑作を埋もれさせるのも悲しい。どうだろう、教会に飾るというのは?」
「それだ」
アル様とユーラが手を取り合う。
「いや、それこそ不信心だって怒られるよね」
ミリー様の声はそっと聞き流された。
「神に祈る民の絵、とでも下に書いておけばいいのですよ」
私の言葉にユーラが力強く頷く。
「実は銅版画はまだまだまだまだある」
「全て飾りましょう」
「そうしよう」
ミリー様を置き去りに、教会での絵の永久展示が決まった。
後日、ボリスの家族がヴェルニュスに到着した。呆然としてへたり込むボリスと、大騒ぎする職人たち。笑い合う領民。
少し離れたところで、静かに祈るミリー様。
ユーラの描いた『祈る人』と『祈りの手』の銅版画は、彼の代表作となり全世界で売れに売れた。