63.創作の女神
職人街では、職人たちが創作意欲に踊らされていた。ムーアトリア王国を去ってから、ほぼ消え失せていた欲求だ。
生き延びられたことはありがたかったし、パッパには感謝していた。当たり前だ。でも置いてきた妻子、同僚、友人の顔が散らつく。眠れない。
罪悪感と共に生きてきた。
技術はパッパの商家の職人たちにできる限り伝えた。せめてものお礼だ。だけど、物作りの真髄、ひらめきってやつは教えられるようなものじゃない。
何か新しいものを、お客さんがあっと驚くようなものを作りたい。もっと便利に、より美しく。そういう前向きな気持ちから、いいモノが生まれる。
前向きな気持ちになれない職人に、ひらめきは訪れない。
「ヴェルニュスに戻ろう」
パッパに突然言われたときは驚いた。ヴェルニュスがローテンハウプトの管轄になったのは、それとなく聞かされていた。戻りたい気持ちと、戻りたくない気持ちでゴチャ混ぜだった。
パッパからは、もう少し情勢が落ち着いてから、ヴェルニュスに戻ろうと言われていたのだが。例のごとく、何かを感じ取ったんだろう。
「パッパがそう言うなら、戻るか」
皆、重い腰を上げた。今さら廃墟となった故郷に戻って何ができるというのか。おめおめと生き恥さらした老人。家族を捨てて逃げた人でなし。そう言われるのが怖かった。なぜなら、事実だから。
ビクビクしながら戻ったら、意外なほどに明るい雰囲気だった。もっと荒んでいるかと思っていたのに。罵倒されることも覚悟していたが、あっさりと受け入れられた。俺たちを知る人はほとんど残っていない。拍子抜けとはこのことだ。
パッパやイローナ様が心酔するご領主様は、若くて元気なお嬢さんだった。挙動がややおかしいことを除けば、ごく普通のお嬢さんだ。
お葬式は思っていたよりずっと、職人たちの心を落ち着かせた。過去の色々な思いは大地の母にぶつけさせてもらった。神に祈ったのは久しぶりだ。
オルガン奏者のゲッツは、誰よりも神に近い仕事をしていた分、受けた傷も大きかったらしい。お葬式でも神には何も祈らなかったようだった。
浴びるほど飲んだ酒を寝る前に吐いた。フラフラで寝床に横たわって意識を失った。
また気持ち悪くなって起きて吐いた。寝ようとしたら、ゲッツが青い顔をして呼びに来た。皆で城壁の上に続く階段をヨロヨロとよじ登った。
朝日を浴びながら、ご領主様が剣を石塚から引き抜いている。何か、理解の及ばないことが起きている。それだけは分かった。
俺はひたすら恐ろしかった。大声を上げて逃げ出したい。でもゲッツにしがみつかまれ、それもできねえ。ご領主様が血を流している。見てられねえ。でも見なきゃなんねえ。
もうやめてくれ、そう叫びそうになったとき、ご領主様から光が放たれた。ご領主様は一瞬、街を振り返ると安心したようにかすかに笑って、倒れた。
どデカいフクロウがご領主様を運んで空を舞う。神話時代の絵のようだ。
皆ハラハラと涙をこぼしていた。この世ならざる、神代の時代を目撃したのだ。ひたすら神に祈りを捧げた。
それ以来、職人たちは夢うつつだ。アレを、あの光景を後世に残さねばならない。それをするために、あのとき生かされたのだ。そう分かった。
画家のユーラは、部屋にこもって尋常ではない量の絵を描き連ねている。放っておくと食事も取らないので、俺たちが手分けして世話を焼いている。
オルガン奏者のゲッツは、
「新しい曲が次々と浮かんで、書き留める手が追いつかない」
そんなことを言いながら、書いては弾き、弾いては書いている。
革職人のトビアスは、ミリー様が石を手軽に持ち運べる、肩かけカバンを作ると息巻いている。皆、目が輝いている。
俺だってもちろん、ミリー様の人形を作っている。まずは定番の綿入りの人形。手に魔剣を持たせて、少し凛々しい顔立ちがよく再現できたと思う。
衣装は脱ぎ着できるようにしたが、肌着はしっかり本体に縫いつけた。アル様の厳しいお顔が頭をよぎったからな。例え人形とはいえ、肌を無闇に人目にさらすのはお許しにならないだろう。
次は木彫りだ。フクロウにまたがって魔剣を構える戦乙女のミリー様。木彫りは数種類作った。フクロウの上で立ち上がり、剣を空高く掲げるミリー様が俺のお気に入りだ。
ミリー様は石投げが得意とお聞きする。早く目が覚めて、元気に狩りをしていただきたいものだ。そのお姿を一目見たい。いや、歩いているお姿だけでも十分だ。せめてあの瞳をもう一度……。
「ヨハン、ミリー様がお目覚めになったらしい」
ゲッツが珍しく大声を出しながら入ってきた。俺たちは肩を組んで歌いながら、城壁を出て石塚に行く。そこには既にたくさんの領民がいた。皆、花や食べ物を供えて、ミリー様が無事だったことへの感謝の祈りを捧げる。俺もとっておきの酒を注いだ。
ミリー様の弟ウィリー様が、俺に弟子入りしたいそうだ。なんてこった。なんてこった。おお神よ。
俺は職人たちから嫉妬の目で見られている。
「まあまあ、皆、落ち着きたまえよ」
「むかつく」
「調子に乗んな」
「なんでヨハンなんかに」
「お前ら、よく考えろ。ウィリー様が俺に弟子入りするってことはだ。ミリー様がここにウィリー様の様子を見に来られたりするかもしれないってことだ」
「!!!」
「ミリー様がいらっしゃったとき、俺が例えば、ゲオルグのガラス細工に最近いいものができたそうですよ。なーんてオススメすることもできるかもしれない」
「うちにいい酒があったな。持ってくる」
「ゲオルグ待て、賄賂はいらん。俺たち仲間だろう」
「ヨハン、お前っていいヤツだよな」
「まあな。つーことでだ、俺たちが大至急することは、店をキレイに整えることだ」
「そうだな。そして、ミリー様に献上する最上の品を作ることだな」
職人たちは落ち着いた。
ところが、ミリー様のお気に入りの人形が、俺の初期の習作だということが判明した。単体では売れないので、色んな習作を箱に詰めて、ひと箱いくらで大昔に商人に売ったものだ。
こんな偶然があっていいのか。俺は自分の幸運が恐ろしくて、家にある飛び切りの酒を石塚に注いで、長々と祈った。
ドキドキしながら、ミリー様の人形を見せていただく。
「これなの。小さいときに行商人から買ったの。ずっと大事にしてるんだー。まさかヨハンさんの作品だったなんてね。すごい偶然があるものだね」
全身が震える。毎日、飽きもせず人形を縫っていたあの日が、鮮やかに蘇った。貴族向けではない。お金のない平民の女の子にかわいがってもらいたい、そう思っていた。こんなに長い間、大事にされてきたんだね。
涙があふれそうになるのを、舌を噛んでこらえる。
「確かにお、私の作った人形です。衣装は違います。ものすごく豪華ですね」
「衣装は母さんが作ってくれたの。それでね、こっちがアルが作ってくれた人形」
「おお、これは……素晴らしい。ひと針一針から愛情が感じられます」
少しイビツだが、丁寧で愛情たっぷりの人形だ。これをアル様が……。すごいな。
「じゃじゃーん、これがアルが作ってくれた人形の家でーす」
「お、趣深い……。時間をかけて、何度も考えてやり直し、試行錯誤されているのが分かります。木のひとつ一つにきちんとヤスリがけがされています。万が一にもミリー様の手を傷つけることがないようにとのご配慮でしょう。これを見れば、いかにアル様がミリー様を愛されていらっしゃるか、一目瞭然です」
はっ、思わず夢中でしゃべってしまった。後ろでアル様が照れていらっしゃる。失礼ではなかっただろうか。
「わー、やっぱりー。私もそう思ったんだよね。嬉しかったんだ」
ミリー様はニコニコされている。アル様が遠慮がちに声をかけてくださった。
「その、僕にも人形づくりを教えてもらえないだろうか」
「はいっ。私でよければいつでも」
「えーいいなあ、私も何か教わりたい」
「……ミリー様、ぜひ職人街に足をお運びください。ミリー様にお声がけいただければ、我々はいつでも作り方をお見せします」
「いいの? 邪魔かなーと思って遠慮してたんだよね」
「邪魔などということは一切ございません。いつでも、気が向いたときに、なんなら毎日でもぜひお越しください」
「分かったー」
(よしっ。これで皆から嫉妬で呪い殺されることはないだろう)
皆からの嫉妬をかわそうとすることに必死だった。王弟と領主の弟に教える重責についてまで、頭が回っていなかった。どうしよう……。
石塚にせっせと酒を注ぐ。たーすーけーてー。