61.姉と弟の微笑ましい時間
ミュリエルは暇を持て余している。アルフレッドから、ただ歩くだけならいいと、外に出してもらえた。
ただ歩くだけ……。誰も彼も忙しそうだ。
街の中を練り歩く。すれ違う領民は皆ニコニコと嬉しそうに話しかけてくる。
「ミリー様、お元気になられたんですね。よかったです」
「ハリソンさんに教えてもらって、ジャガイモを大量に植えつけました。収穫が楽しみです」
「城壁の修理も終わりました。ミリー様のご実家の領地の方たちがとても頼もしくて」
女性たちは笑顔で去って行く。皆キビキビと動いている。
教会の前を通ると、オルガンの音が流れてくる。
「オルガン直ったんだ。よかったー」
初めて聞く柔らかな音に耳を傾ける。音楽があるっていいもんだなあ。ミュリエルは暇なので、ことさらのんびり歩く。
職人街に着くと、トンカン、カチカチ、色んな音がする。邪魔しないようにそうっとのぞこうとしたとき、腰を突っつかれた。
「何してんの、ミリー姉さん」
「おおお、ウィリー。ビックリした。気配消すの上手になったね」
ミュリエルはウィリーの頭をポンポンと叩いた。
「いや、ミリー姉さんがボケーっとしすぎ」
「暇なんだよねー。遊んでー」
「僕は忙しいから。じゃ、またね」
「冷たいなあ。ウィリーはどこ行くの? 何するの? 手伝おうか?」
「いいよー、もう。アル兄さんに怒られるよ」
「歩くだけならいいって、アルが言ったんですー」
ウィリーはため息を吐いて、じいっとミュリエルを見る。
「ダニーが言ってたけど、海には巨大な魚がいて、泳ぎ続けないと死んじゃうんだって」
「え、うそ、ヤダ。寝るときも?」
「そうらしいよ。ミリー姉さんってその魚みたい。たまにはのんびりしなよ」
ミュリエルは壁に寄りかかってズルズルと崩れ落ちた。
「うう、十歳の弟にそんなこと言われるなんて……」
「僕はクルミ拾いに行くんだけど、一緒に行く?」
「うん」
ミュリエルはシャキッと立ち上がると、さっさと歩き出す。森の中は、葉っぱが鮮やかに色づいてる。落ち葉が積もった地面はフカフカだ。
「そういえば、のんびり森を歩くなんて久しぶりかも。いや、ここでは初めてだな」
「ホントに巨大魚みたい」
「う、だって、やることいっぱい」
「もっと人に任せなよ」
「はーい。……ウィリー、いつからそんなに大人に?」
「いや、誰でもそれぐらい分かるから。ミリー姉さん、無理しすぎ」
「そっかー……」
ミュリエルは落ち込んで下を向く。そんなにバレバレなのか。もっと有能なら気づかれないのかな。アルみたいに、いつも微笑んでればいいのかな。
うつむくミュリエルの目に、緑の皮に包まれたクルミが飛び込んでくる。
「お、クルミ落ちてる。ほーれ、ほれほれ」
「ちょっとークルミ蹴らないでよー」
「拾ったらアルに怒られるから、ウィリーに任せまーす」
「もー」
ミュリエルがクルミを蹴ってウィリーに渡し、ウィリーがカゴに放りこむ。たまに木を蹴ると、バラバラっとクルミが降り注ぎ、ウィリーに怒られる。
「ウィリーはさー、いつまでここにいるの?」
「うーん、分かんないけど。できれば夏頃までとか? なんならずっと?」
「ええっ、父さんに怒られない?」
いてくれるとすごく嬉しい。でも、いくらしっかりしていても、ウィリーはまだ十歳だ。
「それがさー、ミリー姉さんのおかげで領地が潤ったでしょう? 無理に領地にいなくても、好きなことしていいって言われたんだ」
「え、そうなの? 何するの?」
ミュリエルはクルミを蹴るのをやめて、棒立ちになる。
「僕、オモチャ職人のヨハンさんの元で働こうと思って」
「十歳が」
「平民だとそれぐらいで弟子入りするんだって」
「ほへー」
あんな、この前生まれた気がするウィリーが働く。ミュリエルの頭が動きを止めた。
「明日ヨハンさんが、クルミ割り人形の作り方見せてくれるんだ」
「クルミ割り人形とは?」
「兵隊の人形の口の中にクルミ入れて、服の裾引っ張ったら口が閉まって、クルミの殻が割れるの」
「そんなの、石で叩けば一発じゃない」
ウィリーがかわいそうな子を見るような目をする。
「はあー、そういうとこが巨大魚だよー。世の中、もっと遊びがあるんだよー。ミリー姉さんだって、人形大事にしてるでしょう」
「うん……。だって、あれはカワイイ」
確かに、クルミは割れないただの人形を、ミュリエルは大事にしている。
「クルミ割るのも、石じゃなくて、カワイイ人形にやってもらいたいって人もいるの」
「それって貴族向けだよね?」
「金持ちの平民じゃない? 普通の貴族は、召使いが殻割って中身だけ持ってくるんだって」
「はわー」
召使いはもっと他にやることいっぱいあるんじゃ、そう思ったが、ミュリエルは口をつぐんだ。
「よしっ。これだけ集めたら十分。ミリー姉さん帰ろう」
「うーん。なんか来たけど、どうするー?」
ふたりは耳をすます。
「ええー、フクロウか犬呼んでよ。僕狩りする気分じゃないんだけど」
「あんた、そんな怠けたこと言って。オモチャ職人になれなかったときに、食いっぱぐれるよ」
「もー。じゃあ、クルミのカゴ見ててよ。木の陰にいてよ」
「はーい」
ミュリエルは大きな木の陰で気配を消した。ウィリーは石をポケットに詰め込むと、スルスルと木に登る。
ズンズンズンズン 遠くから徐々に地響きが近づいてくる。
ハラハラ カツーンカツーン 振動で葉っぱとクルミが落ちる。
(なにあれ、デカー。ヘラジカかな? 領地では見たことないや)
ウィリーは続けて石をふたつ投げ、ヘラジカの両眼を潰す。猛ったようにこちらへ突進してくるヘラジカ。
(うーん、口開けてくれないかなー)
ポスッ 何かがヘラジカの首に当たる。ヘラジカは口を開けてブハッと息を吐いた。
ウィリーは口の中に石を三つ投げ込む。
「よしっ」
ウィリーの声と同時に黒い疾風がヘラジカを横から跳ね飛ばす。
「えっ」
大きな羽音が響き、ヘラジカは空中に連れ去られた。
「ああー」
「あらー」
木の陰から出てきたミュリエルが、半笑いで空を見上げる。
「あらーじゃない。僕の獲物横取りされた」
「いや、城塞に運んでくれてんだよ、きっと」
「ホントにー?」
ミュリエルはそっと目をそらす。
「ま、まあ……。ウィリー、腕上げたねえ。もう一人前じゃないの」
「誰かさんがクルミ投げなきゃ、ちょっと危なかったかも」
「……アルには内緒」
「分かった」
姉と弟は仲良く戻っていく。
気配を消すのはミュリエルより上のダン。ダンは震えながら一部始終を目撃し、当然のことながらアルフレッドに報告する。ミュリエルはこってりと絞られたのであった。