59.置いて行かれた側の悲哀
「はい、あーん」
「あー」
ハリソンがミュリエルの寝室をのぞくと、甘いような甘くないような光景が繰り広げられていた。
恐ろしいほどにキラキラした笑顔のアルフレッドが、ひとさじずつスープをミュリエルの口に運んでいるのだ。ミュリエルは珍しくオドオドしている。
これは、後にしよう……。ハリソンはそっと扉を閉めようとする。
「ハリーッ」
ミュリエルが絶対逃がさないという目でハリソンを見つめる。ハリソンは仕方なく部屋に入った。
「ミリー姉さん、調子はどうなの? もう起きていいなら、パッパが相談したいことがあるって」
ミュリエルはオズオズとアルフレッドの顔を見る。
「熱も下がったし、起きていいよ。外に出るのは明日から。傷が完全に癒えるまでは、左腕は使用禁止。狩りも農作業もダメ。分かった?」
「はーい」
アルフレッドの言葉に、ミュリエルは小さな声で返事する。
「あ、じゃあ、僕、パッパに言ってくる」
「ハリーッ」
ミュリエルがクワっと目をむく。ハリソンは諦めてミュリエルのベッドに座る。
「ミリー姉さん、魔剣を得るためには必要だったんだと分かるけどさ。なにもあそこまで血を捧げなくてもよかったんじゃない? もう少しで死ぬところだったんだよ」
「うう」
「三日も意識なかったんだよ。みんな心配したんだ。アル兄さんはミリー姉さんにつきっきりだったし。ミリー姉さん、意識ないのに魔剣を絶対離そうとしないし。もう、とにかく大変だったんだよ」
ミュリエルはうつむき、アルフレッドは無表情になる。
「お義父さんから聞いてはいたんだ。儀式を行うと魔剣が出るかもしれないって。それは森の娘にしか分からないことだから、ミリーがひとりで出て行くときは、行かせてやれって」
アルフレッドは痛々しい顔でひとりごとのように言葉を漏らす。
「血を失って、呼吸が浅くなって、死にかけているミリーが戻ってきたとき……。僕は……。次は絶対ひとりでは行かせないから」
暗い表情のアルフレッドに、ミュリエルはつとめて朗らかに声をかける。
「あ、もう次はないと思うよ」
アルフレッドはじっとりとした目でミュリエルを見る。
「僕がミリーの腕の傷を縫ったんだよ。こんなことならもっと裁縫をやっておけばよかった。人形の服をお義母さんに頼まず、自分で縫うべきだった」
ぐちぐちと後悔しているアルフレッドを、ハリソンはやや引きながら見ている。ミュリエルはアルフレッドの機嫌を取るのに必死だ。
「えーっと、傷はきれいに治ると思うから、気にしないで」
「何を根拠に?」
「んー、なんとなく?」
アルフレッドはミュリエルの右手を握りしめる。
「ミリー、次は、絶対、僕も一緒に行くから。約束して」
「はい、約束する」
ミュリエルは素直に頷いた。アルフレッドの機嫌がなおる方が重要だ。ミュリエルが目覚めたあと、アルフレッドは甘々と氷結を行ったり来たりしている。非常に不安定だ。
「何も一度で血をあそこまで捧げなくてもよかったんじゃない? 週に一回少しずつとかなら、死にかけなかったんだよ」
「確かに……。そうかもしれない。でもあのときは、早く早くって思っちゃって。……でも、これでいい石が出てくるようになると思うよ」
ミュリエルの言葉にハリソンがニコニコと答える。
「うん、そうみたいだよー。少しずついい石が増えてる。これで狩りもしやすくなる」
アルフレッドが目を丸くする。
「そうなの?」
「うん。石の神がご機嫌だと、強い石が出るの。そうすると魔物も石だけで倒せるようになる」
ミュリエルもウンウンと頷く。
「なるほど、そういうことか。魔牛を石で仕留めるなんて、僕にはできそうにないと思っていたけど……。強い石ならできるのか」
「うん、狩りをして、たまに獣の血を石塚に捧げればいいんだよ」
「もうミリーの血じゃなくていいんだよね?」
「私の血は魔剣が出たときだけだよ。これからは魔物とか獣の血で大丈夫」
アルフレッドは安心したように、いつもの優しい笑顔になった。
「お義父さんも魔物の血を石塚に捧げている? 領地では見なかったけど」
「あっちの石塚は地下にあるから。結婚式のとき、屋敷の裏庭に穴掘ってごはんと鹿の血を捧げたでしょう? あの下あたりにあるの」
「そうなのか」
「父さんはたまに獣を地下に運んで、石塚に直接血を捧げたりもしてるよ。私は一回だけ行ったことある。場所は、父さんと私とジェイとばあちゃんしか知らないの」
「どうして?」
「石の神を守るため、かなー? よく知らないけど」
「うちの石塚は誰でも行ける場所にあるけど、それはいいの?」
「いいみたいだよ。土地によって色々だよね。ここがいいって私が思って、そこに魔剣が出たなら、それでいいんだよ」
「難しいな」
アルフレッドがこめかみに指先を置いて考え込む。
「神様のことだからね。深く考えない方がいいよ。なんとなくでいいの」
「そうか」
アルフレッドの様子が普通に戻ってミュリエルは安心する。笑い合うふたりから、ハリソンは少しずつ距離を取る。
「あのーそろそろ僕、パッパを呼んで来てもいい? どこで話する?」
「応接間でいいんじゃない。せっかくキレイになったんだし」
「分かったー」
ハリソンはいそいそと部屋を出て行った。
(アル兄さんは怒らせないようにしよう。怒ると面倒なことになる)
ハリソンはいつも優しいアルフレッドの、初めて見る一面に驚いた。
(母さんしかミリー姉さんを止められないかと思ってたけど、あれなら大丈夫そうだな)
アルフレッドは意外なところで、ハリソンからの高評価を得た。