58.パッパがフサフサだった頃
私はレオナルド・サイフリッド、通称パッパです。
私は代々続く商家に生まれ、祖父や父から折に触れ、商売で大事にすべきことを叩き込まれた。
最も大事なことは、モノの価値を正しく測る。それはすぐにできるようになった。なぜか、サイフリッド家の人間にはその才能が生まれつき備わっているらしい。
次に父に言われた。
「モノを売るときは適正価格で。高すぎても安すぎてもいけない」
それはもちろんだ。
「モノを買うときは適正価格に少し上乗せしなさい」
「どうして、父さん? それでは舐められる」
私は不満だった。金は無駄に使うべきではない。
「例えばこう言うんだ。こちらの適正価格はいくらです。ですがあなたの作るこの革製品は非常に長持ちすると評判です。使えば使うほど深みのある色合いになる」
父さんがトウトウと語り出した。
「もう少し早く壊れる革製品を作れば、買い替え需要で儲かるでしょう。なのにあなたはそうしない。だから私はあなたの真摯な姿勢に敬意を払い、その分を上乗せしてこれだけお支払いします」
父さんは語りを終えると、私に問いかける。
「そうすると、革職人はどう思うかな?」
「今まで通り、質の良い革製品を作り続けよう?」
「そうだ。そして、いい革製品が出たら、まずうちに売ろうと思ってくれるだろう? 幸いサイフリッド商会には潤沢な資金がある。優秀な作り手には、お金を惜しんではいけない。私たちにはモノを見る目はあるが、なにひとつ作り出すことはできないのだから」
そうだった。私にはいいモノを見つけることはできる。でも何も作れないのだった。いいモノを買って売る、ただそれだけ。金があるからといって、傲慢になってはいけないのだと、そのとき分かった。
才能のある作り手にそっぽを向かれたら、サイフリッド商会はたち行かなくなる。
父や祖父と色んな国を回った。どこの国も、それぞれ異なる美しさがある。私のお気に入りはムーアトリア王国だった。
ムーアトリア王国の品はどこかひと味違うのだ。質が高く、洗練されている上に、小さなこだわり、遊び心がある。
王都ヴェルニュスの職人は特にそういう気質にあふれていた。武具鍛冶屋のテオは、武器ではない物に武器を仕込んだものを、本業の武具のかたわら作り続けていた。細い剣を仕込んだ杖、毒針のついた指輪、尖った刃がいくつも隠された扇など。
誰が買うのだろうと思いつつも仕入れてみると、高位貴族に飛ぶように売れた。
革職人のトビアスは、指が長く美しく見える革手袋を作ると評判だ。
「レオさん、こんな手袋作ってみたんだけど……。どうかな?」
「普通の革手袋に見えますけど?」
「ここ、親指と人差し指のつけ根部分が空いてるんだ」
「……なんのために?」
トビアスが手袋をはめ、親指と人差し指だけ手袋の外に出してみせる。
「服買うとき、布の質を確かめるために手袋を脱ぐでしょう。いちいち面倒かなと思って。これなら手袋を脱がなくても、親指と人差し指だけ外に出して布を触れるから」
「なるほど」
思い切って、あるだけ全て買った。即座に売り切れた。若い貴族がこぞって買って行ったのだ。こっそり教えてもらったところ、意外な使い方をされていた。
未婚の貴族男女が手袋なしで触れ合うのはご法度らしい。この手袋なら、人目を忍んで親指と人差し指の触れ合いが楽しめるそうだ。そのわずかな触れ合いが、貴族たちの背徳感を刺激して癖になるらしい。
貴族って大変だなあ。呆れながらも、顧客名簿に増えていく貴族の名前を眺めるのは楽しかった。
二十二歳になったとき、ヴェルニュスの陶磁器職人のボリスから言われた。
「ここから少し離れたところにあるマドセンという街に、遠縁の娘がいるんだ。両親が亡くなって困っているらしい。こっちに来て一緒に暮らさないかって手紙を出したんだけど、返事が来ない。そっちに行く予定があったら、聞いてみてくれないか?」
「いいですよ、立ち寄ってみます」
そこで私は真の美に出会った。ボリスの遠縁の娘は、ただの平民には持て余すであろう、圧倒的な美を備えていた。美の暴力、美の大洪水、美の大暴走である。
「結婚してください」
三十歳になるまで結婚するつもりはなかったが、即座に気が変わった。この美しい人を誰にも渡したくない。
「あんた誰よ」
少女は顔色ひとつ変えず聞く。
「レオナルド・サイフリッド。サイフリッド商会の後継ぎです。ヴェルニュスのボリスさんに頼まれて来ました」
「ふーん」
乙女は私の全身をジロジロと観察する。その値踏みされるような視線にゾクゾクする。
「お金あるの?」
「お金ならうなるほどある」
「好きなもの買ってくれる?」
「君が望むものならなんでも買う。約束する」
「ならいいわ。結婚したげる。結婚衣装は豪華にしてよ。王女様みたいによ」
「任せなさい!」
こうして私は妻ミランダを得た。ボリスは腰を抜かしていたが、仕方がない。
ミランダとローテンハウプトで甘い生活をしていたとき、ムーアトリア王国から呼ばれている気がした。私は急いでヴェルニュスに駆けつけた。
街の様子が何かおかしい。そう気がついた。人々が浮き足立っているような、妙な雰囲気だ。顔馴染みの衛兵に声をかける。
「何かあったんですか?」
「それが……よく分からない。陛下がお亡くなりになって、新しい国王を決める選挙が行われるらしいのだが……。王宮に他国の兵が押し入ったというウワサが広まっている」
よく分からない。よく分からないが、これは今すぐ動かなければならない。私の勘がそう告げている。私は懇意の職人の店を回った。
「ボリスさん、今すぐ私と逃げましょう。イヤな予感がします」
「おいおいレオ、何言ってるんだ」
「信じてください。王宮に他国の兵がいるらしい。とんでもないことになるかもしれない。しばらく潜伏して、何もなければすぐこちらにお連れします。だからとにかく行きましょう」
「いや、しかし、家族を置いてはいけないだろう」
「家族はどこに?」
「街に買い物に行ってる」
「私が他の職人に声をかけている間に見つけてください。それまでに会えなければ、諦めてください」
「レオ、そんな無茶な」
「早く行って探してください」
他の職人とも似たような会話をしながら、説得する。城門から軍服を着た男たちがさりげなく入ってくる。
「レオ、ダメだ、見つからない。俺はここに残る」
「いや、それはいけない。ラグザル王国の軍隊が入って来たのを見ました。衛兵が少しずつやられている。行きましょう。生きていればまた会えます」
私たちは荷馬車に乗って城門を出る。
「おい、ちょっと待て」
ラグザル王国の軍隊に呼び止められた。
「お前たち、どこに行く?」
「はい、私はローテンハウプトの商人でございます。これらはサイフリッド商家の職人たちです。こちらでの技術研修が終わりましたので、引き取りに参った次第です」
私は金貨の入った袋を男に渡す。
「ラグザル王国のイルメリン商会とは懇意にさせていただいておりまして」
「……よし、行け」
金貨と大手商会の名前が効いたのか、私たちは無事にヴェルニュスを抜け出すことができた。
無事にローテンハウプトに戻れたものの、その後伝わってくるムーアトリア王国の情報は凄惨を極めるものだった。私の愛した、あの自由闊達なヴェルニュスは、人々はもういないのだ。その絶望からか、豊かだった私の髪はすっかり抜け落ちてしまった。
「父さん、ミリーが目を覚ましたって」
イローナが声をかけた。
「そうか、無事なのだね?」
「うん、肉入りのスープをアル様が食べさせてた」
「そうか、よかった。ミリー様はヴェルニュスに必要な方だからね。さあ、ヴェルニュスの復興計画を練っておこう。いずれミリー様とアル様と詰めなければならない」
「そうだね。ブラッドも呼んでくるね」
二十年の時が過ぎてしまった。ミリー様という比類なき主をヴェルニュスは得た。
立て直そう、あの自由闊達な職人の街を。育てるのだ、遊び心のある職人たちを。
この時のために蓄えてきた。金ならいくらでもある。