54.飢えた領民
「……という感じで、極端に女性が多い土地なんだ」
「うう、なんか思ってたより歴史が重いんだけど。ラグザル王国はどうしてそんなにムーアトリア王国の男性を殺したの?」
ヴェルニュスに向かう馬車の中で、ミュリエルはアルフレッドから領地の歴史を聞く。
「男は統治の邪魔になるからじゃない。それに、ムーアトリア王国の女性は美人が多いことで有名なんだ」
「へー」
「ムーアトリア王国は侵略を度々受けて、色んな国と血が混ざったからね。そうすると美人が多くなると言われている。美しいムーアトリア王国の女性を手に入れるために、余計なムーアトリア王国の男性は虐殺したんだろう」
「怖い」
なんとおぞましい。ミュリエルは怖気立つ。
「怖いよ。戦争は起こさないのが一番だ」
「でも飢饉が起こったら、ラグザル王国の人たちはさっさと逃げちゃったんだよね? どうしてムーアトリア王国の人たちも連れて行かなかったんだろう」
「ラグザル王国の女性は気が強い。一方ムーアトリア王国の女性は控えめ。ラグザル王国の男性たちにとって、控えめで貞淑なムーアトリア王国の女性は手応えがなく、物足りなかったと言われている」
「そんなあ、ひどすぎるよ」
侵略して蹂躙、陵辱しておいて、飽きたらポイなんて。鬼畜すぎる。
「文化を破壊しつくしたから、気が済んだとも言われている。ムーアトリア王国のヴェルニュスは交易と手工芸で栄えた都市だ。陶磁器、オモチャ、武具鍛冶屋など、ヴェルニュス産の物は美しくかつ高品質と評判だった」
「それを全部壊しちゃったの? もったいないよね」
「ラグザル王国の手工芸品を輸出するのに、ムーアトリア王国が障害だったんだろう。了見の狭いことだ。うまく取り込んで、一緒に発展していけばと思うが。自国こそが一番という誇りが強い国だからね、ラグザル王国は」
ミュリエルは顔をしかめてブルブル振る。
「ラグザル王国が嫌いになってきた」
「そう? 僕は昔から大嫌いだよ」
「わあー」
アルフレッドが思慮深げに言う。
「虐げられた人たちだから、ミリーが何をしてあげても、神様みたいに拝まれるよ」
「ええーそれはイヤだけど。でも、なんとかしてあげたいよね」
「行って考えよう。情報はいくら集めたところで、実際に現地に行って得られるものには遠く及ばない。ミリーが辛い思いをするかもしれないけど……」
「大丈夫。今がドン底なら、もう上がるしかないもん」
「そうだね。一年やって、ダメなら違う領地に行ってもいい」
「それはダメだよ。そんな無責任なことはできないよ、アル」
「うん、分かってる。逃げてもいいんだって、言っておきたかっただけだ」
いや、それは絶対ダメ。少なくとも領民が自分たちで生きていけるようになるまで、導いてあげなければ。なんといっても領主になるんだから。ミュリエルは拳を握って決意を固める。
大分領地に近づいてきたらしい。豊かな森と野原が交互に現れる。
「どうして誰も農作業してないんだろう? 小麦の種まきの時期なのに」
「飢饉のときに農家が避難して戻らなかったらしい」
「え、じゃあパン食べないの? 肉だけ? 野菜は?」
「分からない。聞いてみよう」
(こんなに豊かな大地があるのに、もったいない。明日から耕さないと)
橋を渡って堀を抜け、城門をくぐり抜ける。
「うわー、城壁がボロボロだね。これ、早く直さないと」
穴だらけだ。魔物がいくらでも通り抜けられる。
「廃屋みたいな家が多いな」
「人に覇気がない。目が死んでるし、ガリガリ」
ミュリエルとアルフレッドは、馬車を見つめる領民の哀れな姿に驚く。
「まずは食糧か」
「そうだね。ああ、城壁内に小さな畑があるんだね。そっか。でもあの大きさだと野菜だね」
今の時期ならキャベツやカブ、じゃがいもなんかもいい。
「ていうか、大きいねこの街。お城まで随分あるよ」
「最盛期は二万人住んでいたからね」
「それが今は千人か……。千人にこの街は広すぎるなあ」
無駄に広いと、守るのが大変だ。ミュリエルはうなった。城の全貌がようやく見えてきた。
「お城は丘の上か、守りやすくていいね。城というか城塞だね……。すごい」
「侵略を受けるたびに増改築を繰り返した。難攻不落の城塞と言われている」
「でもラグザル王国に負けたんだよね?」
「ムーアトリア王が突然死んだからね。次の王を決める選挙の対策で、貴族たちが右往左往している隙を突いて、当時まだ王子だったダビド・ラグザルが、ごくわずかな兵を連れて城塞に入ってしまった」
「そんなことってあるんだ」
「そうとは知らず選挙のために城塞に集まった貴族を、ダビド王子たちが皆殺しだ」
「ひえー」
「ダビド王は勇猛で有能だ。娘の教育にはしくじったけどね」
「ああ……」
そういえば、やかましいのがいたな。ミュリエルは久しぶりに思い出して、すぐ忘れることにする。
急な坂道を馬車と荷馬車が上り、巨大な石の門を通り抜けて城塞に着く。痩せ細った領民たちが不安そうな様子で跪いた。
アルフレッドが馬車から降り、ミュリエルに手を出す。ミュリエルはアルフレッドの手に軽く触れると、トンッと馬車から飛び降りた。
「皆、立ってください。新たにヴェルニュスの女領主となったミュリエル・ゴンザーラです。これから永遠に直答を許します。そして、ミリー様と呼んでください」
ミュリエルはポカン顔の領民を見て、とりあえず笑っておく。なかなかいい挨拶だったと思うけど、どうだろうか。アルフレッドを見ると優しい笑顔だ。よし。
「あ、あの失礼ですが……。アルフレッド王弟殿下がご領主様なのでは?」
ひとりの女性がオズオズと聞く。
「いや、僕はミリーに婿入りしたんだ」
「あ、え……」
うん、なんかごめん。混乱するよね。そういうときは、何か新しい仕事を与えるのが一番。ミュリエルはキリッと指示をする。
「それでは、早速領地を案内してください」
「あの、宴の準備が整っておりますので。もしよろしければ、先に旅の疲れを癒されてはいかがでしょう」
ミュリエルはニコニコする。そういえばお腹が空いている。
「はい、ではそうしましょう」
「こちらでございます」
城塞の中に案内され、異様に天井の高い広間に案内された。テーブルの上にはパンや野菜料理がたくさん並べられている。
「うわー、こんなにたくさん。大変だったでしょう。ありがとう」
「いえ、滅相もございません」
「…………」
えーっと、こういうときはどうすればいいんだっけか。乾杯? いや、違う。人が少ないのが問題だ。
「他の領民はどうしたのですか?」
「はい、畑仕事や薪割りをしております」
「なるほど、冬支度ですね。でもせっかくですから、皆で食べましょう。天気もいいですし、庭にテーブルを出して食べましょう」
やはり親交を深めるには、一緒に食べて飲むのが手っ取り早い。ミュリエルはよく知っている。
「は、はい。ですが、さすがに領民全員となると、食事の量が足りません」
「分かりました。では狩りましょう。ここは森が多く、獣の気配が多い。素晴らしい狩場です」
「はあ」
ミュリエルは窓から頭を出し、大声で叫ぶ。
「犬、フクロウ、何か適当に狩ってきて。これから食べるから大至急ね。半分は食べていいから」
「ワウワウーーーン」
「ホッホー」
犬とフクロウは凄まじい速さで森に行き、次々と獲物を運んでくる。その間に、鐘で集合をかけられた領民たちが、ビクビクしながら城塞にやってくる。
「誰かさばける人は?」
ミュリエルの問いかけに、領民たちは青ざめて首を横に振る。
「ウサギとか鶏ならさばけます。でも鹿や猪はやったことがありません」
「そっか。そしたら今日は私たちがさばくね。よく見ておいて、これから覚えてもらうからね」
ミュリエルやアルフレッド、騎士や護衛が手際よくさばいていくのを、領民たちは唖然として見守る。
「今まで狩りはしなかったの?」
「弓や罠で何度か……。弓は矢がもったいないので、罠が多いです」
「そっか、石投げも覚えてもらわなきゃね。冬になる前にやることがいっぱいだ」
「は、はい」
忙しくなるなあ。ミュリエルはワクワクする。
「そういえば、農作業に出てる人がいなかったけど、小麦の種まきはしないの?」
「はい、それが、誰もやり方を詳しく知る者がおらず。寝たきりの老婆に聞いてやってはみたのですが、うまくできませんでした」
「そっか。あれ、でもあそこにパンが並んでるよね?」
「小麦は買っております」
ミュリエルはカッと目を見開いた。
「な、なんて贅沢な……。信じられない。しかも白パンだし。私だって王都に行くまで白パンなんて食べたことなかったのに」
ミュリエルがぶつぶつボヤく。領地では常に黒パン。栄養価が高く、長期保存に優れている。味は……滋味深い味わいだ。体にいい味だ。
「明日から畑を耕して、急いで種まきしようね。まだ間に合う。とりあえず今年は簡単なライ麦にしよう。といっても、収穫は来年の初夏だけど」
領民たちはコクコクと頷く。
「さあ、肉も焼けたし、みんなで乾杯しよう。……あれ、お酒はないのかな?」
「お酒は蔵に入っております。ご領主様にお伺いしてからと思いまして」
「いいよいいよ。好きなのじゃんじゃん持ってきてよ。明日からみんなには死ぬ気で働いてもらわないといけないからね」
酒が皆の手に行き渡った。子どもは果実水だ。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。今日の恵みを感謝します」
皆が迷いなく共に祈っているのを見て、ミュリエルはホッとする。
「それでは、これからの新しい生活を祝って。えー、皆が飢えずにそこそこ食べられて、誰も凍死せずに春を迎えられるようにしようね。乾杯!」
「乾杯!」
領民は久しぶりの大量の肉に、夢中でかぶりつく。今まで、へへーんと目の前を舐め腐った表情で走り抜けた鹿だ。指をくわえて見ているだけだった鹿。それに猪なんて初めて見た。
「うめー」
「本当に。こんなにおいしいお肉、二十年ぶりです」
「うーん、みんなちゃんと血抜きしなかったんじゃないの? 全員さばけるようになってもらうからね」
「はいっ」
この変わった女領主、大分普通じゃないけど……。でもこの冬は全員で乗り越えて、無事に春を迎えられるかもしれない。
絶望に塗り固められたヴェルニュスの地に、母なる大地が救いの手を差し伸べてくれた。領民は何年かぶりの満腹感に腹をおさえながら、神とミュリエルに祈りを捧げた。