53.ヴェルニュスでの商機
二十年前にラグザル王国に滅ぼされたムーアトリア王国。元ムーアトリア王国の王都であったヴェルニュスに私は住んでいます。ダイヴァ・マイローニス、三十五歳になります。
辛く長い二十年でした。二十年前、ムーアトリア王国は貴族選挙制を敷いていました。国王は貴族による選挙で決まりました。
当時の国王が突然死去し、後任を選ぶのに遅れ、その隙を突かれてラグザル王国に攻め込まれたのです。
十歳以上の男子は全員処刑、もしくは過酷な戦地に送られました。そして、ラグザル王国の男が元ムーアトリア王国の都市に送り込まれ、同化政策が取られたのです。ラグザル王国の貴族は正妻にはラグザル王国の女性を娶り、第二・第三夫人、または愛妾に元ムーアトリア王国の貴族女性を据えました。
ムーアトリア王国の歴史や文化は徹底的に弾圧され、失伝しました。
十年前、日照りによる飢餓が起こったとき、ラグザル王国の者はさっさとこのヴェルニュスを去りました。私の夫だった男も同様です。私は四歳の息子を抱え、途方に暮れました。
ここは捨てられた土地となったのです。隆盛期は二万人を誇ったと言われるヴェルニュスの人口は、今や千人をわずかに超えるばかり。男性は三十歳未満しかおらず、極端に女性が多い、歪な都市です。
いえ、もう都市とは言えませんね。ただの街です。
希望などはありません。ただ死んでいないだけです。早くお迎えが来て欲しい、そう思っている人は多いです。
そんなとき、ラグザル王国から使者が来たのです。
「え、元ムーアトリア王国の土地がローテンハウプト王国に吸収されるですって? なぜ」
「理由などは知る必要はない。とにかくそういうことだ。もう我がラグザル王国とは無関係になる。全く、せっかく策を弄して手に入れたというのに、役に立たぬ国であったことよ」
王宮の使者は吐き捨てるように言います。
「とにかく、近日中にローテンハウプト王国の王弟殿下夫妻が来られるそうだ。宴の準備でもしておけ。まあ、ろくな物は残っておらなさそうだがな」
男はせせら笑うとヴェルニュスを立ち去りました。
「宴の準備、そんなの無理よ」
私たちだってその日暮らしです。必死で畑を耕し、慣れない狩りをしています。貴族だったときには、考えたこともない生活です。
「ローテンハウプト王国の王弟夫妻、さぞかし煌びやかな暮らしをされているのでしょうね」
私は我が身と比べて、情けなくなります。私だって、二十年前は王都随一の美少女と称えられたものです。今は見る影もありませんけれど。私はギスギスして荒れた手と、つぎはぎだらけの服を見ます。まるで農民です。
いえ、私に農民の技術があれば、民をもっと飢えさせずにすんだのに。先見の明のある技術を持つ者から、どんどんヴェルニュスを離れて行きました。
残されたのは、ただ贅をつくして享楽にふけっていた元貴族と、どこにも行けない老人と子どもです。
ローテンハウプト王国に恨みがないとは申せません。あのとき、なぜ助けてくれなかったのか、そういう思いも確かにあります。
ですが、細々と交易を続けているローテンハウプトの商人などは、飢餓の際に無利子で穀物を提供してくれたのです。
「返せるようになったら、返してくれ」
小太りで頭の光った商人はそう言って、山のような食糧を置いて行きました。いっこうに返せてはおりません。借金ばかりが増えて行きます。死ぬ前にそれだけが心残りです。
少しだけ希望の光が見えたような気がします。私はお母様がこっそり残してくれた記録帳を、本棚の奥から取り出します。
もし、もしもこれらの技術を復興させることができれば、死んでいったムーアトリア王国の人々が、少しは浮かばれるかもしれません。それには資金が必要です。
私は神に慈悲を祈りました。
「どうか、捨てられたヴェルニュスの民にご加護を」
***
「パッパに任せなさい」
パッパはどこか遠くに商機を見出した。やはりミリー様の新領地に行くべし。パッパは決断する。
「イローナ、ブラッド、大至急ミリー様を追うぞ」
「やったー」
「ええっ」
イローナは喜び、ブラッドはのけぞった。
「デイヴィッド、お前も来るんだ」
パッパは次男に声をかける。
「ええっ……。私はそろそろ結婚を考える年ですよ。二十二歳だと遅いぐらいだ。王都で落ち着きたいのに……」
「大丈夫、女ならうなるほどいる場所だ」
「そうですか……。でも私は、田舎者の女は好きではないのですが」
デイヴィッドはぶつぶつ文句を続ける。
「大丈夫、古式ゆかしい、旧ムーアトリア王国の女性たちだ。伝統と格式に裏打ちされた、たおやかな姫ばかりだ」
「その言葉、本当でしょうねえ」
デイヴィッドは疑り深い眼差しでパッパを見る。
「デイヴィッド、行ってこい。王都での商売は私が見ておく。女性の有無はともかくとして、父さんが商売で勘を外したことは一度もないだろう?」
長男のジャスティンが落ち着いた声音で言う。
「分かりましたよー。あーもう、仕方ない。がっぽり儲けるか」
「おうっ」
サイフリッド家がひとつになった。ブラッドはまだ話の急展開についていけていない。