50.婚約式
その人は鷹のような目をして、ミュリエルを見つめた。
ミュリエルは居心地の悪い思いをしたが、じっと耐えた。アルフレッドの父、前王のヴィルヘルム、さすがに覇気がある。
ミュリエルの隣に座るアルフレッドと、前にいるエルンスト国王の緊張が伝わり、ミュリエルも少しビクつく。
この人に反対されたら、どうなるのかな……。ミュリエルに不安がよぎったとき、ヴィルヘルムの空気が柔らかくなった。険しい目にかすかな懐かしさのような物が見える。
「メリンダの目をしているな」
ヴィルヘルムは起伏のない声で淡々と言う。
メリンダ……メリンダって誰ーー? ミュリエルは混乱した。その様子を見て、ヴィルヘルムが続ける。
「ああ、メリンダはそなたの祖母だよ。父方のな」
おお、ばあちゃんのことか。そういえばメリンダって名前だった。誰もばあちゃんのこと名前で呼ばないから、すっかり忘れていた。
「ば、祖母をご存知なのですか?」
「ああ、学園の同級生だった。組は違ったが……。メリンダには剣術の対戦でひどくやられてね。驚いた」
ヴィルヘルムはかすかに笑った。
(ばあちゃん、なんてことを……。いや、きっとばあちゃんのことだから、王族って知らなかったんだな。そうに違いない)
「将来国の頂点に立つのに、そんな教本通りの剣術でやっていけると思っているのか。木剣を突きつけられて、そう言われたよ」
(ばあちゃーん)
ミュリエルの背中を冷や汗が流れ落ちる。
「まあ、腹は立ったが、一理あると思った。その頃の私は傲慢だった。無駄に高い鼻をへし折られたことは、私にとってもこの国にとってもよかったと思う」
(ばあちゃん……もう少し遠慮ってものを……)
エルンストとアルフレッドが困惑している。アルフレッドが眉をひそめて言う。
「まさか、父上がミリーの祖母と知己であられたとは思いませんでした」
「そうだな。まさかお前がメリンダの孫娘を選ぶとはな。血は争えんものだ」
「え?」
「私も、メリンダを妻にと望んだ」
「ええええええ」
ミュリエル、アルフレッド、エルンストの叫びが部屋に響く。
(ええーあのシワクチャで鬼みたいなばあちゃんが、このお上品な人とー。似合わない……)
「さすがに正妃にはできぬが、側妃ならどうかと。一笑にふされて相手にされなかった」
(ふあー、信じられない)
「それは、母上も承知のことですか?」
エルンストが心配そうに聞く。
「さあ、私から話したことはないが。アレは聡い女だから知っていても、何も言わんだろう」
(ひょえー、気まずーい)
「メリンダは女ながら、次期領主になることが決まっていた。だから、私に嫁入りするわけにはいかなかったのだ。メリンダはさっさと男をつかまえて、あっという間に領地に戻ってしまった」
(ばあちゃん、そんな大事なこと、もっと早く言ってよー)
ミュリエルは領地のばあばに恨みの念を送る。
「お前がメリンダの孫娘に婿入りしたいと言ってきたときは驚いた。私にはそんな考えは、かけらも浮かばなかったからな」
ヴィルヘルムがアルフレッドを見つめる。
「婚約式と結婚式は、好きなようにすればいい。格式や伝統をある程度は尊重してほしいが。アルフレッドが婿入りするのだ、そなたらの好きにすればよい」
「はい」
ミュリエルとアルフレッドは神妙な顔で答えた。
***
領地の結婚式の伝統と、王都の婚約式の伝統を話し合い、ふたりなりの婚約式が始まった。
教会の祭壇側に向かって右に、王族や高位貴族たちが着席する。左側にミュリエルの家族、イローナの家族、クリス先生と組のみんな、魔牛お姉さんたちもこちら側だ。
街の住民たちは、教会の壁と同じ灰色のショールをまとい、左の壁際に座る。イローナが用意したショールだ。銅貨五枚で一日貸し出しだ。銀貨十枚出せば買い取れるので、買った住民も多い。新顧客が大量に得られて、イローナの家族はご満悦である。
皆に見守られながら、アルフレッドとミュリエルが祭壇の前に向かってゆっくりと歩く。
アルフレッドが着る濃い茶色の膝丈までの上着には、金魔牛を模した紋様が金色で刺繍されている。ミュリエルのピッタリと体に沿う赤のドレスにも、同じ金色の紋様が施された。
ミュリエルの髪はシャルロッテとマリーナの手により複雑に結い上げられている。化粧はほとんどしていない。その方が、ミュリエルの溌剌とした魅力が引き立つと、母と姉が判断した。
ミュリエルとアルフレッドは、司教の前で跪いた。
司教が厳かな声で祈りを唱える。
「おお我が父なる太陽よ、汝の子なるミュリエルを照らし給え」
司教がミュリエルの額と鎖骨の窪みにトウモロコシの粉をつける。
「おお我が母なる大地よ、汝の子なるアルフレッドを慈しみ給え」
次に司教はアルフレッドの額と鎖骨に小麦の粉をつける。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。今日の恵みを感謝します」
ミュリエルとアルフレッドは声を合わせて祈りを捧げた。
「汝ら心してこの恵みを食せよ。汝らの父なる太陽、母なる大地の御心にかなう祈りを捧げよ」
司教がトウモロコシのパンをミュリエルに、小麦のパンをアルフレッドに渡す。ふたりはパンを小さくちぎり、お互いの口に入れる。
「さすれば汝らに幸が与えられん」
司教が銀の杯をひとつ、ミュリエルとアルフレッドの間に差し出す。ふたりは盃を一緒に持つと、中の赤い酒を床に少しこぼす。
「大地の女神に捧げます」
次にお互いに酒を飲ませ合った。
「ミュリエル・ゴンザーラ、アルフレッド・ローテンハウプト。神の御名によって、ふたりの婚約が成立したことを宣言します」
アルフレッドはミュリエルの手を取ると、人々の方に向いた。
ワッと歓声が上がる。
ふたりはゆっくりと通路を歩いていく。左側の席から、次々と言葉がかけられる。
「ミリーおめでとう」
「幸せになってね」
「素敵なドレス」
「似合ってるわ」
言葉と共に小麦とトウモロコシの粒がかけられた。
右側の王族と貴族たちは、ややためらいがちにアルフレッドに声をかける。
「アルフレッド、おめでとう」
「良い式であった」
「アルフレッド殿下おめでとうございます」
「おふたりのお幸せをお祈りいたします」
ぎこちない手つきで、小麦とトウモロコシの粒がかけられた。
扉の前でミュリエルとアルフレッドは顔を見合わせた。アルフレッドはミュリエルを抱き寄せると、額にキスをする。
アルフレッドの唇にトウモロコシの粉がついた。ミュリエルは笑いながら親指で粉をぬぐう。アルフレッドはミュリエルの手をとらえ、そのまま親指に唇を押しつける。
「唇は結婚式までとっておく」
「あれ、前にもうしたよね」
「ふたりきりのときは別だ。人前では結婚式まで我慢するよ」
「ははは、分かった」
ミュリエルは朗らかに笑い、アルフレッドの腰に手を回す。ふたりは力を合わせて、扉を開ける。まばゆい光がふたりを照らした。