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49.命の天秤


「母さんっ」


 王都に着くと、待ち構えていたミリーが飛びついてきました。とっくにわたくしより背の高くなっている娘を抱き止めます。よろけたわたくしをロバートが支えてくれました。


 もうすっかりわたくしの手を離れた子。いずれどこかの領地に旅立ってしまう。昔から予想外のことばかりする子だったけど。まさか王弟を伴侶に選ぶとは思わなかったわ。


「元気なの? アルやマチルダに迷惑をかけていない?」


 ミリーは何も言わず笑っています。これは何かごまかそうとしているわね。まあ、アルがついてるから大丈夫でしょう。ミリーのことはそれほど重く悩まないことにしています。どうせいつの間にか想定外の味方が現れて、なんとかなるのですから。



 この子は大丈夫。よほどのときには相談してくるでしょう。手早くミリーの背中や髪を撫で、体つきに変化がないか調べます。肌艶もいいし、髪のコシもしっかりしてるし、痩せても太ってもいないわね。


 きちんと食べているようです。少し安心しました。



「母さんたち、本当に宿に泊まるの? マチルダさんの家で泊まればいいのに」


「あら、ダメよ。マチルダが大変ではないの。あなたひとり面倒見てもらうので十分迷惑かけているというのに」


 ミリーが口を尖らせます。

 

「王宮に泊まってください」


 アルが熱心にすすめます。


「いえ、結構ですわ。宿の方が気楽ですから」


 ロバートとマリーナとトニーが、ホッとしたのが分かります。ええ、王宮で泊まるなんて、彼らにとっては苦行以外の何ものでもありませんわ。




 宿についてくつろいでいると、ミリーが何かを話したそうにしています。


「何かあった?」

「うん……。母さんのお父さんとお母さんに会ったよ」

「まあ……それで?」


「えーっと、みんなに何か買ってくれるって。母さんにはクリーム、父さんには馬、マリー姉さんには靴、ジェイには犬でハリーにフクロウ、ダニーが本でウィリーが彫刻道具」


「そう……」

 

 ロバートが何か言いたげにこちらを見ています。


「ミリーは何か買ってもらったの?」


「ううん。あ、でも一緒にピクニックに行ったよ。私がうっかり、領地にいるときみたいにしちゃって、怒られちゃった」


「ああ……」


 なるほど。大体予想がつきますわね。


「ごめんね」


 ミリーが落ち込んでいますわね。まあ、領地での振る舞いを、王都の面々の前で披露したら、さぞかし耳目を集めたことでしょう。まさか王弟の相手になるとは思っていませんでしたから……。ミリーには最低限の作法しか教えておりませんでした。

 

 わたくしの責任ですわね。ミリーの頭を撫でて髪をすきます。さて、どうしたものかしら。

 

「そうね、あなたに十分な礼儀作法を教えなかったわたくしが悪いのです。これから婚約式までに、できることはいたしましょう」



 わたくしはこれからの予定を思い浮かべます。


「あ、それはもう大丈夫。ルイーゼ様や魔牛お姉さんたちが教えてくれたから」


「そう、よかったわ。それなら安心ね」


 本当に、この子にはいつも助けの手が差し出されるのですわ。ありがたいことです。



「おじいさまとおばあさまに、婚約式に出てもらって大丈夫だよね?」


「ええ、事前に相談してくれていましたものね。大丈夫です。」


 でも、そうね……。婚約式の前に会っておきましょう。二十年ぶりになりますわ。



***



「シャルロッテ……」


 二十年ぶりの屋敷の客間で、父と母に迎えられます。


「お父様、お母様、お久しぶりです」


 小さくなった、父と母。ふたりを見つめながら、わたくしは自分の心の動きを観察します。そうね、驚くほど何も感じないわ。老いたなと思うぐらいです。それはお互い様なのですけれど。



「まあまあ、こんなにヤツれて……。シワも確かに増えてるわね。ミリーに言われて、高品質のクリームを用意してますよ」


「あら」


 驚いて目を少し見開いてしまいました。


「さあ、座ってゆっくり話を聞かせてくれ」


 父に促され、ソファーに腰かけます。問われるままに、領地での生活を話します。母は涙ぐみ、父の表情は暗くなります。


「苦労しているのだな。すまなかった。これからは十分に支援させてもらう」


 父が重々しく言います。


「ロバートに馬を買ってやろうと思ってな。ふたりで乗馬すればいい。その、領地では退屈だろう?」


「まあ……」


 わたくしは言葉を失いました。退屈とは無縁なのですわ。でも、それは言っても伝わらないでしょう。


 わたくしは領地での生活を思い浮かべます。朝は鶏のけたたましい鬨の声で目覚めるのです。下働きのタマラと朝食を支度します。息子たちが口いっぱいに詰め込もうとするのを見張りつつ、慌ただしく朝食を終えるのですわ。



 朝食の後はロバートと書類を片付けたり、誰かが怪我や病気をしていたら看病に行ったり。場合によっては出産にも立ち合います。


 魔物が来れば戦う者たちを後方で援護し、狩ったあとはさばいて領民に配らなければなりません。活躍した者には多目に渡しますが、だからといって後方支援の者たちをないがしろにするわけにはいきません。


 それでは、誰も支えてくれなくなってしまいますもの。活躍した者を褒めつつ、支援の側にも目を配る、そのさじ加減には気を使います。


 もちろん、戦えない老人たちにも配慮が必要です。足りなければ、領主の取り分から少し分けるのですわ。


 王都に住んでいたときには、考えもつかない事態が毎日起こるのです。退屈なんて感じたこともありません。



 すっかり考えにふけって聞き流しておりました。母が何か言っておりますわ。


「でも安心したわ。どんなひどい衣装なのかと心配しておりました」


 母がわたくしの服を見て微笑みます。


「ええ、ロバートと買いに行きましたの」


 わたくしは軽く流します。


「それに、その毛皮。狐でしょう? それほどの物は、王都でもなかなか目にしません」


 わたくしは隣に置いてある、狐のショールに目をやります。


「でもシャルロッテ、あなた毛皮は苦手ではなかったの?」

「……これは、特別なのです」



 この毛皮はわたくしへの戒めなのです。


 二十年前、領地に行ったわたくしのお気に入りの場所は湖でした。そこに白鳥の夫婦がいるのです。順番に卵を温め、ヒナが産まれれば協力して育てる二羽の白鳥。わたくしは白鳥に、自分とロバートを重ね合わせていたのかもしれません。


 あるとき、いつものように湖に行ったとき、狐が白鳥のヒナを狙っていたのです。


「ロバート」


 わたくしは思わず、ロバートを見つめました。ロバートはためらいました。動物同士の命のやりとりに、領民が手出しをするのはご法度なのです。どうしてもどちらかに肩入れする場合は、神にお伺いを立てなければなりません。


「コインが表だったら助ける」


 ロバートはそう言うと、コインを弾きました。わたくしは祈りました。


 ロバートは落ちてくるコインを右手でつかむと、左手の甲に重ねます。右手を上げると、


「表だ」


 ロバートは、次の瞬間石を投げ、狐を殺しました。



 それ以来、湖に行くときは、ロバートはやたらと物音を立てるようになりました。歩きながら藪の中に石を蹴り込んだり、わざと木にぶつかったりします。わたくしがロバートを見ると、ロバートは後ろめたそうな顔をします。


 わたくしは、白鳥が狙われる場面に出くわすことはなくなりました。たまにヒナの数が減っていても、心の痛みをこらえられるようになりました。


 わたくしは、自分への戒めに、狐のショールを身にまといます。



「でもよかったわ。あなたの所作が乱れてなくて。ミリーには少し……驚きましたから」


「そうですね、ミリーの作法についてはわたくしに責任があります。何か問題があれば、わたくしに手紙を出してください。わたくしからミリーに言いますので」


 言外に、余計な口を出すなという意図をこめて、母と父を見ます。ふたりは一瞬険しい顔になりましたが、わたくしは気にしません。


「ミリーのことは、わたくしとロバートが責任を持ちます」


 重ねて釘を刺す。


「分かったわ」


 母は根負けしたようです。父は不満そうですが、口をつぐんでいます。


 両親には感謝しています。十五年間、大切に育ててくれました。



 ロバートの領地に移り、二十年が過ぎました。箱入り娘だったわたくしに、いちから領地での暮らしを仕込んでくれたのは、ロバートの両親です。両親と義両親、どちらが大切かなんて、比べることはできません。


 ですが、ミリーは石の民で、森の娘です。王都の色に染まる必要はないのです。

 

 いつからか、両親とズレが生じるようになりました。だからと言って、切り捨てる必要もないでしょう。ミリーには厳しい身うちがいてもいい。それに、再来年にはジェイとハリーが王都で学園に通います。彼らには後ろ盾が必要です。



 わたくしはゆったりと微笑みます。

 

「お会いできて嬉しかったですわ、お父様、お母様。婚約式でお会いしましょう」



***



 宿に戻ると、ロバートとトニーがカードで遊んでいます。


「どちらが勝っていますの?」


「今のところ引き分けだ。仕方がない、コインで決めよう。コインが表なら俺の勝ちだ」


 ロバートがコインを出します。


「あら、それはズルいですわ。だってあなたはいつだって、コインの表を出せるではありませんか」


 ロバートの顔がこわばる。


「……知っていたのか」

「ええ、知っていたわ。ごめんなさい、ロバート」

「いいんだ、シャルロッテ」


 抱き合うわたくしとロバートを、長女夫婦がポカンと見ています。


 あのときの狐に誓います。わたくしは家族を守ります。ですがもう、動物たちの命を天秤にかけたりいたしません。




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― 新着の感想 ―
[一言] でもまあ、そりゃあ好きな動物に組みしちゃうよね。子猫が烏に襲われてたら助けます。 森の番人とかな役職ならばタブーですけど。そしてそれがタブーな一族でしょうけど。 お祖父様お祖母様は、価値観…
[一言] …ロバートやるな! 心優しき野獣!(笑)
[良い点] 家族の様子が見れて読んでいて良かったです。 いろいろあったんだな〜と。
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