46.気楽にと言われましても
王都の職人街の一角にある小さな鍛冶屋に、お上品な紳士がスルリと入ってきた。
「この魔牛の角で、指輪をふたつ作っていただきたいのです。なる早で」
紳士がにこやかにとんでもないことを言う。鍛冶屋のロビンはポカンと開いた口をガキンと閉じる。
「なんでワッシなんかに? ワッシ、指輪なんて作ったこともねえです」
ロビンはそれほど器用ではない。武器の修理を主に請け負っている。指輪は専門外だ。
「実は、この指輪をご依頼のお嬢さまが、あなたに短剣を直してもらったそうです。そのとき、あなたの腕に感銘を受けられたとか」
「はあ……」
うちの店にお嬢さまなんて来た試しがねえけど……。平民の嬢ちゃんならそういえば何度か来たなあ。これ私が狩ったんですって、肉を分けてくれたっけ。まさか、アレなわけないしなあ。
「大きさは、この指輪に合わせてください。ああ、そうそう。上に魔牛の紋章を彫っていただけますか?」
紳士は見本の指輪をふたつロビンに渡す。
「はあっ? そんなこと、やったことねえですけど」
「そうなんですか? お嬢さまが、短剣に魔牛の紋章入れてもらったと、見せてくださいましたよ。こちらです」
紳士は短剣をロビンに見せる。
「こ、これは……」
「あなたが手がけたものですよね?」
「へ、へぇ……。てことはあの、背の高い元気な嬢ちゃんが?」
「そうです。この短剣の魔牛の紋章をもう少しだけ洗練させて、彫ってください。高位貴族がつけてもおかしくないぐらいの」
「…………」
そんな無茶な。断ろうとしたとき、紳士が金貨を積み上げた。
「大至急でお願いします。できれば三日後」
「三日!」
「三日後にできていれば、そのときこれと同額を上乗せでお支払いします」
「……分かっ、分かりました」
「では、三日後に」
紳士は穏やかに微笑んで出ていった。
「あ、ありがてえ。これで店の借金が全部返せる。しかし、まさかあの元気なお嬢ちゃんが、あの紳士の主人なのか? え、どう見ても平民だったけど……」
人は見かけによらないものだ。ロビンは首をふった。
「さあっ、気合い入れてやんなきゃな。お嬢ちゃんに似合うように。あ、でももうちょっとお上品にしなきゃなんねえか」
ロビンはウンウンうなりながら、ちょっと上品でカッコイイ紋章入りの指輪を作り上げた。
それを気に入ったお嬢ちゃんから、仰々しい婚約式の招待状が届いて、ロビンはひっくり返った。
「着る服がねえっっ」
ロビンの叫びが職人街に響き渡った。
***
ここ連日、マチルダの家には血相を変えた隣人が訪れる。
「マチルダさん、この招待状……」
「ああ、ミリーの婚約式ですね」
「本当にアタシらが行っていいのかしら?」
「大丈夫みたいですよ。気にせず気楽に参列してくださいって、ミリーが言ってました」
「いや、そんな無茶な……。何着ればいいのかしら。新調する時間はないし……」
「家にある一番いい服でって。なんなら喪服でいいって」
「それは、ダメでしょうよ」
女性は真面目な顔で言い返した。
「でもねえ、本人がそう言ってるし。どうしても気がひけるのなら、教会の外で待っていてもいいとは思うけれど」
「ご近所さんたちとも相談するわね」
「ええ、そうしてくださいな。ミリーは楽しみにしてますから、ぜひ前向きに、気軽にお願いします」
「……はい」
女性は途方に暮れた。でも集団に紛れていけば大丈夫なのでは? それなりの格好をした集団。そこに群衆の一員として紛れ込む。それなら目立たないのではないか。
いかに目立たず、背景と一体化した群衆を作るか。近隣住民は連日話し合った。
***
「うおーい、授業始めるぞ。席につけー」
生徒たちが席についたところで、クリス先生は教壇の上に封筒の山をドサッとおいた。
「ミリーから婚約式の招待状を預かってるから。みんな、参列するように」
クリス先生は封筒の宛名を読み上げて渡していく。
「おおおおお王家主催の婚約式に、僕がっ? ぼぼぼ僕、ただの男爵子息ですけどっ」
ひとりの男子生徒が立ち上がって大声で叫ぶ。
「まあ、ミリーも男爵令嬢だし、いいんじゃないか。どうも平民も呼ばれてるらしい。気楽に行こう、な」
クリス先生は苦笑しながら教室を見回す。
その後授業が始まったが、誰も聞いちゃいない。小さな紙が飛び交う。
『何着るのよ』
『この前、夜会で来たやつよ。新しいのなんてないもん』
『同伴者ひとり許可って書いてあるけど』
『私婚約者いない』
『この招待状をエサに、誰か釣るか』
『のった』
女生徒たちの目がギラリと光る。
『ヤベエ』
『マジやべえ』
『パネエ』
『それな』
男子生徒たちはなんの生産性もない。混乱の極みである。
(格安の貸し衣装を始めようかしら)
イローナは新たな商売を思いついた。
遠くの屋敷でパッパが反応した。
「パッパに任せなさい」
イローナの兄たちは、何かを察して身構える。
婚約式まであと一週間。誰ひとりとして気楽な者はいない。