4.肉の都
イローナの豪華な馬車で、王都でお世話になる老夫婦の家に着いた。母の乳母だった人らしい。
こぢんまりとした家だ。ミュリエルは元気に扉を叩いた。
「こんにちはー。ミュリエルでーす。開けてくださーい」
大声で叫ぶ。通りをゆく人たちにギョッとした顔で見られた。しまった、つい領地のクセでやってしまった。確か都会には呼び鈴というものがあるって、マリー姉さんが言ってたっけ。
よく見ると、扉のそばに呼び鈴があるではないか。ミュリエルは壊さないように、そうっと鳴らした。
カランコロンカラン
「はいはい。どちらさまですか」
優しそうなおばあさんが出てきた。
「ミュリエル・ゴンザーラです。今日からお世話になります」
「まあまあまあ、マチルダです。ロバート様にそっくりね」
「え、それは……イヤだ」
「あら、ほほほ。シャーリーちゃんに似てるって言う方がよかった?」
シャーリーちゃん? ああ、母さんか。シャルロッテでシャーリーちゃんか。似合わない……。すさまじい美人だけど、剛腕で領地中の男から恐れられている母さんが、シャーリーちゃん。ぐっ……。
ミュリエルは吹き出しそうになって、必死でこらえた。
「そ、そうですね。母さんは美人なので。……やっぱり似てませんよね?」
「ええ、まあ……つもる話は中でしましょう。もうミュリエルちゃんの部屋は整ってるのよ」
「あ、ミリーって呼んでください。ちゃんづけされると、体がムズムズします」
マチルダが二階の部屋に案内してくれる。
「うわー、す、すごい……」
少女趣味……。ピンクと白の小花の壁紙に、ヒラヒラレースの白いカーテン。ピンクのベッドカバー。わー、似合わなーい。
「かわいらしいミリーにピッタリだわ〜」
「あ、そうですか? ははは」
ま、そういうことにしておこう。
「落ち着いたら下でお茶にしましょう」
マチルダはそう言うと、下に降りていった。
荷物は少ないので、あっという間に片づいた。ミュリエルはお腹に巻いている布をはずすと、中から銀貨を出す。
「重かった……。父さんが絶対に肌身離さず持っていろって言うから」
でもさすがに毎日これを持って学園に行くのはイヤすぎる。
ミュリエルは小分けにして、部屋のあちこちに隠した。
髪をキレイになでつけて、ミュリエルは足取り軽く下に降りていく。
「どうぞ、お納めください」
ずずいっと家賃の銀貨をふたりに差し出す。
「あらあら、まあまあ、こんなにたくさん。いらないって言ったのに、ねぇあなた」
マチルダと旦那のジョニーが顔を見合わせる。
「いえ、これから長い間お世話になるのです。まったく足りていないと思います。足りない分は体で払います」
ごふっ ジョニーが紅茶を吹き出した。
「あ、労働でって意味です。私、料理も洗濯も薪割りも狩りも、ひと通りなんでもできます。どうぞ、家のことは全て私にお任せください」
ミュリエルはどんっと胸を叩いた。
なんと言っても、紅茶一杯が銅貨五枚もする場所だ。銀貨ひと山では、ニワトリのエサ代にもならないだろう。
「ほほほ、そしたら、お手伝いしてもらおうかしら。わたし最近ひざが痛くて。階段の昇り降りが辛いのよ」
「お任せください」
翌朝から、ミュリエルは張り切って働いた。井戸から水を汲み、静かに床を清める。ついでに窓ガラスもピカピカにする。
裏庭のニワトリにエサをあげると、たまごをカゴに集める。薪を割って、壁際に積み上げる。畑の雑草を抜き、朝食用の野菜を収穫する。
壁板がはがれかけているところは、あとで直すことにする。場所をしっかり覚えた。
台所の机を拭き、鍋と銀食器を顔が映るまで磨いた。お湯を沸かし、包丁をシュッシュと研いでいると、後ろに気配を感じる。振り返るとマチルダが目を丸くして見ている。
「キャッ」
マチルダが飛び上がった。視線が包丁に釘付けだ。ミュリエルは慌てて包丁を引き出しに戻す。
「ごめんなさい。起こしちゃいました? すぐ朝ごはん作りますね。目玉焼き、茹で卵、炒り卵のどれがいいですか?」
「まあまあ、ミリー。こんなにしてくれなくていいのに。着いたばかりで疲れてるんだから、今日ぐらいはゆっくり寝たらいいのに」
「いえ、そんなことをしたら、母さんにぶっ飛ばされます。さあ、座ってのんびりしててください。すぐお茶いれますね」
お湯は沸いてるので、すぐにお茶をいれる。
「まあ、おいしいお茶だこと。さすがね、シャーリーちゃんに厳しくシツケられたのね」
「はい。おいしいお茶はいい男への第一歩だそうです」
「ほほほ。学園は明日からよね。今日はどうするの?」
「今日は街をぶらぶらして、夕食の材料を調達してこようかなって」
「あら、いいわね。楽しんでいらっしゃい」
片づけはやるからとマチルダに押し切られたので、ミュリエルは早速探検に出かけることにした。
街はおいしい匂いでいっぱいだ。父は、王都は肉の都だと言っていた。素晴らしいではないか。肉の都、最高の響きである。
ミュリエルは肉の焼ける香ばしい匂いに引き寄せられ、フラフラと屋台に近づく。屈強な男たちがなにやら注文している。
「ソーセージパンひとつ」
「はいよ。銅貨五枚ね。カラシはそこにあるから」
男は銅貨を渡すと、ソーセージにカラシを塗る。拳大の丸パンの間に、小ぶりのソーセージが三本挟んである。男は大きく口を開けるとガブリとかぶりついた。
ジュルリ ミュリエルの口からよだれが垂れそうになった。
(おいしそう……)
ついさっき多めの朝ごはんを食べたばかりだというのに、ミュリエルのお腹はアレを食わせろとグルグル吠えている。
銅貨五枚……。
ミュリエルの両親はとてもとてもケチだ。
「お前の小遣いは領民の税金から出ている。硬貨一枚が領民の血液だと思って使いなさい」
幼い時からそう言われて育ってきた。そんなこと言われたら、無駄遣いなんてできるわけがない。行商人が来たとき、ミュリエルは小さな人形をお小遣いで買ったことがある。
母は許してくれたけど、父は渋い顔をした。
「お前の小遣いだ、好きに使えばいい。その人形、銅貨三枚だな。銅貨三枚の税金を払ってくれた領民に感謝してから買え」
ミュリエルは父に言われて、そばにいた三人の領民にお礼を言った。
「トムおじさん、メグおばさん、アンおばあさん、ありがとうございます。お人形買ってもいいですか?」
三人は笑って、もちろんですよと言ってくれた。その人形は今でもミュリエルの宝物だ。王都にも大切に持ってきた。
銅貨五枚……。色っぽい女になるための秘技を授けてくれた、五人のばあさんを頭に思い描く。
ミュリエルはソーセージパンをきっぱり諦めた。
「よし、狩ろう」
確か、王都のはずれの方に、湖があったはずだ。水辺には動物が集まる。
ミュリエルは肉、肉〜と鼻歌を歌いながら軽やかに歩き出した。
「いるいる」
湖のほとりで水を飲んでいる鹿の群れを見つけた。風下からそーっと近寄ると、前もって拾っておいた石を投げる。
「よっしゃー」
ミュリエルは倒れて痙攣している鹿に近寄ると、短刀でとどめを刺す。服が汚れないように血抜きをすると、湖でよく手を洗った。
意気揚々と鹿を担いで街なかに戻ったとたん、ミュリエルは自分の失敗に気がついた。
(しまった。そういえば王都では女性は狩りはしないんだった)
行き交う人々が青ざめてミュリエルに注目している。
「お嬢ちゃん、その鹿どうしたんだい?」
冒険者っぽいおじさんが声をかけてきた。
「さっき湖で狩ったの」
「へーたいしたもんだ。どうやって狩ったんだい? 罠かい?」
「石を投げて」
「石! そりゃすごいな。へー、やるじゃないか。それで、その鹿どうするんだい?」
「家で解体しようかなって」
「そうか、解体もできるとは立派だねえ。肉屋に持っていけば、解体して買ってくれるよ」
「ホント!」
「ああ、それ全部も食えないだろ? 食べる分だけもらって、解体料を差っ引いた金をくれるさ」
親切なおじさんは肉屋まで連れて行ってくれた。なんと鹿は銀貨五枚になった。
「ボロい、ボロすぎる」
ミュリエルは手の中の銀貨を見て呆然とつぶやく。よし、これで儲けよう。ミュリエルは狩りで金儲けをすることに決めた。
今度、ソーセージパン食べるんだ。ミュリエルは鹿肉を持って、家まで走って帰った。