39.女は女同士
「ミリー、僕の話を聞いてほしい」
アルフレッドがミュリエルの手を取って跪く。
「ミリーが望むなら、僕は全てを投げ捨てて、ミリーと共に領地に向かう」
「いや、そんな。そこまで重く考えなくても……。ちょーっと領地に里帰りしようかなーって思っただけだから」
ミュリエルはあわあわする。
「僕に何も言わずに行こうとしたのに?」
「う……。言ったら止めるでしょう?」
アルフレッドが少し焦った様子でミュリエルにすがる。
「ミリー、僕が望むのはミリーだけだ。それは信じてほしい」
「でも、私ではアルに釣り合わないよ。肉を串から食べちゃったし、地面に寝転んじゃったし」
ミュリエルはうつむいた。
「僕はそのままのミリーが好きだ」
「うん……」
「やはり今すぐ身分を捨てて……」
「失礼いたします。アルフレッド王弟殿下、ミュリエル様」
静かな声がして、女性がひとり部屋に入ってくる。
「ルイーゼ様……」
なぜここにルイーゼ様が? ミュリエルはボーッと妖精のような少女を見る。
「ここは女性同士でお話させてください、殿下」
「分かった」
アルフレッドはミュリエルを心配そうに見たあと、部屋を出ていった。
「さあ、こちらに座ってお話しましょう。ふたりきりですから、何も気にせずお話くださいな」
「は、はい」
ルイーゼに手を取られて、ミュリエルはソファーに座る。ルイーゼがお茶をいれてくれた。
「まずはお礼を申し上げます。ヨアヒム殿下を止めていただき、本当にありがとうございました。あれ以来、殿下とわたくしの仲は良好です。ミュリエル様のおかげです」
ルイーゼが真剣な目でミュリエルを見つめて、ミュリエルの手を握った。
「ミュリエル様、わたくしがミュリエル様をお守りします。正直に仰ってください。アルフレッド王弟殿下との婚約と結婚、全てなかったことにされますか?」
「あ……。そんなこと、今さら無理ですよね?」
ミュリエルは驚いて目を丸くする。
「いいえ、書面上のことですから、まだ今なら白紙に戻せます」
「そうなんですか」
「ミュリエル様、アルフレッド殿下は真にミュリエル様を愛していらっしゃいます。ですが、だからといってミュリエル様が我慢する必要はありません」
そうなのかな、ミュリエルにはもうよく分からない。
「王弟殿下と結婚するというのは、あまりに重いです。わたくしは、王妃教育を長年受け、徐々に王妃になるという重みを受け入れました。ですが、ミュリエル様にとってはあまりに急な変化です。戸惑うのも無理はありません」
確かに。王族との結婚なんて、ミュリエルは考えたこともなかった。
「アルフレッド王弟殿下ではなく、もう少し相応の身分の貴族子息がお相手であれば、それほど混乱されることもなかったのでは?」
「はい、それはその通りです」
ミュリエルは素直に頷く。元々はそのつもりだったのだもの。
「もし、領地にお金が必要でしたら、エンダーレ公爵家で支援いたします」
ルイーゼが破格の申し出をしてくれる。ミュリエルはもう一度ルイーゼの言葉を噛み締めた。
「何もかもなかったことに……」
ミュリエルは考える。自分なりに秘技を駆使して男子を籠絡しようとしたことを。ことごとく失敗したことを。
「婿が必要なら、時期を見てそれなりの身分の子息をご紹介します」
それは、大変ありがたい……けど……。
「厳しい辺境の地でも暮らせる強い殿方を選びます」
うん、それもいいかもしれない。
「領地で今まで通り、ありのままのミュリエル様で生きていけます。領地で生きていくなら、淑女教育は最低限でいいのです。無理する必要はありません」
そっか、それはすごく魅力的だ。
「殿下は今のままの、生き生きとしたミュリエル様が好きなのです。イローナ様やブラッド様も同じでしょう。ミュリエル様のよさを無理に矯正して、つまらない貴族女性になる必要はありません」
そんなことをルイーゼ様のような淑女に言われると照れる。ミュリエルは赤くなった。
「慣れ親しんだ領地で好きなだけ狩りをして、領民と今まで通り暮らしていけます。新しい領地で、よく知りもしない領民の上に立つ必要もありません。責任もなく、自由です。ロバート男爵と、その後はジェイムズ様の補佐に徹すればいいのですわ」
ルイーゼがミュリエルを握る手に力をこめる。
「ミュリエル様のお望みを、エンダーレ公爵家の力で叶えましょう」
ミュリエルは考える。あのとき確かに嬉しかったのでは? 昔から父に定められていた、領地を守るために生きるという道。アルはミリーの好きな未来を選べばいいと言ってくれた。人生に選択肢があると初めて知ったのだ。
領地で、今まで通り領民を守る。それも捨てがたいけど……。私は……。
ミュリエルはルイーゼをまっすぐ見て、心に浮かんだ気持ちをそのまま伝える。
「私はアルと共に生きることを望みます」
ミュリエルは、やっと自分の望みを理解した。流されるのではなく、囲い込まれてそれしか選べなくなるのではなく。自分でアルを選ぼうと思った。
「何をすればいいでしょう?」
ルイーゼはミュリエルを見て優しく微笑む。
「ほほほほ。でしたらわたくしが全力でお守りしましょう。男たちはトンチンカンなのですわ。女の気持ちなど、何ひとつ分からないのです。大丈夫、女には女の戦い方がございます。お任せくださいな」
「淑女教育はどうすれば……」
ミュリエルはオズオズと尋ねる。自分の振る舞いに問題があることは自覚している。
「大丈夫、抑えるべき点だけに絞りましょう。難しく考える必要はありません。だって、ミュリエル様はあの高位貴族のお姉さま方を、手懐けられたではありませんか」
ルイーゼは元気づけるように、朗らかに言う。
「えーっと、魔牛お姉さんたちのことですか?」
「そうですわ、魔牛お姉さんたちのことです。ピッタリの呼び名ですわ。魔牛お姉さんにしたことを他の貴族女性たちにすればいいだけです。男は放置で結構ですわ」
「えっ?」
ルイーゼは自信たっぷりに続ける。
「社交界は女の世界です。ミュリエル様の社交が、これからの新しい時代の社交であるとしてしまえばいいのです。いつまでも古臭い伝統にしがみつく必要はありません」
「でも、おばあさまが……」
すっごい怒られたんだけど……。
「最低限と申しましたでしょう? 手づかみで物を食べたり、地面に座ったりは、信頼できる者の前でだけにするのです。アルフレッド殿下も、そういう自然なミュリエル様がお好きなのです。アルフレッド殿下の前でだけ、本当の姿を見せるといえば、殿下も否やはないでしょう」
「はあ」
「セレンティア子爵夫人や、伝統的な礼儀を重んじる人々の前では、少しだけ擬態なさいませ」
「擬態」
ルイーゼ様は随分難しい言葉を使うな。頭がいいんだろうな、ミュリエルは感心した。
「ミュリエル様は森で狩りをされるでしょう? そのとき、森に馴染むような格好をなさいますわよね? まさかドレスで狩りはしませんね?」
「はい、もちろん」
「それは、狩りという目的のために、ミュリエル様が森と動物に合わせたのです。でもミュリエル様の本質を変えた訳ではありませんわ。それと同じです。うるさい貴婦人たちの目をかいくぐるために、少し淑女の擬態をするだけです。それならできませんか?」
「それなら、できると思います。ずっとではなくて、夜会のときだけとかであれば」
「大丈夫、わたくしが付き添います。魔牛お姉さんたちも協力してくれます。少しずつ練習しましょう、ね。それに、文官たちの前では、取り繕う必要もありませんし」
そうなのか? ルイーゼ様と魔牛お姉さんたちが助けてくれるなら、できそうな気がする。
「ミュリエル様のよさは、すぐに皆に伝わります。大丈夫。どこの領地に行っても必要な、最低限を身につけましょう」
ルイーゼがミュリエルの手を何度も叩く。
ミュリエルは気持ちが明るくなった。なんだ、難しく考えなくても、今までやってきたことの延長じゃないか。
「そうですね、初めてウサギを狩ったときも色々ありました。でも、少しずつ慣れて今ならひとりで狩れます。社交も同じことですよね。少しずつやれば、できるようになる」
ルイーゼが何度も頷く。
「そうですわ。ミュリエル様と、わたくしと魔牛お姉さんと、もちろんイローナ様とで、新しい社交界を作りましょう」
ミュリエルはやっと心から笑えた。
「はい。……あの、ミリーって呼んでほしいです」
「ありがとう。わたくしのことも、ルイーゼって呼んでね」
ミュリエルは、イローナに続き、信頼できる友を得た。ミュリエルの未来は明るい、きっと。