38.責任の所在
狩りの後、馬車の中でおばあさまがさめざめと泣いている。おじいさまはなぜか、王城に行ってしまった。ミュリエルはどうしていいのか分からない。
「あの、おばあさま……。泣かないでください」
「ミリーあなたはアルフレッド王弟殿下と結婚するのです。その重みを分かっていますか?」
「えっと、その、はい……。それなりに……」
ミュリエルはうつむいてしょぼんとする。
「貴族というのは基本的に減点評価です。欠点をあら探しして、お互いをあげつらういやらしい世界です。そこに立ち向かう最大の武器が礼儀作法なのですよ。あなたの今日の礼儀作法では、さあ、減点してください、嘲笑ってくださいと言っているようなものです」
「そ、そうですね……。ごめんなさい」
おばあさまはハンカチで目を押さえながら続ける。
「あなたの結婚相手が、男爵家子息であればたいした問題ではありません。身分が低い者はそれほど目くじらをたてて見られません。ですが、あのアルフレッド王弟殿下です。あらゆる貴族女性の憧れの的です。その殿下の相手とは一体どんな令嬢だ、皆が厳しい目であなたを見るのです」
「はい……」
ミュリエルは今更ながら、アルフレッドの妻という立場の重さを思い知る。
「殿下はあなたのその天真爛漫さを愛していらっしゃるのでしょう。それはわたくしも理解しております。そのままのあなたでいさせてあげたい。でもね、ミリー。王弟殿下の妻となるということは、否応なく外交をする立場になります。今のあなたでは外交の場には出せないでしょう」
「そうですね……」
確かに、今外交させられたらドキドキして挙動不審になるに違いない。ミュリエルはうなだれた。
「一度殿下にしっかりとご相談いたしましょう。あなたの淑女教育をどうするのか。わたくしでよければいつでも教えましょう」
「はい……」
「今日はもう休みなさい。明日以降、殿下と相談して決めましょうね」
「はい……」
ミュリエルはがっくり落ち込んで家に入った。マチルダがギョッとした顔でミュリエルを迎える。
「まあっ、ミリー一体どうしたの?」
「ううう、行儀が悪いことしちゃったー」
ミュリエルはマチルダに抱きついてポロポロと涙をこぼした。
「あらまあ……。えーっと、どのような?」
「うーん、串ごと肉をガブッと食べたのがダメだったと思うの。あと、地面にごろんて寝転んじゃった」
マチルダが優しくミュリエルの背中を撫でる。
「あらあらまあまあ……。それで、どなたかに怒られたの?」
「おばあさまに怒られちゃった。これだとアルの妻には失格だって」
「まあ……。殿下はなんと仰って?」
「アルは……気にしてないと思うんだけど……分からない」
「そう……」
ミュリエルはマチルダから離れると、手の甲で涙をグイグイ拭いた。
「私、領地に帰ろうかな……。領地に帰って母さんに淑女教育してもらおうかな……」
「ミリー、その前に殿下と話をするべきだと思うわ」
「うーん、でもアルはきっと止めるでしょう。でも、それはアルのためにはならないでしょう。アルにはもっとちゃんとした女性の方がいいんじゃないかな」
ミュリエルはこれ以上アルフレッドに迷惑をかけたくなかった。
「ミリー、とにかくね、きちんと殿下とお話しなさい。それから決めても遅くないでしょう? 黙って領地に帰るのは絶対ダメよ」
「そっか……。近いうちにアルに相談してみるね」
ミュリエルは力なくうなずくと、部屋に向かった。
***
王宮の一室には重苦しい空気が立ち込めている。
波瀾万丈のピクニックの後、男性全員で反省会をしているのだ。
「責任を取って辞職します」
護衛と騎士がうなだれた。
「ならん。全ての責任は僕にある」
アルフレッドは突っぱねる。
「孫娘の不始末です。私が責任を取りましょう。淑女教育が至りませんでした。誠に申し訳ございません」
セレンティア子爵がまっすぐにアルフレッドを見る。
「ならん、ならぬぞ。誰ひとりとして辞職は許さない。いいな」
「しかし、殿下。護衛と騎士の気持ちも分かりますぞ。護衛が護衛対象に置いていかれるなど、言語道断。そして騎士たちは、ミュリエル様の狩った獲物をのうのうと食べたそうではないか」
宰相のヒーさんが苦言を呈する。もっと頼って、を正しく理解したアルフレッドは、ヒーさんに助けを求めたのだ。
「皆、あのときはどうかしていたのだ。ミリーがあまりに予想を超えてくるから……」
アルフレッドは力無く部下をかばう。しかしヒーさんは追及の手をゆるめない。
「しかも、ミュリエル様が手ずから焼かれた上に、自ら肉を配られたそうではないか」
ジャックとダンがうなだれて詫びる。
「弁解の余地もございません。領地で毒されてしまいました」
ヒーさんは厳しい目で皆を見回す。
「殿下、領地での振る舞いと、王都での振る舞いは分けなければなりません。領地では好きになさればよいでしょう。ですが、ここは王都。ミュリエル様に自由に振舞っていただく訳にはいきません」
「しかし、僕は今のままのミリーを愛している。くだらない淑女教育でミリーの良さを失いたくない」
アルフレッドは突っぱねる。ヒーさんは真摯に語りかけた。
「殿下、その気持ちは分かります。ミュリエル様の天衣無縫なありようは、殿下にとって得難いものでしょう。ですが、王都は魑魅魍魎の住まう地です。ミュリエル様にいらぬ瑕疵をつけてどうするのです。殿下はミュリエル様を守らなければなりません」
「そうだな。貴族たちからミュリエルが批判されるのは許しがたい。いっそ領地に戻すか」
アルフレッドは苦悩に満ちた表情でうなだれる。
「殿下、それでは根本的な解決にはなりません。最低限の礼法は身に着けていただかねば、今後ミュリエル様がお困りになります。他国からの賓客に見咎められては、ミュリエル様の御身が危ない」
「その通りだ。……どうすればいいのか」
パタン 静かに扉が開いた。ミュリエルにつけていた影が青ざめて立っている。
アルフレッドが弾かれたように影を見る。
「なんだ、ミリーに何か?」
「ミュリエル様が、領地に戻ると仰いました。今マチルダ夫人が止めております」
「すぐに向かう」
ヒーさんがアルフレッドを止める。
「殿下、なりません。殿下は例の方に助力を願わねばなりません。ミュリエル様の淑女教育には、あの女性の力が必要です」
アルフレッドはしばしためらったのち、首肯する。
「分かった。ジャック、ダン。ミリーを王宮に連れてきてくれ」
「はっ」
ジャックとダンは大急ぎで馬車に向かった。
皆さまからのご意見を元に、大幅に修正いたしました。
おじいさまとおばあさまや男衆への嫌悪感が薄まるといいのですが……。
誰も悪気はないのが伝わるといいなと思っております。