37.いったい何を狩るというのか
ピクニックってこんな物々しい行事なんだっけ? ミュリエルはおののいた。護衛が十人、騎士団の精鋭が十人である。
二十人の屈強な戦士たち。鍛え抜かれた筋肉、鋭い眼光、機敏な身のこなし。まさに歴戦の猛者ばかりに違いない。
武器もすごい。全員弓と剣と槍を持っている。剣はともかくとして、弓矢は使い捨てだ。金を投げ捨てているのと同じである。
領地では、父が大型魔獣を仕留めるときにだけ使う。使ったあと、父はいじましく再利用ができないか、鏃を調べたりする。まあ、ほぼできない……。
槍はもっと高い。滅多に出ない魔熊と戦うとき用に大事に保管されている。魔熊は石だけでは倒せないので、石で弱らせたあと、槍を一斉に投げるのだ。槍は再利用できることが多い。でも、高いので使うことはマレである。
(ピクニックって聞いてたけど、ドラゴン狩りなんだろうか)
ミュリエルはドラゴンは狩ったことがない。ドラゴンは人が相手にできる魔物ではないから、諦めて逃げろと言われている。まさに厄災級なのだ。
アルフレッドと祖父母のどちらかしか選べない場合、誰を助けるべきなのか……。ミュリエルは答えの出ない難問に、涙目になる。
いや、アルフレッドは王弟だ。護衛と騎士、二十人が命をかけて守るだろう。ならば自分は祖父母を守ろう。ミュリエルは結論が出て明るい気持ちになった。
ドラゴンが出ませんように。ミュリエルは祈った。でもやっぱり不安なので聞いてみる。
「アル、これから行く場所って、ドラゴンが出るの?」
「いや、出ないよね。出たら王都が滅びるよね。どうして?」
アルフレッドが目を丸くする。その反応にミュリエルはホッと胸を撫で下ろした。
「えーっと、すごい人数だし、武器がすごいから」
「まあ、王弟が動くとなると、これぐらいは普通だけど」
「そっか。そうだよね。安心した」
ミュリエルの憂いは取り除かれた。
さて、馬である。ずんぐりモッサリがかわいい農耕馬と違って、王都の馬は美人だ。とても洗練されている。どこのご令嬢ですか、と言いたくなるような優美さだ。女としての魅力で完全に負けているのではないか……。ミュリエルは気落ちした。
初めての、乗馬。祖父に何くれとなく世話を焼かれ、おっかなびっくり乗ってみる。目線が高い。王都の馬は足が長いのである。
「太ももの内側で馬を締め付けるのだ。馬の動きに合わせて腰を浮かせる。……なんだ、できるじゃないか」
「わー、鞍と鐙があると、馬ってこんなに簡単に乗れるんだ! すごいすごい。ちょっと走らせてきまーす」
ミュリエルと馬は疾走した。速い。信じられないくらい速い。ミュリエルは風になった。馬と心がひとつになる。そうか、せまい王城で退屈していたんだね。存分に走るといい。
おや、遠くに鹿の群れがいる。ミュリエルは、腰につけた袋から石を取り出すと、手綱を口でくわえる。スリングに石を入れ、投擲する。
パッと鹿の群れが割れ、四方に走り去って行く。ミュリエルは二回石を投げて、逃げ遅れた鹿を倒す。
何も指示しなくても、馬は倒れた鹿のところまで進んでくれた。いい子だ。
ミュリエルは飛び降りると、三頭の鹿にとどめを刺した。
「あ、しまった。どうやって持って帰ろうか……」
つい夢中で三頭を倒してしまったけど、馬とミュリエルで運べるのは一頭ずつだ。もう一頭を置き去りにすることになる。いや、この子なら二頭運べるかな? ミュリエルは鹿と馬の大きさを見比べる。
ブルルルッ 馬が頭を上に向け、耳をピクピクさせる。
「誰か来るのね?」
馬が見る方向を眺めると、土ぼこりが立っている。馬が落ち着いているので、魔物の群れではなさそうだ。
「あ、アルとおじいさまと、騎士の皆さんだね」
ミュリエルがニコニコしながら待っていると、顔色の悪い男たちが到着した。アルフレッドは馬から降りると、ミュリエルを抱き締める。
「心配した」
「え、どうして? ドラゴンは出ないんでしょう? まさか魔熊が出るの?」
ミュリエルはさあっと血の気がひく。さすがに魔熊はひとりでは狩れない。
「いや、せいぜいが猪だけど……。そういう問題では」
「あ、そっか。連携を乱しちゃったね。ごめんなさい」
ミュリエルは反省した。これが領地での狩りなら、父の鉄拳制裁であった。のどかな草原に気が緩んでしまった。
「その鹿は、まさかミュリエルが?」
青ざめてかすかに震えるおじいさまが、弱々しい声で聞く。
「血抜きもされてるようだが」
「はい、馬上から仕留めました。馬ってすごいですね。あっという間に鹿に追いつくんです。領地だったら木の上で待ち伏せか、湖近辺でたまたまいたら狩れるんだけど」
やっぱり、馬を領地にたくさん買ってもらうべきだろうか。おじいさまはどれぐらいお金持ちなのだろうか。ミュリエルは下世話なことを考える。
「弓は持っていないだろう?」
「石です、おじいさま。古来よりもっとも伝統的な狩猟は石です。ほらっ」
ミュリエルは上空を飛んでいるマガモを、打ち落とした。
「あ……」
「これだけあれば、ピクニックには十分ですよね。それとも、もっと狩ります? あっ」
ミュリエルは続けざまに石を四つ投げる。
「ウサギがとれました。ウサギは動きが変速的だし、的が小さいから、石をたくさん投げないと。父さんならひとつで仕留めるんです。私はまだまだです」
「そうか……私の常識では計り知れない娘なのだな」
おじいさまは晴れやかな笑顔になった。褒められた! ミュリエルは嬉しくなる。
「さあ、早速焼いて食べましょう。熟成させない鹿肉もおいしいですよ」
「そうだな、楽しみだ」
馬は頑丈なので、鹿と人間が一緒に乗っても大丈夫らしい。なるべく馬の負担にならないよう、細身の騎士が鹿を乗せて帰ることになった。
ウサギとマガモはミュリエルの馬に乗せている。
馬をのんびり走らせると、川の近くに大きな天幕が張られ、椅子やテーブルが設置されている。ミュリエルの知るピクニックとはまったく規模が異なる。
荷馬車があり、ジャックやダンがせっせと食器を運び出している。
(えええ、ピクニックって布敷いて、そこに寝転がって肉食べるんじゃないんだ)
お貴族様ってつまらないだろうな、ミュリエルはアルフレッドが気の毒になった。こんな仰々しいなら、気軽に出かけられないじゃないか。
外でのごはんは、地べたや木の上で食べるのが醍醐味なのに。外で椅子に座って食べるなんて……。王宮庭園でのお茶会でもあるまいし。
天幕の下で椅子に座っていたおばあさまが、慌てて出てきた。
「心配したのですよ。ひとりでいなくなるなんて、何かあったらどうするのです」
「ごめんなさい。でも、おばあさま、ここはドラゴンも魔熊も出ません。せいぜい猪ぐらいだそうです。だったら何も危なくないですよ」
おばあさまは全く納得してくれない。くどくどと小言を言われた。
(わあー、母さんと一緒。同じことを色んな言い方で言ってるー)
これは長くなるぞ、ミュリエルは助けを求めてアルフレッドを見る。アルフレッドはニッコリ微笑んだが、近づいて来ない。助けてくれる気はないようだ。
おじいさま……。おじいさまにはそっと視線をそらされた。ひどい。
「鹿をさばきます!」
ミュリエルは気合いを入れて、大声を出した。大声を出せば、たいがいの小言は途切れる。父の教えだ。
ミュリエルは、口を開けたまま止まったおばあさまからそっと離れる。川の近くに置かれた鹿を、サクサクさばいていく。
腹を裂き、内臓を取り出す。鍋に入れた水をかけ、腹の中の血もきれいに洗い流す。皮をはぎ、足を切り、骨にそって部位ごとに分割する。
「手際がいいですね」
隣でさばいている騎士の人に褒められた。今日はよく褒められる日だ。ミュリエルはご機嫌になった。
やる気がみなぎり、マガモもさばく。せっせと羽毛をむしりとり、ジャックにもらった布袋に羽毛を詰める。もう少し狩れば、いい枕ができそうだ。
川で丁寧に手を洗う。
領地なら、そこらの木の枝にぶっ刺して肉を焼くのだが、お貴族様は違うらしい。専用の長い鉄串が用意されている。
塩も香辛料もふんだんに用意されてある。領地なら、厳密にひとりひとつまみずつ配られるというのに。ここではかけ放題である。
「いただきまーす」
いい具合に焼けた串を、ヤケドしないように布で持って、ふうふうしながら食べる。さすが王都の塩と香辛料、風味が違う! いや、単純にかける量の違いかもしれない。
ミュリエルは焚き火に当たりながら、焼けた串から次々食べていく。
ふと視線を感じた。皆がミュリエルを凝視している。
(しまった。領地だと、早い者勝ちで奪い合いだけど……。きっとここでは分け合って食べるんだ)
小さな子どもがいれば分け合って食べるが、大人だけならそれは戦いである。狩り場での食事は弱肉強食、早食いが常だ。厳しい世界で生きてきたミュリエルは、王都の真髄に触れた。ここは優しい世界なのだ、皆で分け合わないと。
ミュリエルは恥ずかしくなった。素早く焼けている串をいくつか抜くと、おばあさまの皿にひとつ置く。この中で最弱はおばあさまだもの。
次はおじいさまだ。老人は敬わないと。領地の百戦錬磨のじじばばたちとは違うのだ。
次はアルだろう。王宮で真綿に包まれて育った生粋のおぼっちゃま。
あとはよく分からないので、適当だ。全員に串を渡していく。ミュリエルはやり切った達成感を胸に、焚き火のそばに戻る。
皆に肉が行き渡ったので、気兼ねなく存分に食べる。焼いては塩をふり、ガンガン食べる。
「あーおいしかった」
ミュリエルはごろんと寝そべり、お腹をさする。何かを感じた。おばあさまと目が合った。
お小言の気配を感じ、ミュリエルは姿勢を正す。
私は石。私は石。私は石。
ひたすら唱えて気配を消すと、イヤな雰囲気はなくなった。
ピクニックって、こんなに緊張するものだったっけ? ミュリエルは首をひねった。