36.家族のこと
ジャックに連れて行かれた王宮の部屋には、少し元気がないアルフレッドと、ふたりの老いた男女がいた。ふたりはミュリエルが部屋に入ると、ガタッと立ち上がったまま固まる。
アルフレッドが笑顔になって、ミュリエルを抱きしめた。
「どうしたの、アル。何かあった? 元気ないみたいだけど」
「大丈夫。ミリーの顔を見たら元気になったよ」
アルフレッドはミュリエルの腰に手を回すと、固まったままのふたりの前に連れて行く。
「ミリー、君の母方の祖父母だよ。リチャード・セレンティア子爵と、キャンディス子爵夫人だ」
「母さんの……。私の……」
じっちゃん、ばあちゃんと言おうとして、ミュリエルはなんとか踏みとどまった。
「おばあさまと呼んでもらえないかしら、ミリー……」
「私のことはおじいさまと。ミリー」
領地のじじばばとは比べものにならない、上品な祖父母。
「おばあさま、おじいさま。初めまして、ミリーです」
おばあさまは感極まったようで、ボロボロと泣き始める。ミュリエルはオロオロとしながら、おばあさまをそっと抱きしめる。おじいさまが、ためらいがちにミュリエルの背中に手を当てた。
「さあ、食べながら話しましょう。ミリーはお腹がすいているはずだからね」
ミュリエルがアルフレッドの隣に座ると、おばあさまは涙を拭きながらミュリエルの前に座った。
「鼻が、シャルロッテにそっくりだわ」
「目はロバートだな」
ミュリエルは、どういう顔をしていいか分からず、真面目な顔でふたりを見る。
「そうなんですね。マリー姉さ、マリーナ姉さんは、母さんにそっくりですよ」
「会いたいわ……」
「結婚式で会えますよ。家族全員にね」
アルフレッドが優しく言う。
「待ち遠しいですわ。あの、いつ頃になるのでしょうか?」
「そうですね、今すぐにでもと言いたいところですが……。早くて来年の春頃でしょうか。冬を越さないと、領地からの移動が大変ですからね」
確かに。雪が溶けないとどうにもできない。ミュリエルは深く頷いた。
「できれば、ミリーの衣装のどこかに刺繍をさせていただけませんか?」
「ええ、もちろんです。衣装係をご紹介しますよ」
おばあさまにたくさん聞かれて、領地での生活を話す。母が衣装を手作りしてくれることを言うと、おばあさまは涙ぐむ。
この間、魔牛を仕留めたことを自慢げに話すと、おじいさまが青くなったり赤くなったり、プルプル震えたりする。怒っているのだろうか。
姉弟の話が一番平和な話題だと、ミュリエルはようやく察知した。
「ジェイムズとハリソンが双子。次のダニエルとウィリアムも双子なんです。母さんは、効率がいいでしょうって、今でも自慢してます」
おっと、これはマズイ話題だったらしい。おばあさまが泣いてしまった。
「双子って不思議なんですよ。どっちかが病気になったり、怪我したりすると、遠くにいても分かるんですって」
ミュリエルは急いで双子の神秘について話す。
「ダニーとウィリーは、五歳ぐらいまで、自分がどっちだかよく分からなかったみたいだし。ふたりだけど、ひとりみたいな感覚なんですって」
おばあさまが興味深そうに聞いている。ミュリエルはホッとした。
「その、双子のジェイムズが次期領主となるわけだが……。片割れのハリソンは大丈夫なのだろうか? 複雑な気分なのではないか?」
おじいさまが心配そうにしている。
「んー、そうでもないみたいですよ。ジェイは狩りが好きだけど、ハリーはそうでもないし。ハリーは農業とか牧畜の方が好きなの。領主になると、魔剣を持って魔獣と戦わないといけなくなるから。ハリーはむいてないと思います」
「そうか。それならいいのだ」
おじいさまは安心したようだ。おばあさまが身を乗り出して聞いてくる。
「ミリー、今度一緒にお買い物に行きましょうね。他の子どもたちに何か贈り物をしたいのだけど、何がいいかしら」
「買い物、楽しみです。マリーナ姉さんは、靴がいいと思います。昔、王都で買った靴をずっと大事にしてるから。実用的ではない靴だと、きっと喜びます。そういうの欲しくても、絶対言えないから」
「分かりました。一流の靴職人を手配しておきますね」
おばあさまはニコニコと優しく笑う。
「ジェイはそうですね。狩りが好きなので、犬かなあ。小さいときに仲良くしていた犬が死んじゃってから、自分だけの犬はもういらないって言ってるの。でも、そろそろまた気が変わるような気がする」
「よい狩猟犬を選べるように、探しておく」
おじいさまが真剣な顔で言ってくれた。
「ハリーは動物が好きすぎて、自分で狩るのがイヤなんですよ。でもなぜか、犬はそんなに好きではないみたいで」
ミュリエルが考えこんでいると、おじいさまが何か思いついたようだ。
「鷹は? 鷹狩りなら、指示するだけでいい。いや、森ならフクロウの方がいいのだろうか」
「鳥は仕込むのが大変ですよね。教える技術もないし」
「仕込める者を、数ヶ月領地に派遣することはできる」
ほう、金があればそんなこともできるのか。ミュリエルは新しい世界を垣間見た気持ちになる。
「そしたら、フクロウかなあ。ハリーは鷹よりフクロウが好きな気がする」
「分かった。探しておく」
いいな、ちょっとうらやましいかも。ミュリエルはこっそり思った。
「ダニーは本が大好きなの。でも領地にはあまり本がなくって。領地にある本は全部暗記しちゃってるんだ」
「まあ、それならうちにある本を、大至急送ってあげましょうよ、あなた」
「そうだな。ダニーだけ先に贈り物を受け取っても大丈夫だろうか?」
「大丈夫ですよ。もしかしたらケンカになるかもしれないけど……。そしたら母さんにぶっ飛ばされるだけだし」
あ、これは言ってはいけなかったようだ。おじいさまとおばあさまがまた固まってしまった。慌てて話題を変える。
「ウィリーは木彫りが好きなの。彫刻用の道具が喜ぶと思う」
「それならすぐ手配できる。では、本と一緒に送ろう」
おじいさまは満足そうに答えた。おばあさまは、オズオズと尋ねる。
「シャルロッテは?」
「母さん……。なんだろう。……あ、そういえば、最近目尻のシワを気にしてたから、クリームとか?」
「それもすぐに手配できますわ」
おばあさまは嬉しそうだ。
「ロバートは?」
おじいさまがソワソワしながら聞く。
「父さん……。全然思いつかない……。うーん、馬かなあ? 農耕馬じゃない、馬。でも領地にはいらないからなあ」
「税収に余裕が出てきたのだろう? 馬を持ってもいいと思う。シャルロッテも乗馬が好きだ。ふたりで遠乗りに出かければいい。森では無理だが、平原なら馬で狩猟もできる。馬をつがいで選べばいい」
おじいさまはものすごく乗り気のようだ。ミュリエルは母の知らない一面に驚く。
「ええ、母さん乗馬できるの? 知らなかった」
「シャルロッテは乗馬が得意だった。ミリーは乗らないのか?」
「農耕馬と牛なら乗れるけど。普通の馬は乗ったことがない」
「今度、乗馬に行こう。獲物がいれば狩ってもいい。殿下、王家の私有地で狩猟をさせていただけませんか?」
おじいさまは少しウキウキしている。
「もちろんだ。僕も行きますよ。皆でピクニックだ」
「楽しみだねえ。狩ったらさばいて、その場で焚き火して焼いて食べよう」
「……そうだね」
ミュリエルは新しい場所での狩りに心が浮き立つ。王家の私有地なんて、珍しい獲物がいそうではないか。
「あ、でも私、熊はひとりでは狩れないんだけど。熊を狩るには最低でも十人はいないと。石だけだと無理だし。弓か槍がいるよね」
「ミリー、この辺りでは熊は出ないから大丈夫」
アルフレッドが苦笑する。
「魔牛も?」
「魔牛が出たら、騎士団が討伐するよね。間違っても石では立ち向かわないから」
「そっか。王都だもんね。弓も槍も使いたい放題だもんね。なら大丈夫かな」
「念の為、騎士団の精鋭部隊を連れて行くよ」
アルフレッドは急に不安になったようだ。
「本当? 騎士団に弓と槍の使い方教えてもらえるかな? 父さんから教わったけど、滅多に使わないから」
「分かった。弓と槍を十分に持って行くよう伝えておく」
「ありがと、アル」
ミュリエルの笑顔に、アルフレッドはご満悦だ。
セレンティア子爵夫妻は、ふたりの会話を聞いて少し疑念がわいた。ひょっとして自分たちの孫娘は、一般的な令嬢の範囲内には収まっていないのでは……。まさかね……。
そのまさかである。