33.二度目の夜会も絶品です
異例ずくめの夜会が始まりました。私は会場に着いてから、目を丸くしたり、口をポカーンと開けたり、驚きの声を漏らしたりしております。ええ、貴婦人にあるまじき失態を重ねております。
ですが、気にしませんわ。だって、皆さん驚きの表情を隠しきれておりませんもの。
まず仰天したのが、食べる気満々の配置だったことです。普通、夜会といえば踊りと社交が中心です。別室に軽食が用意されているものの、食べる人はほとんどおりませんわ。
やはり毒物の恐れは常につきまといますし、人前でたくさん食べるのははしたないですから。衣装に影響しないほど、そして空腹でお腹が鳴らないよう、屋敷で適度に食べてから夜会にむかうのですわ。
会場に入ったところ、壁際にズラリと並ぶ食事の量に度肝を抜かれました。そして、踊る場所は全くございません。丸テーブルが会場中を埋め尽くしています。
(これは、もしや晩餐会の間違いだったのかしら?)
でもそれにしては妙です。どこに座るか席順を案内されませんでしたもの。晩餐会なら、配偶者以外の男女が並ぶよう、案内されるのです。
会話が盛り上がるよう、どの男女を並べて座らせるか。それが女主人の腕の見せどころですわ。
(あら、皆さん料理の場所に引き寄せられていますわ)
私はマックスを誘導して、皆の行く方向に進みます。
「ああ、殿下とミュリエル様がいらっしゃるね。ご挨拶しよう」
「なっ……。どうしてあんな料理の真隣の席に……」
私は小声でマックスに聞きました。通常であれば、王族は部屋の最奥に座るものですわ。
「ミュリエル様は食べることが大好きだそうだ」
私が目を白黒させている間に、私たちの挨拶の順番が来てしまいました。王族の顔を直接見ることは許されません。うつむき加減で前に進み、おふたりの前で跪きます。
「今日は皆に直答を許している。立ちたまえ」
なんということでしょう、このような名誉を賜るなど信じられません。
「僕が一番迷惑をかけた文官かもしれない。マックスいつもすまない。ケイト夫人、マックスを家に帰してやれなくてすまなかったね」
神がかり的な美貌のアルフレッド王弟殿下に、直接声をかけられてしまいました。尊い。これが尊死の境地なのですね。
私がぼーっと突っ立っていると、殿下がそのままお話しになります。
「僕の愛しいミュリエルだよ」
「ミュリエルです。よろしくお願いします」
「マックスとケイト夫人は、僕たちのテーブルに座りたまえ」
気を失うかと思いました。しかし、ここで意識を失うわけにはいきません。
今日の、この夜会での全てを、家族とお友だちに漏らさず話すと約束したのです。
夢見心地で席につきます。殿下とミュリエル様、そして若い男女が同じテーブルです。若い男女はミュリエル様のご学友のようです。とても気安くお話しされていますわ。
他の参加者は、好きなところにお座りになる方式のようです。もちろん、殿下の近くの席から埋まっていきます。
チンチンチンチン 殿下がグラスをフォークで鳴らします。
皆が静かになって殿下を見つめます。
「今日は無礼講だ。直答を許す。ただし、ミュリエルに無礼なことは、決してしてはいけないよ。僕が何をしでかすか分からないからね」
ここは笑うところなのでしょうか……。皆、遠慮がちにぎこちなく笑います。
「知っての通り、二十五歳の今までずっと女性が苦手でね。一生結婚はしないものと思っていたのだが、ミリーに出会って気が変わった」
殿下がとろけそうな笑顔でミュリエル様を見つめます。そして、我慢ができなかったのでしょうか。ミュリエル様の頬に優しくキスされます。
私はハンカチを口に押し当てて見えないように噛み締めました。そうでもしなければ、大声で叫び出していたことでしょう。
マックスが心配そうに私の背中に手を当てます。
大丈夫、大丈夫ですわ。気合いで乗り越えてみせますわ。今日、ここで起こることを、見逃すなんて絶対にできません。
他の貴族女性も私と同じ気持ちのようですわ。皆、ハンカチをギリギリと引き絞ったり、手のひらをつねったりして耐えています。
(皆、耐えるのよ)
女性たちと目が合います。小さく頷き合って、気持ちをひとつにします。
女性たちのギラギラとした目に促されるように、殿下が話されます。
「ミュリエルと結婚するために、まあ、無茶をした。今日ここに来てもらった文官諸君のおかげで、無事にミュリエルを我が手に囲い込むことができた」
殿下はミュリエル様の頬を長い指でそうっと撫でます。ミュリエル様の頬が少し赤らみました。
「苦労をかけた、ありがとう。感謝する」
夫を含め、文官の方々が感極まって涙を光らせています。
分かります。文官は滅多に褒められることのない立場です。できて当たり前、失敗したらクビですわ。
近衛騎士のように、チヤホヤされることもなく、陰で静かに国を支えているのです。
(やっと報われたわね、マックス)
私はマックスの手を強く握りました。
「食べることが好きなミュリエルに合わせて、多様な料理を用意した。各自が好きなものを好きなだけ食べてほしい。毒は入っていないと、僕が保証しよう。まあ、実は全て毒味済みだ」
今度は大きな笑い声が上がりました。
「さあ、大いに食べて飲んで、今宵を楽しんでくれ。乾杯!」
「乾杯!」
ミュリエル様がさっと立ち上がります。まるで騎士のように機敏な身のこなしです。つられて私も立ち上がりました。
ニコニコとかわいらしく笑いながら、殿下と共に料理のテーブルにむかわれます。おふたりはじっくりと全ての料理を確認されると、肉料理のところにお立ちになります。
「色んな肉を少しずつお願いします」
ミュリエル様は朗らかに仰いました。私はようやく、ミュリエル様の全身をこっそりと見ることができました。
まあ、とても背が高くていらっしゃるわ。殿下の鼻ぐらいにミュリエル様の頭がございます。一般的な貴族女性の、頭ひとつ分は大きいのではないかしら。
ドレスは、殿下の髪の色ですわね。殿下がお選びになったに違いありません。前身頃は首まで詰まっているのですが、後ろは腰の少し上まで大胆に開いています。このような形のドレスは初めて見ました。
ミュリエルさまのほっそりとした体型がとても際立ちます。袖がなく、背中が全て見えています。まあ、コルセットもしていないのに、なんと細い腰でしょう……。でも、決して貧相ではないのです。思わず触りたくなるような張りのある肌。美術品のようですわ。
あら、まあ……殿下ったら。ミュリエル様の背中をそんなに撫で回してはいけませんわよ。
私は少し顔が熱くなりました。でも、ミュリエル様は平然として料理を選んでいらっしゃいます。
「あまり食べないんですね。おいしくなかったですか?」
ミュリエル様が心配そうに仰います。
「いえ、とてもおいしいです。少し緊張しておりまして……」
嘘です。ミュリエル様のあまりの食べっぷりに、すっかり食欲がなくなっていたのです。こんなに細い体の、いったいどこに入っていくのでしょう。ダンという専属の給仕が、何度もミュリエル様のご要望に合わせて料理を運んできます。
「せっかくのおいしい料理です。食べないともったいないですよ」
ミュリエル様は吸い込むように次々とお皿を空にされます。
私も少しずつ口に運びます。確かにおいしいですわ。さすが王都で一番人気のレストランですわ。
「残ったら捨ててしまうんだよね。貧しい人にあげられればいいのに。それか、みんなで持って帰るとか」
テーブルの全員がうっと詰まります。なんと答えればよいのでしょう……。
「貴族が持ち帰りは難しいんじゃないかな。平民だと普通にするけどねえ」
イローナ様がお答えになります。
「お皿で持って帰って、翌日お皿を返しにくればいいかもしれませんが……。正装姿でお皿を持つのは恥ずかしいです」
私は思い切って意見を述べてみました。
「食べ物が入っているとは分からないような、専用のオシャレな箱があればどうかしら? バスケットでもいいかもしれない」
イローナ様が目を輝かせながら話されます。
「そうですね、それであれば、持ち帰る貴族もいるかもしれません。最初のひとりになるのは、勇気がいりますけれど」
「そしたら、私が最初のひとりになるよ。マチルダさんとジョニーさんにケーキを持って帰ってあげたいなあ」
殿下が給仕のダンに目配せされます。
しばらくすると、銀皿にケーキが美しく盛りつけられて来ました。
「ミリー、この銀皿ごと紙で包めば持って帰れると思うよ。馬車で揺れるから気をつけないといけないけど」
「ありがとう、アル、ダン」
ミュリエル様の笑顔に殿下も微笑みで返します。なんて仲睦まじいおふたりでしょう。
「私も、何か持ち帰らせていただきます」
私は決心しました。ミュリエル様が率先してなされることです。従うのが忠臣の務めではありませんか。
「ありがとう」
ミュリエル様の笑顔が私に向けられます。太陽のように温かい笑みです。ここまで心をさらけ出して笑う貴族女性に、会ったことはありません。見ているだけで、心が癒されます。
ああ、殿下が寵愛される気持ちが分かります。無垢な幼児を愛さずにはいられないように、ミュリエル様の純粋な魂を愛でていらっしゃるのですね。
その日、ほとんどの料理が持ち帰られ、料理長はミュリエルに忠誠を誓った。