32.建前は大事です
「ねえ、最近ブラッド見ないけど、どうしてんの?」
学園でミュリエルはイローナに気になっていることを聞いてみる。
「ああ、ブラッドはねー、王宮で特訓受けてる」
「へえー、なんで? 学生なのに?」
「えーっと……」
いつもパキパキ物を言うイローナが、珍しくモジモジしている。
「えー、実は。アタシとブラッドは婚約しましたー。あははー」
イローナが赤い顔で笑う。
「なんだってえ! どうしてもっと早く教えてくれないのっ」
ミュリエルは思わず立ち上がった。
「ブラッドが学園に来たら、一緒に言おうかなーと思ってたんだ……」
「えー、わー、おおおお。うん、お似合いだよね。すごいしっくりくる。前から熟年老夫婦みたいだったもんね」
「誰のせいだと」
「あ、やっぱり私のせい? ふたりには何かとお世話になりました」
へへーっと頭を下げるミュリエル。
「お礼に、魔牛棒もうひとつあげるよ」
「あ、ありがとう……。父がツマミにちょうどいいって言ってた」
イローナは魔牛棒をハンカチで包んでカバンにしまった。
「そうなの? また魔牛が出たら多目に作っておくね。王都でも出ないかなー」
「ちょっと、物騒なこと言わないでよ」
「あれ、イローナって別の婚約者いたよねえ。なんかシュッとした感じの人」
そういえば思い出の夜会で紹介されたような……。ミュリエルは首をひねる。
「ああ、違約金払って解消した」
「じ、事務的……」
「貴族の婚約なんてそんなもんよ。そもそもお金で買った婚約だし、むこうもせいせいしてんじゃなーい」
イローナはとてもサバサバしている。
「ひえー……。あれ、でもそれとブラッドが王宮にいることに何の関係が?」
「ああ、そうね。あのね、アの人がね、いずれブラッドを領地に連れて行きたいって。アの人とミリー、どこかの王家直轄領地を治めるんでしょう? 手足として使える若手文官が必要らしいよ。それで、今アの人から猛特訓受けてるらしい」
ミュリエルは少し真顔になる。
「私、なにもできないけど、いいのかな……。書類とか書けないけど」
「いいでしょう。そんなの周りに優秀な人を配置すればいいだけだもん。ミリーは気にせず、狩りをしてれば大丈夫。アタシも行くんだし」
「えっ」
「だからこその婚約でしょうが。嬉しい?」
「うううううううう嬉しいっ」
「よしよし」
イローナは涙ぐむミュリエルを犬のようにワシワシ撫でてあげる。
***
ブラッドは緊張で喉がカラカラだ。アルフレッド王弟殿下の下で働き出してから、毎日気の休まることがない。食事もあまり喉を通らず、ズボンがゆるくなってしまった。
ブラッドがまとめたラグザル王国の資料を、アルフレッドが無表情で確認している。
(この時間が一番キツイ。ダメならダメと早く言ってくれー)
フッとアルフレッドの空気がゆるんだ。
「いいのではないか。よくまとまっている。この線でいこう。よくやった」
女なら即恋に落ちそうな笑顔で褒められた。ブラッドは張り詰めていた息を静かに吐き出す。
「明後日の夜は空けておくように。夜会をする」
「はい。……ちなみにどのような?」
「王宮の文官たちを労うための夜会だ。振り回した分、報いてやらんとな。兄上にも散々言われている。それに……」
アルフレッドが柔らかく笑った。
「僕もミリーに会いたいし。仕事仕事で少しもミリーに会えない。辛い……」
アルフレッドが机に突っ伏してウジウジし始める。
「君の婚約者も誘ってきたまえ。しばらく会っていないのだろう? これが招待状だ」
「ありがとうございます!」
(もっと早く言いなさいよって怒られるに違いないけど……)
久しぶりにイローナに会えると思うと、顔がニヤケそうになる。頬の内側を噛んで、表情を引き締める。
「今日はもう帰っていい。婚約者に招待状を渡してきなさい」
「はいっ」
***
「もっと早く言いなさいよねー。バカなの?」
「いや、私もさっき言われたばかり……」
ブラッドがモゴモゴ言い訳するが、イローナは聞いちゃいない。
「まったく……。何着ようかしら。やだー、ここ、父でもなかなか予約の取れない、超一流のレストランじゃないの。やったわ。でかした、ブラッド」
「あ、そうなんだ」
イローナの機嫌が上向いて、ブラッドはホッとする。
「ブラッドは何着るの?」
「え? なんか適当に」
イローナがしかめ面になった。
「あんた何言ってるのよ。アタシたちの、婚約者として初めての夜会でしょう。もっと気合い入れなさいよね」
「あ、そういえば、そうだった……。ごめん」
ブラッドは肩を落とす。その様子をイローナはじろじろと遠慮なく眺める。
「それに、ブラッド。あなた痩せたでしょう。今までの服だと変なシワができるわよ。大至急、仕立て直さないと」
「いや、それはさすがに間に合わない」
「大丈夫、うちの専属に超特急料金で直させるから。さあ、行くわよ」
イローナに強引に連れて行かれ、王都の一流店でブラッドはいくつもの燕尾服を試着させられた。その中で最も体に合ったものを、至急直してくれるらしい。
専属の仕立て人は、慣れているようで平然としている。もうとっくに閉まっていた店をしれーっと開けさせ、仕立て直しを悪びれずに命じるイローナ。
これが金の力か……。ブラッドは婚約者の力の一端を垣間見て、ややおののいた。
***
「ミリー、王宮から大きな荷物が届いてるわよ」
「えーなんだろう」
どでかい何かが、幾重にも厳重に布で巻かれている。ミュリエルは恐る恐る布をはいでいく。
「なにこのドレス。た、高そう……」
淡い金色のドレスがキラキラ光っている。
「う、まぶしい。金貨の色……。うわっ、靴まで入ってる。白って……外歩いたら一瞬で汚れるのに……」
「ミリー、普通は馬車で行くのよ。ここに手紙も入ってるわよ」
「アルからだ。明後日、お食事会だって。イローナとブラッドも来るって。アルが迎えに来てくれるみたい」
「よかったわねえ。殿下に会うの久しぶりでしょう」
「うんっ」
マチルダがニコニコ笑顔でミュリエルを見る。
「楽しみね、うんとキレイにしてあげますからね」
「わーい、お願いしまーす」
***
「あなた、やっと帰って来たと思ったら、明後日に夜会ってどういうことですか? 私にも予定というものがございますのよ」
マックスがボロボロになって帰宅すると、妻のケイトがおかんむりだった。
「ご、ごめん……。急に決まったんだ」
「とにかく、招待状を見せてくださいな。……この署名、もしかして……」
招待状を読むと、妻の鬼の形相がみるみる消えていく。
「あ、ああ。アルフレッド王弟殿下がぜひにってことなんだ。もし君が無理なら、私だけで行くよ」
ギラリ ケイトの目が恐ろしくぎらついている。
「行くわ。行くに決まっているではありませんか。今もっとも注目を集めているアルフレッド殿下の夜会なんて……。あらゆる予定を調整して行きますわ。まさかとは思いますけど、婚約者の方もいらっしゃったりなんて……まさかねえ?」
(もう結婚してるけど、これは機密だから言えない……)
「ええっと、ミュリエル様もいらっしゃるよ。そもそもこの夜会は、殿下がミュリエル様に会いたいがために、強引に決められたんだ」
「……詳しく」
「えええーーっと……。殿下がね、まあなんというか色々と、超法規的措置を取られて……。絶対内緒にしてくれる?」
「もちろんですわ」
ケイトは聖母の微笑みを浮かべた。
「殿下ね、陛下しか使ってはいけない印章をね、大量の紙に押してね……。その紙を持ってミュリエル様の領地に行ってしまわれて。ははは」
「……笑い事ではないのでは?」
「うん……そうだね。まあ、その紙で色んな公的文書を作ってしまわれて、おかげで私たち文官は大変だったんだ」
「それは、誰にも言えませんわね」
なんと無茶な。謀反ととらえられて処刑でもおかしくはないではありませんか。ケイトはくらりとめまいがした。
「まあ、それで陛下がいい加減にしなさいと、殿下を呼び戻されたんだ」
「そんな、子どものイタズラを咎める温度感で……。陛下、殿下に甘すぎませんか」
ケイトは頭を振って、意識をはっきりさせようとする。さっきから、貴族の常識では考えられないことばかりを聞かされている。
「そう、確かに。あ、でも、陛下は諸々の調整が終わるまで、ミュリエル様には会ってはならないって、殿下に厳しく命じられたみたいだよ」
「それは……。まるで思春期の男子を持つ父親みたいな……」
「それで、殿下はミュリエル様に会えないのが耐えられなくなって、突然夜会を決行する運びに……。ほら、文官を労うように、陛下が殿下に仰ってくださっていたらしいから」
「なんでしょう、ついで感がひどいですわね。ただの口実的な。いえ、例えどんな理由であろうと、今をときめくおふたりの夜会に出られるなんて……。あなたと結婚してよかった!!」
「えええええ」
久しぶりに見るケイトの愛のこもったまなざしに、マックスはたじろいだ。