35.ジャックの気になる人
「最近、気になる人がいるんですよね」
そういう話、女性同士ならするのでしょうが。男同士はしない。男の中身は誇りでできていますから。まだ落としてもいない、戦利品でもない、ただの気になる人の話はしない。少なくとも、私は。
「つきあってる子と、どこに遊びに行こうかな」
「どっかいい場所知らないか?」
そんな会話なら、男同士でもあり得るでしょう。既に自分のお相手になっている人と、つき合いを深める。目的が明確なら、相談もします。
あるいは、女性を戦利品のように考えている、一部のいけすかない男ならば。
「あー百人目」
「ま、とりあえずな。ツバつけておいた」
などと、うそぶく者もいます。まったく感心しませんね。そのような態度は美しくない。女性だろうが男性だろうが、誠意を持って相対するべきです。不誠実な行為は、いずれ自分に返ってきますから。
とはいえ私は、契約書をきちんと交わした上での、割り切ったつき合いをすることが多かったのですが。殿下の右腕です。結婚するつもりはないですし、殿下に近寄るために利用されてはたまりません。
ところが最近、気になる人がいるのです。
まずは見た目が好みです。押しつけがましさや、くどさはなく。楚々とした、爽やかな、涼しげな。彼女を見ると、そんな言葉が思い浮かびます。
そして、仕事ぶり。真摯に、生真面目に、いつも一生懸命です。慣れないこと、訳の分からないこと、苦労はたくさんあるはずですが。内心の動揺は、表に出てきません。そう、森の中の湖のようです。石を投げても、しばらくすると、元の鏡のような、静かな湖面に戻る。
葛藤や苦しみは、心の奥底にひっそりと沈めている。その奥を垣間見たい。そんな気持ちになります。
同じような仕事をしているので、彼女のことはよく知っています。
「ダイヴァ、ラグザル王国から手紙が届いていました」
ある日、質の良い封筒に入った手紙が届きました。ヴェルニュスに届く手紙は、一旦全て私の手元に集まります。外国からの手紙は、誰から誰宛てかを控えておきます。封を開けることはしません。中身を知りたければ、ダンに言えば調べてきてくれますし。
ダイヴァ宛ての手紙は初めてでした。珍しいなと思いながら渡したところ、差出人を見たダイヴァの目が一瞬険しくなりました。すぐに元に戻りました。
「あれは、怒りか」
そして困惑もあったように思う。気になります。いつも凪いだ湖のように、静謐なダイヴァが見せた、わずかな揺れ。気になりますね。
それから、ダイヴァが何か迷うような、考えこむような表情をたまに見せるようになりました。美しく整えられた庭園に現れた、小さな銀色のヘビ。少しの違和感が、別世界への扉のように見える。
熟れたスイカにほんの少し塩を振ると、甘みが増す。対比効果かもしれません。
「ダイヴァ、悩みがあるなら聞きますよ」
聞かせてほしい、そんな欲深い気持ちは、いくらでも隠せます。話の分かる、落ち着いた同僚。さあ、心を開いて。
ダイヴァは周りを気にしてチラリと確認したあと、息を深く吸った。細い肩が揺れている。
「実は、元夫から手紙が届きました。ヴェルニュスに来たいと。私と息子に会いたいと」
「なるほど」
そんなことだろうとは思っていました。おおかた、ヴェルニュスの復興と、ラウル殿下の王太子決定で、こちらと関係を深めたいのでしょう。よくあることです。貴族は利に聡く、厚顔無恥でなければ務まりませんから。捨てた女でも、平気で使うでしょう。
「ダイヴァはどうしたいのですか?」
「それが、分からなくて。私は会いたくないです。飢饉のとき私と息子を捨てて。それから一度も手紙をよこさなかったのに、何を今さらって。でも」
「ご子息のことですね?」
少し助け舟を出すと、ダイヴァは緊張を緩めたようだ。ふっと肩が落ちる。
「そうなんです。息子は父親に会いたいかもしれない。それを邪魔するのはいけないことだと思うのです。私に遠慮して会いたくないと言うかもしれません」
「ダイヴァも、もう分かってると思いますが。道はひとつです。ご子息と、本音で話すだけです。会いたくないけど、あなたが会いたいなら止めるつもりはない。そう言えばいいのです」
「そうですよね。そうなんですけれど」
分かっていても、できないことは多い。それが人というものだ。自分のことより、人のことなら冷静に見れるというのも、そう。
「何も心配はないと思いますよ。ダイヴァとご子息の繋がりは深い。十年会っていない父親に、どうこうされることはない。そう思いますよ」
少し背中を押すと、ダイヴァは決心したようだ。弱々しくなっていた顔が、いつものキリリとした表情に戻る。いいですね。なかなか、これは。強い人が見せる微かな弱さ。揺らいだ心が戻るさま。いい。
私が少しあらぬことを考えているうちに、ダイヴァは礼を言って去ってしまった。
「さて、どうしたものでしょう」
ミリー様のように、ドーンとまっすぐぶち当たるか。殿下のように、外堀を埋めていくか。どちらも、私向きではないような。少しずつ、距離を縮める方がいいでしょうね。
仕事の相談に乗ったり。休憩時間を合わせたり。信頼できる同僚から、心を許せる同僚に、そして。
「結婚をする気はない、そう言っていましたね」
彼女も私も。大人のつき合いでもいいかもしれない。
「ただ、そうすると、ミリー様が気に病まれるかもしれない」
恋愛事情に疎い方だから。しばらくは気づかれないだろうが。四六時中、同じ空間にいるのだ。いずれは「ん?」と思われるだろう。
「きちんとケジメをつける。その方がいいかもしれない。彼女次第ではありますが」
もう少し、彼女のそばにより。ダイヴァの目に映ることが多くなるようにし。時期を見て言ってみましょうか。
「お互い、いい歳ですが。残りの人生を共に過ごしたいのです」
引退後の男の言葉みたいではないですか。これはダメですね。
難しいですね。自分のこととなると難しいです。考えていると、今度はダイヴァに聞かれました。
「ジャック、悩みがあるなら、聞きますよ」
「ダイヴァ、あなたのことが気になるのです」
スルッと言葉が出てしまった。
「あっ」
「まあ」
出した言葉は取り戻せない。ふたりで見つめ合う。
「次の休憩時間で、仕事以外の話をしませんか。あなたのことが知りたいのです」
「分かりました」
目の前のダイヴァの頬が、少し赤くなる。私は耳が熱くなるのを感じた。
少しずつ、ダイヴァの心の奥底を聞かせてもらおう。そして、私の心の中も、見てもらおう。時間はたっぷりある。急がなくていい。
フリザンテーマさま「独身のキャラクターもいい人に出会って欲しいな、と思います」
リクエストありがとうございます。




