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34.ダイヴァ・マイローニス


 春の日差しのような薄く柔らかい金髪。淡い紫色の目。高貴な貴族らしい、慎ましやかな佇まい。静かで控えめ、淑女の鏡。そう讃えられてきました。


 次期王族に最も近いマイローニス公爵家の長女として、蝶よ花よと育てられました。貴族の選挙で国王が決まるムーアトリア王国。父は、なにごともなければ、次期王になるはずでした。あのとき、父と母と兄が殺されなければ。私、ダイヴァ・マイローニスは王女になるはずだったのです。


 フォークとナイフより重いものなど持ったことのなかった、深窓の令嬢だったけれど。今では石も投げられるし、鹿もさばけるようになりました。


「思えば遠くに来たものだわ」


 仕事の手を止めて、額の汗をハンカチで拭く。乱れた前髪をなでつけ、ひと息つきます。


「なにもかも、ミリー様のおかげ」


 新しいご領主夫妻がいらっしゃると、突然聞かされたとき。わずかな期待と、大きな不安がありました。また、ひどい目に合わされるんじゃないかって。あのとき、皆は心身ともに限界でしたから。これ以上の苦痛や重荷を受けるぐらいなら、いっそ。暗い目をして、覚悟をしたあのとき。


 ところが、いらっしゃったのは。大地の色の髪と、森の色の瞳を持つ、朗らかな女性。今なら、心から信じられます。太陽の神と大地の神の寵愛を受ける女性であると。


 温かく、強く、まっすぐなミリー様が、硬くなり強張った領民の心を、一瞬で解かしてくださったのです。



 それからは、悲しむ暇も、自分を憐れむ時間もなくなりました。矢継ぎ早に色んなことが起こるのですもの。ミリー様の侍女として、一歩も二歩も先を読み、先回りして物事を調整しなければならないのに。


 気づいたらとんでもない方向に事態が進み。呆気に取られているうちに、なんだかうまくコトがおさまっている。どうしてこうなった、が日々発生します。


 忙しく暮らすうちに、心配していた息子もすっかり明るくなりました。


「ラグザル王国の父上のところに行きたい」

「こんなところに、未来はない」

「なぜ、あの時、父上は私を連れて行ってくださらなかったのだ」


 捨てられたのは、母上のせいだ。暗にそう言われているようだった、息子の言葉。暗く、歪み、ひがみっぽかった息子。同世代なのに、驚くほど強い女性領主の登場で、すっかり毒気を抜かれたかのようになりました。


 荒ぶる息子に手を焼き、見て見ぬふりをしていましたが。今では気負わず会話ができます。


「母さん」


 今まで母上と呼んでいた息子が、母さんと呼ぶようになりました。きっと、ミリー様の影響でしょう。


「高級宿の必要備品の洗い出しと追加注文、やっておくから。まとめたら、パッパに持っていく」


 そんな風に、自分で仕事を見つけてくるようになりました。


 以前は、話しかけてくることといったら、「父上から手紙来た?」って聞くときぐらいだったのに。手紙なんて、一度も来なかったのだけど。


 ああ、イヤなことを思い出してしまいました。前夫のことは、全て箱に詰めて、カギをかけて、ヒモでグルグル巻きにして、心の奥底に埋めたのに。たまにこうして湧いてきて、イラつかせるのです。ウンザリです。


 精悍で美しい男性でした。私の見た目が気に入ったようで、さっさと第二夫人に娶られました。言われることに、はいはいと従う。控えめな笑顔を絶やさない。決して出過ぎることなく、夫を立てる。


 そんなムーアトリア流が、彼には珍しかったようで、最初の数年は、それほど悪くなかったのです。息子を妊娠すると、彼はしばらくラグザル王国に戻り、若い女性を連れて来ました。


「妊娠中の女は、なにかと面倒だからな」


 私の心に、ピシピシとヒビが入り、砕け散った気がしました。第一夫人とは冷え切った仲だと聞いていたのです。第一夫人はラグザル王国で暮らしています。実質的に、自分が正妻のようなものだと思っていたのに。


 身も頭も軽そうな、若い女性が彼の隣にべったりといるようなりました。私は彼と彼女から、便利に使われる日々。


「敗戦国の女は、所詮なぐさみ者なのね」


 とっくに分かっていなければならなかったのに。うかつにも夢を見ていたのですね。そして、飢饉が始まると、一顧だにせず、捨てられました。生きる力の乏しい私たちは、たちまち困窮しました。


 

 あの絶望の二十年を生き残り、今やっと世界が明るくなったのです。今なら、たとえ飢饉が訪れようとも、立ち向かえると思うのです。ミリー様がいらっしゃるから、飢饉なんて起こらないと思うけれど。


 でも、いざというときのための備えは、着々と進んでいます。備蓄を計画的に。森や湖、動物たちをよく観察すればいいのだそうです。


「ビーバーが冬ごもり用に川に家作るんだけどね。ビーバーの家の壁の厚さで、冬の寒さと長さがなんとなく分かるの。もし、例年より分厚かったら、私たちも冬の備えを増やさないとダメなんだよ」


 ミリー様は、自然のことをそれはよくご存知なのです。ブラッドやパッパが、各地から情報を集めています。冷害や干魃、イナゴの飛来、洪水、山火事。様々な情報を基に、今後の計画を練るのです。


 寒さに強い野菜を増やす。長い冬に向けてジャガイモの備蓄を強化する。薪を多めにする。


「備えあれば憂いなしです」


 パッパが笑顔でそう言うと、安心して眠れます。もう、ひもじい思いをすることはなさそうです。自然のことを何も知らず、ぼんやりと生きていました。今は、元ムーアトリアの民も、強くなり、厳しい自然に立ち向かえます。


 「無知の知」という言葉を、アル様から教わりました。「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」ということを意味しているそうです。


 私は、あまりにも無知で受け身でした。それが分かって嬉しいのです。ミリー様、アル様、パッパを始めとする、様々な分野の精鋭の皆さま。学ぶことがたくさんあります。素晴らしいではありませんか。ありがたいことです。


「父なる太陽、母なる大地。我ら大地の子。ミリー様がヴェルニュスに来てくださったこと、心から感謝いたします」



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― 新着の感想 ―
[良い点] いつも楽しく読んでます! ミリー様の知らないところで幸せになれてる人は沢山いるのでしょうね~ 名前が出てきた人や名もなき民の皆さんにも
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