3.全てを持つ少女
たまに魔物に襲われたりもしたけれど、特に問題もなく王都に着いた。
「みんな、ありがとね。気をつけてね」
「おー、ミリーも元気でな。いい男つかまえるんだぞ」
「はーい」
行商人や護衛と別れると、ミュリエルは初めての王都に足を踏み出す。
「石畳だ!」
領地には舗装された道なんてなかった。
「えーパン屋がある。うわー肉屋がある、ええー魚屋までー。見たことない魚がいっぱい、おいしそう」
あっちへフラフラ、こっちへヨロヨロしながらミュリエルは王都を歩く。田舎もの丸出しである。
「うわー、父さんが言った通り。みんな靴履いてる。お金持ち〜ひょえー」
もちろんミュリエルも靴を履いている。決して裸足でウロウロしないよう、母に言い聞かされた。
「それにしても、赤とか青の靴があるとは思わなかった。しかもあんな細いカカトでよく歩けるな」
ミュリエルの靴は茶色の編み上げ靴だ。領地で靴といえばこれ一辺倒だ。ミュリエルは靴屋の前で立ち止まる。芸術品のような靴が飾られている。
「王都はすごいな。石畳に色んな店に、森では履けない靴。王様はさぞかしたくさん税金をもらっているのだろう」
うらやましい……。領地との差に愕然としていると、絹を引き裂くような叫び声が聞こえる。
「キャーーー、誰かー、引ったくりよー。そいつ止めてー」
声は通りの先の方からだ。目をこらすと、男が女物の小さなカバンを持ってこっちに走ってくる。
「テイッ」
足をかけて男を転ばした。アゴを蹴り上げてから、腹を踏む。
ものすごーくノロノロと少女が走ってきた。少女は男の股間を踏んでから、カバンを取り返す。
「あ、ああ、ありがとう!! ありがとう。ありがとう」
目のパッチリ大きいお人形さんのような少女が、ミュリエルの手を握りお礼をする。
さすが都会は、女性がいちいち垢抜けている。ミュリエルは少女のまぶしい笑顔に釘づけになった。なんだかいい匂いがする。スンスン、ミュリエルは乙女の香りを楽しんだ。
衛兵が走ってきたので、事情を伝えてのたうち回っている男を渡す。
「お嬢さん、ご協力を感謝します。ですが、危ないので今後は我々にお任せください」
キリッとした衛兵が、渋い顔をして注意する。
「はーい。……あのう、あなた、年収いくらですか? 奥さんいますか?」
「はっ? えーっと、急ぎますのでこれにて失礼します」
衛兵はうろたえながら引ったくりを連れていく。
「ああ、健康な男がー」
ミュリエルの伸ばした手はむなしく宙をつかむ。その手を少女がキュッと握った。ふたりは道の真ん中で両手をつないで見つめ合う。男と女であれば劇的な愛の場面になるであろう。
「あのっ、アタシ、イローナって言います。ぜひ、そこのカフェでお礼させてください。おいしいケーキがあるんです」
「はいっ」
ミュリエルは満面の笑みで頷いた。
「ここは、貴族のお屋敷ですか?」
キンキンキラキラした店内に、ミュリエルの緊張は最高潮だ。どうしよう、高位貴族のお屋敷だったら……。
「あはは、違いますよー。うちの父がやってるカフェです。おかげさまで人気店なんですよ」
「はわー、都会ってすんごいですねー」
ふたりは個室に案内された。椅子がフワフワで心もとない。どこまでも沈んでいきそうだ。
「なんでも好きなものを注文してくださいね。ご馳走しますから」
「はいっ」
ミュリエルはメニューというものを眺めている。なんだか色々な言葉と数字が書いてある。
「あのー、このダドラス紅茶って……」
「これ、人気ですよ。ミルクを入れるとおいしいの」
「はあ……。この五っていう数字はなんですか?」
「銅貨五枚ってことよ。あ、でもお金は気にしないでね。父の店だから、無料だから」
ミュリエルは混乱した。紅茶に銅貨五枚とはどういうことだろう。紅茶というものは、葉っぱとお湯からできているはず。葉っぱを乾燥させる手間はあるにしても、ほとんどタダみたいなものだ。一年分の葉っぱがもらえるということだろうか?
「ケーキはこれが一番人気ですよ」
「イチゴのショートケーキ、七。七? 銅貨七枚?」
「そう」
それはどんな大きさのケーキなのだろう。丸ごときたら困るな。いや、食べれるけども。
期待でワクワクするミュリエルの前に、繊細な器に入った紅茶とケーキが並べられた。
ちっちゃいな! いやいや、おかわり自由ってことよミュリエル。落ち着いて。ミュリエルは深呼吸した。
「砂糖入れます?」
「砂糖?」
「ええ、紅茶に砂糖入れますか?」
砂糖、それは年に一回、誕生日にだけ食べられる甘味!
「おおおお、お願いします」
イローナは少し驚いた顔をしながら、スプーンで砂糖を入れてくれた。
なんとっ。ミュリエルはカッと目を見開いた。このような白くてサラサラの砂糖は見たことがない。ミュリエルが食べたことがあるのは、カエデの樹液を煮詰めたものだ。甘くておいしいけど、茶色くてもう少し粒が大きい。
カエデ砂糖はとにかく作るのが大変だ。樹液を煮詰めて煮詰めてずーっと煮詰めてできるのだ。誕生日には、その貴重なカエデ砂糖を、ほんのひとさじ、家族が見守る中なめるのである。
年に一度だけ味わえる至高の味。
それが、たった今、ミュリエルの紅茶に入った。ミュリエルは興奮を押し殺し、イローナの真似をして上品にスプーンでかき混ぜる。
「いただきますっ」
ミュリエルは腹の底から声を出した。イローナはあやうく紅茶を吹き出しそうになっている。
「あ、ごめんなさい。うちはいつも、食べ物への感謝を込めて全力で言うことになっていて……」
イローナが笑ってくれたので、ミュリエルはそーっと紅茶を飲む。
甘い! なんと甘い! 甘い!
久しぶりの甘味に、ミュリエルの語彙力が死んだ。
「ケーキも食べてくださいね」
ミュリエルは震える手でフォークを握った。
うまい! 甘い! もう終わった……。
ふた口で食べ終わり、ミュリエルは悲しくなった。いや、おかわりがくるはず。
……こない。
「違うケーキも食べます?」
「はいっ」
ミュリエルは遠慮せずに次のケーキもふた口で平らげた。食べ終わったあと、はたと気づく。もしかして、たった今ふた口で食べたちっちゃなケーキが銅貨七枚?
さーっとミュリエルの顔から血の気がひく。
「ごめんなさい! こんな高価な食べ物、ふた口で食べちゃって」
ミュリエルは机に手をついて頭をさげた。
「えー、大丈夫、気にしないで。売れ残ったら捨てちゃうんだから、どんどん食べて。あ、でもケーキばっかりだと気持ち悪くなっちゃうかな。何か軽食を出してもらうね」
ミュリエルにはイローナに後光がさして見えた。お金持ちで優しくてかわいい。自分にないものを全て持っている。
イローナは聞き上手でもあった。あっという間にミュリエルの全てがつまびらかにされた。
「あはは、おっかしい。ミリーのお父さん、サイッコーだね」
「えー、そうかなー。娘に期待しすぎだよ。そんな男、どうやってつかまえろっていうのよ。無理無理」
ふたりはすっかり打ち解けた。
「協力したげるよ。一緒にいい男みつけようね」
「うんっ」
王都に着いて一日目で友だちができた。これは全ての領民から褒め讃えられる案件ではなかろうか。ミュリエルは手紙を書こうと決めた。