16.ネルソンとアリシア
ネルソン・ホイヤー。ヨアヒム殿下の側近で、魔牛お姉さんことアリシアの夫だ。ミリー様には、にんじんって呼ばれていることも、知っている。甘んじて受け止めている。
アリシアはまだ、マギューが魔牛と知らない。誰も言わないことにしている。せっかく、マギューは最高って意味だと誤解しているのだ。そっとしておこう。皆の幸せと平穏のために。
アリシアは変わった。いや、アリシアだけではない、俺も、ヨアヒム殿下も、側近たちも。ミリー様のおかげだ。
あのとき、ミリー様が殿下を気絶させてくださって、本当によかった。俺たちはあのとき、不甲斐ないことに、アナレナに骨抜きになっていた。
いつの間にか、殿下の近くにいるようになったアナレナ。クルクル変わる表情、気さくな性格、距離感が近くて、いい匂いがする。高位貴族であるアリシアにはない魅力にあふれていた。アナレナと話すと、気分が高揚して、幸せな気持ちになった。
「ネルソンさまって、すごいんですね」
「いつもサボらず、剣のお稽古をされてるんですね。尊敬します」
「うわあー、たくましい腕。あ、触っちゃいました。ごめんなさい」
今思うと、わざとらしくあざとい発言の数々。当時はポーッとなって夢中になっていた。
それで、つい。殿下が、いや俺たちも、魅力魔法にかけられていると気づけなかった。
なんの言い訳にもならないが。
アナレナは非常に巧妙だったと思う。他の女生徒がいる場所では、決して殿下に近づかない。誰も見ていないところで、偶然に出会い、よく分からないうちに懐に入った。夜会での婚約破棄も、そんな計画、俺たちは誰も知らなかった。
ふたりだけで、秘密の決断、真実の愛。甘くささやかれ、仕向けられたのではないか。
冷静になると、どれだけ危ない橋を渡ったか、震えがくる。ミリー様に気絶させられなければ、殿下は廃嫡。不祥事を未然に止められなかった側近は、一生冷や飯だっただろう。
それから、よく分からないうちに、アリシアたちが魔牛お姉さんになった。要はミリー様の親衛隊であり、応援隊だ。石の腕輪をつけて、すましている女性貴族が増えた。
石投げ部隊もできた。何を思ったか、アリシアが石投げ部隊に入りたいと言ってきたときは、心底驚いた。
それは、すごく嬉しいけど。大丈夫か、こんな細腕で。
「そうすれば、お忙しいネルソン様と、一緒にいられる時間が増えますもの」
な、なんて破壊力のあることを言うのか。ポッと顔を赤らめて、恥ずかしそうにしているアリシア。なんだ、こんなにかわいいところがあったなんて。いつも冷静で上品な顔を崩さなかったのに。
知らなかったアリシアのかわいらしいところに、俺は動揺を隠せない。精いっぱい笑って、なんとか答えた。
「家でも外でも背中を預けられる女房なんて、最高だ。アリシア、一緒にがんばろう」
アリシアはもっと赤くなって、嬉しそうに笑った。
うーん、これは、ヤバい。結婚まで我慢できるだろうか。いや、我慢する以外の道はないのだが。
石投げ部隊に入って一緒に訓練すると、さらに心が乱れる。
服の袖をまくり上げて投げたり。そのほっそい腕を、男の前にさらけ出すなんて。ハレンチではないのか? 俺は、理性を試されているのか?
一生懸命投げて、うっすら汗をかいているところとか。ほてった顔とか。
集中するために、豪速で投げていると、ウットリした目で見られたりとか。
だから、「ミリー様との合同結婚式、興味ありませんかしら」と聞かれたとき。
「興味ある。いいな、いいじゃないか。いいと思う。うん、実にいい考えだ」
何回、いいって言ってんだ俺。必死か。うん、必死だ。殿下、申し訳ございません。俺は先に結婚させていただきますー。
そして、割とすぐ子どももできて。これからは、妻と子どもを守らなければならない。身の引き締まる思いだ。
じい先生みたいに、妻に冷たい目で見られないよう、努力しよう。とにかく、「体は大丈夫? 俺にできること何かあるかな? なんでもやるよ」って、妻に聞けばいいってパッパが教えてくれた。
察せなくても、聞いて、すぐやればいいらしいから。それなら、気が利かない俺でもなんとかなる。
妻に熟年離婚を切り出されないよう、がんばろう。
***
「キィィィィィ、なんですの、あの小娘はーーーー」
当時、わたくしは荒れ狂っておりましたわ。わたくしの婚約者に近づくアナレナとかいう泥棒ネコ。なんなの、なんなのかしらいったい。たかが男爵令嬢の分際で。
我ら「学園の愛と平和を守る七人衆」の婚約者が、のきなみ籠絡されてますのよ。由々しき事態ですわ。わたくしたち、もちろん両親に相談しましたの。だって、婚約は家同士の約束ごと。浮気は契約違反ですわ。許せませんわあぁぁ。
「今は静観しておきなさい。男は騒げば騒ぐほど、逃げるわ。追い詰めるとダメです。もし、本当に浮気したら、粛々と婚約を解消すればいいのです。ドーンと構えて、お待ちなさい」
母になだめられて少し落ち着きましたの。父はオロオロしているだけなので、放置ですわ。
七人衆の皆で、ハンカチを噛み締めながら、でも表向きはなにごともないように、耐えました。
ネルソン様は、まさかわたくしが気づいているとは、思っていらっしゃらないようです。殿方って、どうしてこう……。あのですね、婚約者ですから、定期的にお茶会などで会いますでしょう。
そのときね、五分もすれば、何かおかしいって分かりますの。ええ、女性なら誰だって、その能力がありますわ。彼の気持ちがわたくしに向いていないって、即座に察知できますわ。
わたくしに向ける瞳に浮かぶ熱量が、まず全然違いますもの。以前はそれなりに、かわいいなって思っていらしたはず。アナレナの毒牙にかかってからは、わたくしを見ていても、彼はアナレナを思っているって、すぐ分かりますわ。上の空、心ここにあらずです。
むなしいですわ。悔しいですわ。自分が無価値な人間に思えますわ。
それがですよ、ミリー様のおかげで、あれよあれよという間に事態が急転換。殿方たちも反省され、すっかり心を入れ替えられて。
母の言う通り、静観していてよかったです。
「お母さま、でも、これからどうやってネルソン様に向き合えばいいかしら。わたくし、許せるかしら」
「そうね、許せないんじゃないかしら。女性って、傷ついたことを一生ネチネチ覚えているのよ。数十年前のことでも、一瞬で鮮やかに思い出して、新鮮に腹が立ちますもの」
「まあ」
お父さま、何をやらかしたのかしら。恐ろしいわ。母の瞳がギラギラしていますわ。さあ、話を変えなくては。
「ミリー様ってね、とってもイキイキとしていらっしゃるの。目が大きくて。楽しいことがあると、目がキラキラ輝くの。イヤなことがあると、顔がくもるの。とても分かりやすくて、癒されるのです」
「そういう裏のない無邪気なところが、殿下のお気に召したのでしょうね。アリシア、あなたも、もう少し表情に感情をのせてみてはどうかしら?」
「はしたないと思われないかしら。ぶりっことか、あざといとか」
「不特定多数の男性に向けて、素の表情を見せてはいけないですけれど。婚約者になら、いいのではないかしら。だって、家族になるんですもの。家族に素直な感情を見せるのが、はしたないはずがないわ」
「そうですわよね。他の殿方にぶりっこすると大炎上しますけれど、婚約者ですもの。分かりました、もう少し取り繕わない自分を出してみます」
母の助言はまたしても正しかった。貴族的なすました表情を減らし、素直な感情を見せる。おいしい、楽しい、寂しい。
そうすると、ネルソン様の目が、かわいいなあって言ってるの。こんな簡単なことだったのですね。好きな人に本当の姿を見せるって、特別な感じ。
一緒に石投げをして、ネルソン様のお気持ちがどんどん高まって。愛されてるって、自信になりますの。傷が癒える気がいたします。
今は、夫となり、しばらくしたら父親になるネルソン様。
マギュー好き。マギューかっこいいですわあぁぁ。
3dicekさま「にんじんさんの話」
ねこりんさま「マギューお姉さん話も是非!」
リクエストありがとうございます。
こちらでパッパのイラストが見れます↓
https://ga.sbcr.jp/bunko_blog/010121/20230523t/
私のインタビューも。ものすごく恥ずかしいですが。




