14.妻たちの後悔
勉強会が終わってから、パッパはよく既婚女性たちから相談を受けるようになった。
「パッパ、この前の勉強会のこと、聞きました。男と女は、犬と鳥ぐらい違うって、すごく納得できました。私、ずっと、なんでこの人分かってくれないのってイライラしてたんです」
「男は察せない、女は説明しない。それが悲劇の始まりです。女性は、言わなくても、それぐらい分かるよねって、説明に労力をかけません。女性同士なら、感覚で理解し合えるから」
「そう、イチイチ言わなきゃ、分かってもらえないんだって。そういう生き物なんだって、ようやく分かりました」
女性たちが口々にパッパに言う。パッパは優しく諭した。
「細かくちょこちょこ、気持ちを伝えないといけません。女性は、少しの不満は言わずに飲み込んでしまうでしょう? それがいけない。グツグツグツグツ煮えたぎって、ある日突然、バーンと」
パッパが両腕を上げる。
「プッツーンと切れちゃいます。そして、ダメだと思いつつも、今までの恨みつらみをブワーッとぶちまけちゃって」
女性たちも両手を上げて、怒りの波動を表した。パッパは苦笑する。
「男からすると、キョトーンです。え、何、いきなりどうしたの? もう、まったくもって意味不明。何が悪かったのか分かりません。よくよく聞いてみて、え、なんでそんな十年前のことで怒られてんの、俺。って愕然とするという」
「ううう」
思い当たるふしがありすぎて、女性たちはガックリうなだれる。
「男は、そんな昔のこと覚えていませんから。いつまでも、何をグジグジ言ってるんだ、とドン引きします。不満はこまめに、柔らかい口調で説明すること。男は、ちゃんと言われればできる生き物ですからね」
「反省しました。私が正しい、夫はアホだって思ってました。ただ、違う生き物だっただけなのに」
女性たちは照れたように、困ったように少し笑う。
「愛し合って結婚した相手です。言葉をつくして説明してください。言う努力をしないで、勝手に幻滅するのはもったいない。子ども相手には丁寧に説明できるでしょう。夫のことも、大きな子どもだと思って気持ちを伝えてください」
「そうします。難しいけど」
「難しいですよ。犬と鳥。違う言語で生きてます。努力し続けないと、関係は保てません。さらに大事なのは、次世代に同じ過ちを持ち越さないことです。息子さんを甘やかして、何もできない、気の利かない大人にしてはいけませんよ」
ギックリ。男の子をもつお母さんたちが、少し後ずさった。
「息子さんの奥さんに、あなたと同じ苦しみを与えるおつもりですか? きちんと育てましょう。察せる息子、説明できる娘に育ててください」
「はい、がんばります。夫とふたりで」
女性たちは、決意をこめてパッパを見る。
パッパから後光が差しているように見えた。これからもパッパについて行こう。パッパの信者が日に日に増えていく。
じい先生は、部屋の窓からその様子を見て、ため息を吐く。
あの頃、仕事にかまけて家のことと子育ては妻に任せきりだった。当時はそれが普通だった。貴族は、自分で子育てはしない。乳母、侍女、家庭教師、何もかも他人任せだ。そして、家の采配をするのは、妻の役目。夫は外で金を稼げばよい。そういう時代。
第一子が生まれたとき、忙しくて家に帰らなかった。しばらくして帰ったが、妻には冷たい目で見られて。一年口を聞いてもらえなかった。最初は、静かだなーと思っていて、やっと何か怒っているのかと気づき。恐る恐る問いかけ、謝り倒した。
いまだに妻は怒っているような気がする。ヴェルニュスに行くと告げたときも、「寂しい」のひと言もなく。「あらそうですか。お気をつけて」で終わった。
え、もしかして、もう見捨てられてる? 熟年離婚? 寂しい老後? あ、もう老後だった。ええーどうしよー。
じい先生はしばらく悩み、妻に手紙を書くことにした。
『ダイアン、元気にしているか?
ヴェルニュスでサイフリッド商会のパッパから、子育てにおける男の無能さについて教わった。ずっと子育てをダイアンに任せきりにして、すまなかった。そういえば、子どもたちの進路の相談も、ろくに乗ってやらなかった気がする。私はダメな夫で父だと反省した。
すまなかった。許してくれないか。どうだろう、ヴェルニュスに遊びに来ては? 温泉があって、バレエや人形劇も見れる。
ショーン』
王都の屋敷で、夫からの手紙を受け取ったダイアン。無表情で読んで、ふうーっとため息を吐く。遊びに来ていた妹が何かと問いかける。
「ショーンがね、育児に無関心で悪かったって。ヴェルニュスに遊びに来ないか、ですって。今さら、ねえ」
「あら、お義兄さんでも、謝ることあるのね。ふーん、見直したわ」
「亭主元気で留守がいい。そう思ってたけれど。あの人が働いてるところは素敵だから。見に行ってあげてもいいかもしれない。温泉があるんですって」
「あら、いいじゃない。私も行こうかしら」
妹が乗り気になってきた。
子どもが手を離れ、悠々自適の毎日を送っているダイアン。夫がいなくても、なんの問題もない。一時期は、「夫はお金だけ稼いで、家に帰ってこなくていいわ。帰ってくると面倒」とまで思っていた。
でもまあ、せっかくここまで結婚生活を続けたわけだし。長年働いて、何不自由ない生活をさせてくれた。歩み寄ってもよいのでは。そんな気がする。
ショーンは働いているときはカッコイイのだ。ただ、家に帰ってくると、そのカッコよさはどこかに消えてしまう。ただのボンヤリした物体になってしまう。なんの生産性も刺激もない。ただの置き物。少しは自分の前でも、いいところを見せてほしい。
自分には、カッコイイところを見せる価値もないのか。釣った魚に餌はやらぬというが、餌どころか会話もない。なんなの。そう思っていたこともありました。
謝れるって、ショーンのいいところよね。怒っていることに気づかないんだけれど、気づくと謝ってくれる。だったら、私も、許してあげてもいいわね。
「姉さんさあ、最近話題になってる、パッパ語録があるのよ。男は誇りでできてるんですって。だから、謝るのが苦手なんだって。もし男が謝ったら、『許す』って上から言うんじゃなくって、ウソでも『私もごめんね』って言うのが夫婦円満の秘訣なんだって」
「何そのパッパ語録って」
初耳だ。
「パッパはサイフリッド商会の会長よ。人生の機微を知り尽くしてるらしいわよ。陛下がね、家庭円満が国家安寧につながるから、パッパ語録を広めてるんですって」
「へー、そうなの。許してあげるって言うところだったわ。そうねえ」
ダイアンは長い夫婦生活を考える。
「子ども優先で、あなたにあまり注意を向けていなかったわ。ごめんなさい。なら言えるかも」
「いいんじゃない」
じい先生の冷え切った夫婦生活に、暖かい風が吹きそうだ。
一十八祐茂さま「じい先生、奥さんに詫び状を書く」
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