28.魔牛お姉さん
「ただいま〜」
ミュリエルがしれ〜っと教室に入ると、一瞬の沈黙ののち、狂喜乱舞の大騒ぎになった。
「ギャーなんでー、お帰りー」
イローナがミュリエルに飛びつき、号泣する。
男子や女子から次々肩や背中を叩かれ、髪をもみくちゃにされた。
「どうしたの、なんで? 婚約がまさか……」
「あーそれは大丈夫なんだけど、書類が色々あって大変みたいだから戻ってきた。こっちで式あげるし」
イローナが号泣しながらホッとするという、器用なことをしている。
「式って結婚式だよね、いつ?」
「えー知らないけど。全部アルに任せてるから」
女生徒たちが興味津々といった様子でミュリエルに詰め寄る。
「あのー、念の為聞くけど、ミリーの婚約者ってさあ……」
「あの、アのつく最上位の人なんだよね?」
「うん、そうだけど」
女生徒は目を爛々とさせてさらに食いつく。
「その、アの人とはさあ、どうやって知り合ったの?」
「森で猪に襲われかけたところを助けたんだよ」
「あ、ありがと。全く、ぜんっっぜん参考にならなかったわ」
「ですよねー」
女生徒はガックリ肩を落としている。
「ところで、なんでさっきから、あの人って言ってんの?」
「えーっと、それは学園に箝口令が敷かれてるから」
他の女生徒がコソコソっと教えてくれた。
「あ、そうなんだ。へー」
「クリス先生からも、ミリーのことは他の組には絶対内緒ってしつこく言われたよ」
「そっか」
皆が心配そうにミュリエルを見つめる。
「なのに、学園に来ちゃって大丈夫? 黙ってるけど、みんな薄々知ってるよ。注目の的になっちゃうよ」
「え、そうなの?」
「そりゃ、アの人の相手が同じ学園にいるとなったら、見に行くよね」
女生徒たちは顔を見合わせて頷き合う。
「うん。王族であの美貌で二十五歳で婚約者がいなかったんだよ。貴族女性は全員アの人を狙ってたと言っても過言ではない」
「うえっ」
「一体どんな美人が射止めたんだってなるじゃん」
「げえっ」
「しかも田舎の男爵令嬢でしょう、よっぽどの見た目じゃないと納得できないじゃない」
「うううう。もう家に帰ろうかな」
「ミリー、もう手遅れ」
「ぎゃっ」
通路側の窓には女生徒が鈴なりだ。組の生徒が慌ててミリーを囲む。
「どうする?」
生徒たちが顔を見合わせる。後ろから涼やかな声がした。
「失礼ですけど。ミュリエル・ゴンザーラさんってあなた?」
「ひっ」
ベッピンなお姉さんがキター。しかもすごい、いっぱい。
高位貴族の風格をビシビシ放って、お姉さんたちは囲いを突破する。
「まあ……」
「ウワサには聞いていましたけれど……本当でしたのね」
お姉さんたちはヒソヒソ言い合う。
「パッとしないわ」
「平凡だわ。記憶に残らない顔だわ」
ミュリエルの顔をしげしげと色んな角度から見るお姉さんたち。
「でも……魅了の魔力があるわけでもないのよね?」
「そのはずよ。例の件から、王家はピリピリしていますもの」
「まさか、ふたり続けて魔女にやられるほど、マヌケではないはずですわ」
「言葉が過ぎますわよ」
お姉さんが小声でたしなめる。
「あら、ホホホホ」
「特に肉体的魅力があるわけでもないですわね」
お姉さんたちに胸のあたりをジロジロ見られる。もう、寄せて上げるアレはつけていないので、お姉さんたちの視線はミュリエルの心臓にじかに届く。
「グフッ」
ミュリエルは手で胸を押さえた。
「いったいどういうことなのかしら。理解ができませんわ」
「ねえ、あなた。いったい全体、アの人はあなたのどこがよかったのかしら?」
「……分かりません」
ミュリエルはうつむいた。
「あら、素直でよろしくてよ」
「そうですわよねえ、分からないですわよねぇ」
「わたくしたちも分からないのですわ」
ミュリエルとお姉さんたちが一斉に首をかしげる。
「わたくし、両親に相談してみますわ」
「わたくしもそうしますわ」
お姉さんたちの息はピッタリだ。
「では、皆さまそろそろ……」
「ええ、そうですわね。ではあなた、ごきげんよう」
お姉さんたちは嵐のように去っていった。
「ミ、ミリー大丈夫?」
「ごめんね、何もできなかった」
皆がオロオロとしながら謝ってくれる。
「仕方ないよ。あれはどうしようもないよ。魔牛の群れより迫力あったもん」
「魔牛……」
「あ、そういえば、みんなにお土産持ってきたんだ。魔牛の塩漬け燻製棒」
ミュリエルはカバンから包みを取り出すと、皆に魔牛塩漬け燻製棒を渡す。
「……魔牛っておいしいの?」
みな、おっかなびっくり指の先でつまんで、しげしげと見つめる。
「うん、いつまで噛んでもなくならない。歯が生え始めて、歯茎がかゆい幼児に最適だよね」
「俺たち十五歳……」
みんなは勇気を出して、魔牛棒を口に入れた。
「うっ、全然噛み切れない」
「アゴが痛くなってきた」
「味は……塩味だな」
「おい、何やってるんだ? 授業始まるぞ」
クリス先生が教室に入ってきた。
「あ、クリス先生、お久しぶりです。これ、お土産の魔牛棒です」
ミュリエルは満面の笑顔でお土産を渡す。
「あ、ありがとう。……後で食べるよ」
皆の様子を見て、クリス先生は賢明な判断をした。
「ところでミリー。学園に来て大丈夫なのか? イジメられるぞ」
クリス先生が心配そうな顔で言った。
「もう魔牛お姉さんたちの洗礼は受けました。すごい上品にけなされました。すご腕です。私もあの腕を身につけたいです」
「……何を言われたかは聞かんが、ミリーには無理だと思うぞ。人には向き不向きがあるからな。ミリーはミリーの強みを活かせ」
「石ですねっ」
「あ、ああ。そうだな」
ミリーは授業を聞き流しながら、いかに魔牛お姉さんたちと戦うかを考える。
殺しちゃまずいからねえ。顔に傷つけてもダメだし。近づいたときに小さい石を転がして、倒すか。いや、あんな華奢な体だと、転んだだけで骨が折れるかもしれない。
粉じんを目にかけるか。ダメだ、失明させてどうする。
ミュリエルはじっと考え続けた。