12.王族がいっぱい
国王陛下エルンスト、ついにヴェルニュスに足を踏み入れた。
王妃とルイーゼも一緒だ。護衛は数名。王族の移動としては、あり得ない最少人数。
ジーンのランプのおかげである。
もちろん、王宮は揉めた。割れた。喧々諤々と議論が交わされた。
「安全性をどう信じろと」
「そのジーンを信用できる保証は?」
「普通に運河で行く方がマシでは」
「それでは日数がかかりすぎる」
前例のない事態なので、判断の根拠がない。情報を集めるため、サイフリッド商会からジャスティンが呼ばれた。
突然の王宮からの呼び出しに、さすがのジャスティンも緊張する。誰に会っても問題にならないよう、最上級の礼服でおもむく。
「ジャスティン・サイフリッド、面を上げなさい。陛下が直答を許すと仰せでいらっしゃいます」
まさかね、と思いながら来たら、そのまさかだった。陛下との謁見、パッパですらまだ実現していない。ジャスティンは素早く息を深く吸い、表情を取りつくろう。
陛下は、少し困っているように見えた。
「そなたの弟の使い魔なのだろうか。ジーンというランプの精というのは。ランプに乗って運ばれることの安全性を、どう考えたらいいものかと」
それは、確かにそうだろう。王族がホイホイ乗ったら逆に驚く。ジャスティンは一瞬考え、口を開く。
「アッテルマン帝国のフェリハ王女殿下とセファ王女殿下が乗られました。これ以上の根拠はございません。フェリハ様も当初は迷われていらしたが、ジーンに会って安全性が分かったと仰ったそうです」
「なるほど。では、一度会ってみたい」
ジャスティンはためらいがちに言った。
「弟に伝えます。ただ、ジーンを呼びつけて、では次回頼む、とはいかないかもしれません。その場でご決断、そして乗っていただくことになると思います」
周囲はざわついたが、王は鷹揚に頷いた。
「そうだな。人ではないランプの精に、王を敬えと言ったところでな。知らぬわと鼻で笑われるだろう。その場で決断し、乗ろう。もし乗らないという判断をした場合は、丁寧にお詫びした上でもてなそう」
「ありがとうございます」
ジャスティンはホッと息を吐いた。ランプの精を侮辱したら、大変な事態になるかもしれない。陛下の柔軟さに救われた。
そうしてやってきたジーン。ジャスティンを見てニコニコする。
「デイヴィッドの兄のジャスティンか。さすがに美形だな」
王には目もくれず、ジャスティンに懐くジーン。固唾を呑んで見守っていた王の家臣たちは、理解した。このジーンが乗せて届けるというなら、それはそうなると。人にはない圧倒的な力を持つジーン。人が疑ったり交渉しようとするのは間違いだ。おこがましい。
「ランプの精、ジーン殿。ローテンハウプト国王のエルンストだ。今日はよろしく頼みます」
「はーい」
ジーンは実に気楽に言い、なんら気負うことなくビューンと運んだ。
「一瞬だった」
「驚きました」
「快適でした」
驚きの表情で、ジーンに礼を述べる国王夫妻とルイーゼ。
待ち構えていたヨアヒムが、両親への挨拶もそこそこに、ルイーゼの両手を握りしめる。
「ルイーゼ」
「ヨアヒム様」
「ルイーゼ、領地を案内するよ」
恋人との久しぶりの再会で、浮かれているヨアヒム。皆は生温かく、そっと好きにさせた。
「ヨアヒム、ああいうところ、アルに似ているな」
エルンストがつぶやき、ジャックが後ろで深く頷いている。アルフレッドは少しうろたえ、ミュリエルはへーっという顔をする。
「さあ、ルーカスを」
応接室に着いて早々、エルンストはルーカスを抱き上げる。
「アルとそっくりだ。どうか、女嫌いになりませんように」
エルンストはそっと祈りを捧げる。
「大丈夫、ここでは誰も香水をつけませんからね。それに、最恐の虫除けが既にもう」
皆の目が、部屋の隅でちんまり座っているキャリーに向く。幼女に見えるが、明らかにおかしな力を放っている。ジーンと似た何かを感じる。
「選ぶのは、ルーカスだから」
ミュリエルが強く念を押す。ラウルといい、キャリーといい。赤ちゃんを伴侶にしようとするのはいかがなものか。そんな風に決められた人生を、ルーカスに送らせたくない。ミュリエルはプリプリしている。
キャリーは空気を読んで、気配を極限まで消した。ミュリエルに嫌われたら、ルーカスは手に入らないとよく理解しているキャリー。最強の母と最恐の魔女の戦いは、始まらない。母の圧倒的優位である。
「そういえば、ヨアヒムはよくルーカスの子守りをしてくれます」
アルフレッドの言葉に、エルンストと王妃イザベラは目を丸くする。
「離乳食をあげるのが上手です。なんなら、オムツも替えてくれようとします。もちろん、止めてますけど」
ミュリエルの言葉に、イザベラがお茶をむせそうになった。
「ヨアヒムがオムツを?」
「そうなんですよ。できちゃうんですよ。育児はひと通りできるようになりたいって」
ミュリエルが朗らかに報告する。
「わたくし、オムツの替え方、知りませんわ」
「私も知らん」
エルンストとイザベラは顔を見合わせて言い合った。
「あ、そうですよね。王族は乳母が全てのお世話をするんですよね」
「僕はなんでもできる」
得意気にアルフレッドが言い、エルンストは固まる。
「オムツも、寝かしつけも、離乳食あげるのも、遊ぶのも。やってみると楽しいよ。もちろん、ミリーや他の人にお願いすることが多いけど」
「時代は変わったのだな」
「わたくし、離乳食をあげてみたいですわ」
イザベラがワクワクした様子で目を輝かせる。
その後、戻ってきたヨアヒムが、実演することになった。
「ルーカスはミリーに似て、食欲旺盛なので、それほど難しくはありません」
ルーカスはスプーンを両手に持ち、早く寄越せとスプーンで机を叩いている。
「ルーカス、ごはんの荷馬車がきたよー。ガタゴトガタゴト」
ヨアヒムが、荷馬車を模した器をいくつも机に並べる。職人たちが腕にヨリをかけて作った器だ。遊びに夢中になっていても、荷馬車の器を見せるとルーカスは食べる気になるのだ。
「今日は、ひとつだけ新しい荷馬車があるよ。ほら、天犬が描いてあるね。ほうれん草を少しだけ試してみようね」
ガタゴトガタゴトと、天犬のついた荷馬車をルーカスの前に動かすヨアヒム。手慣れた手つきに、両親とルイーゼは驚きを隠せない。
「毎日、少しずつ新しい食材を試すんです。体に発疹が出たら、その食材はもう与えないんです。危ないですからね。ほら、ルーカス、ほうれん草だよー。あーん」
あーんと食べたルーカスは、すぐベーッと吐き出した。ヨアヒムはすかさず布で、ルーカスの口を拭く。
「ほうれん草は好きじゃなかった? では、また今度、味を変えて試してみようね。では、次は大好きなジャガイモだよー」
ガタゴトガタゴトと、潰したジャガイモの乗った荷馬車を前に出す。ルーカスは、バンバンと机を叩く。
「ルーカスはジャガイモが大好きなんだよね。毎日食べてる。少しは違う野菜も食べて欲しいんだけど。にんじんとか」
「大丈夫。ニンジンしかなくなったら、食べるよ」
好き嫌いのないミュリエル。ルーカスも、そのうち食べるようになると信じている。
「では、母上。ジャガイモで試してください。スプーンに少しのせて、口元に近づける」
そうーっと、恐る恐る、震える手でスプーンを近づけるイザベラ。ルーカスは、誰だお前という表情を見せるが、すぐにスプーンをパクリとくわえた。
「食べました。食べましたよ」
イザベラは嬉しそうに皆を振り返る。
「た、楽しい〜。これ、ヨアヒムのときにやりたかったわーーー。あ、そうだ。あなたたち、そろそろ結婚したらどうかしら?」
下心が見え見えのイザベラ。孫で遊びたい気持ちがまったく隠せていない。
ヨアヒムの顔がパッと輝き、ルイーゼを見つめる。ルイーゼは優しく頷いた。
「結婚しよう、ルイーゼ」
「はい、ヨアヒム様」
「あー、エンダーレ公爵、父君に確認してからだぞ」
エルンストは見つめ合うふたりに、そっと声をかけた。勝手に決めたら、気分を害すに違いない。婚約破棄騒動で緊迫した関係だ。これ以上、火種は作りたくない。
孫ができたら、王家への怒りも薄らぐかもしれないな。エルンストはふと思った。
「うむ、前向きに検討しようではないか。戻ったら早速エンダーレ公爵と打ち合わせをしよう」
ふたりとも、孫をオモチャにしてはいけない。ミリーに怒られるぞ。
一十八祐茂さま「ヨアヒム、ルーカス(従弟)の子守り」
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