4.置いていかれがちな俺たち(ダン)
王家の影。王族のためになんでもやる組織。影に必要な資質は色々あるが、武芸の能力は実はそれほど優先度は高くない。もちろん、強いに越したことはないけれど。強さだけなら、護衛や近衛の方が上。
武芸よりはむしろ、人に好かれること、人の懐に入ることの方が重要だ。必要な情報を、様々な立場の人から引き出す。それが影の仕事。情報は剣より強しと言うしな。
そして、記憶力のよさは非常に重きを置かれる。名前、名前は絶対に覚えなければならない。瞬時にだ。
「やあ、いつぞやお会いしましたね。えーっと」と口ごもるより、「やあ、この前、飲み屋で隣り合わせになりましたよね。キースさん」と言う方がいいに決まっている。
頭の悪いヤツは、影にはなれない。関わる人の、あらゆる情報を覚えなければ、仕事にならない。信頼されない。
ミリー様の給仕をした、例の夜会。そのとき見せてもらった、ブラッドがまとめたミリー様の婿候補者の紙。もちろん全員知っていた。あれは、なかなか渋い人選だった。当たり前だが、アルフレッド殿下の競争相手にはなり得ないが。
もしも、ミリー様が殿下の心を射止めなかった場合。あの婿候補者は、いい相手だっただろう。同年代の男子が、ミリー様を受け止められるかは疑問だが。
ミリー様が落とそうと攻めていた数人の男子生徒。今は複雑な心境のようだ。「え、もしかして僕たち狙われてた? まさかね、ははは」って話してたらしい。よかったな、下手に関係が進んでたら、殿下が何したか分からないからな。
ミリー様の籠絡方法がひどくてよかった。あれはない、あれはないですよ、ミリー様。誰だ、教えたのは。
ああいうのは、段階を踏まないと。影だったらどうするかっつーと。まずは情報を集めるかな。家族構成、収入、将来の夢、行動範囲、母親はどんな女性か。男子はよくも悪くも、母親の影響を受けやすい。母親と似た感じか、もしくは真逆か。どんな好みか、事前に把握する必要がある。
情報を頭に叩き込んだら、攻略対象好みの人物になりきる。徹底的にだ。性格、見た目、話し方、仕草、全部ガラリと変える。そして、少しずつ近づく。
初回はあくまでもさりげなく。そよ風ぐらいのふんわり感。なんかいい匂いしたな、ぐらいで十分。
その次は会話を交わす。ふたこと、みことぐらいでいい。まだ名乗らなくてもいい。顔を覚えてもらう。
三回目ぐらいから、長めの会話をする。控えめな笑顔。最後に、「あ、私、ミリーって言います」って言えればよし。
四回目ぐらいから、少しずつ体に触る。あくまでも軽くだ。手の平ではなく、手の甲をさっと相手の腕に当てるぐらいでいい。視線は合わさない。手の甲で意識されない程度に触り、「あの本、取ってください」と言えばいい。相手は触られてると気づかない。
そして、次回で手の平で触る。そのときも目は見ない。肩や上腕を手の平で抑えて、「あの鳥、何かしら。ちょっと見に行かない」とかなんとか言う。
最終的には目を合わせた上で、触る。それを繰り返すと、身体接触が当たり前になる。そこからデートとは言えないようなデートに誘えばいい。「王都にまだ慣れてなくて。いい武器屋を知りませんか」そういう色気のないデートから始める。
若い男なんて、がっついてるから。かわいい女の子が、自分に控えめな好意を持ってるって分かれば、あとは勝手にくる。
ミリー様が下手でよかった、マジで。
人の籠絡が主な任務の影とはいえ、いざとなったら戦わなくてはならない。武器はなんでも使えるように特訓する。剣、槍、弓は基本。もっと大事なのは、日用品を武器にできる技術。影は暗器ぐらいしか持ってないことが多いから、その場にあるもので戦えないと話にならない。
王宮の部屋なら、ペン、本、カーテン。飲み屋なら、ワインボトル、フォーク、ナイフ、皿。「想像と工夫だ」師匠がしょっちゅう言ってた。
どこにいても、影は自然とまず退路を確認する。次に、何をどう使って戦うか想像する。そうすれば、いざというとき、滑らかに体が動く。
退路を確保し、王族を守る。そして、自分も生き残る。それが影の務めだ。
ところがねえ、護衛対象が、護衛より強くて速くて、守られ慣れていないときは、どうしたらいいんですかねえ。師匠。
アルフレッド殿下とラウル殿下は問題ない。産まれたときから護衛に守られていたから、慣れている。
ミリー様とそのご兄弟はねえ。守られるって気持ちが一切ない。いの一番に敵に気づき、真っ先に駆けつける。護衛がついたときには、終わってる。困るんだよなあ。俺たちの存在意義がないっつーかなー。
あの夜会で、ミリー様に給仕をして以来、すっかりミリー様担当になっている。運命だな。
『思考は言葉になり。言葉は行為になり。行為は習慣となり。習慣は性質となり。性質は運命となる』ってやつ。師匠に教えてもらったんだが、その通りだった。今まで真面目に働いたことが、ミリー様と俺を結びつけたんだろう。
師匠は物静かでいつも本を読んでいる。戦える頭脳って感じだ。師匠は色んな国の古典を読んでて、俺たちに策を教えてくれる。
その師匠でも、ミリー様の護衛は難題らしい。最後には諦めていた。
「なるべくくらいつけ。なんとかついていけ。犬とフクロウにつけ届けを欠かすな。もしかしたら連れて行ってもらえるかもしれん」
「どうですかね」
「置いていかれても、とにかく行け。せめて、後処理ぐらいはさせていただくんだ」
「ですよね。それぐらいは働かせてもらわないと。俺たち、クビになってしまう」
そう、ヴェルニュスの影にとって、最も大事なのは、ミリー様に置いていかれないことだ。めちゃくちゃ難しいんだがな、これが。
一十八祐茂さまから「ダンたち密偵陣の奮闘(修行?)」リクエストをいただきました。ありがとうございます。
参考映画: 『ジェイソン・ボーン』シリーズ(超好き)
参考文献: 『元ドイツ情報局員が明かす 心に入り込む技術』(レオ・マルティン著)
「思考は言葉になり〜」はユダヤ教の律法『タルムード』より引用。




