3.サイフリッド商会の推し活
サイフリッド商会は各国の主要都市に支店がある。従業員は基本的に、その土地の人が採用される。サイフリッド商会で働きたい人は、ものすごく多い。が、簡単には入社できない。離職率が非常に低く、人手が足りなくなることがあまりないからだ。
まず、給料がいい。そして、パッパをはじめとした上層部が善良。従業員は人柄を重視して採用するので、邪悪な人がいない。妊娠しても復帰できるし、怪我や病気で働けなくなっても最大限の配慮がなされる。
他の商会ではなかなか真似できない、労働環境のよさ。みんな、絶対辞めたくないし、クビになりたくない。誠心誠意働く。好循環だ。
従業員の採用は、パッパが近くにいれば、パッパが面接をする。パッパがいないときは、長年働いてる従業員がその任につく。
多くが憧れる最高の職場だが、実は従業員が密かに抱える悩みがある。会長一家が美しすぎるのだ。
従業員を採用する際は、支店の古株からコンコンと諭される。
「いいですか、好きになるなとは言いません。だって、好きになっちゃいますから。でもね、仕事に支障が出ないようにしないといけないの。あなた、この仕事を続けたいでしょう?」
ちょっぴり気の毒そうな表情で、熟練従業員のジュディーが言う。
「絶対に、ずっとここで働きたいんです。サイフリッド商会で働くことが、平民にとって一番の出世ですから。ここで働ければ、一生安泰ですし」
若いアンナは熱心に言う。必ず、なんとしてもこの職を得たい。
「ここには滅多にいらっしゃらないのよ、会長一家は。だから、大丈夫だと思うんだけど」
ジュディーは心配そうに思案している。アンナは少し残念そうに肩をすくめた。
「私、がんばります。きっと結果を出します。仕事もすぐ覚えます。どうか、お願いします」
アンナは深々と頭を下げた。
アンナは無事、採用された。アンナの仕事は、注文をまとめ、見積りを送り、発注されたら請求書と商品を送ることだ。事務作業だ。
最初はとまどったが、ジュディーや他の従業員からきっちり教えてもらえる。きちんと手引書もあるのでなんとかなった。毎日、朝早くから、無我夢中で働いた。充実していた。幸せだった。ある日までは。
「やあ、デイヴィッド・サイフリッドだ。君は、新しい事務の人かな? ジュディーはいる?」
とんでもない見た目の人が事務所に入ってきた。
ケッ アンナは息が変なところに入って、呼吸ができなくなる。
「またかい、おいおい、しっかりしな、お姉さん」
強そうな女性に、背中をバシッと叩かれ、アンナは咳き込む。
「デイヴィッドの顔は、初対面の女性には刺激が強すぎるんだろうなあ」
「まあ、こういう反応はいつものことだから、慣れてる」
光り輝く王子様が少し困った顔をしている。美。美という概念そのもの。神様なんだわ、きっと。アンナは目がクラクラした。
「あらあら、デイヴィッドさん。まあ、お久しぶりですこと」
ジュディーが倉庫から出てきた。
「ジュディー。元気そうだね。近くに来たから寄ったんだよ。妻を紹介しようと思って。イシパだ」
「初めまして、イシパです」
ジュディーが目を見開いた。
「まあっ、奥様! ご結婚おめでとうございます」
「おおっと、お姉さん、大丈夫?」
皆がアンナを見る。
「えっ?」
「えーっと、鼻血と涙で大変なことになってるけど」
アンナは鼻に手をやる。ヌルッとし、手が血まみれだ。
「キャー」
白いブラウスが赤く染まっている。アンナは事務所のソファーに横たわった。ジュディーが何度も布を取り替えてくれる。
その日から、アンナは仕事が手につかなくなった。ふとしたときに、デイヴィッドの顔が思い浮かび、そのたびに真っ赤になってしまう。そして、そのあと涙が出てくるのだ。
「あの美しい人には、もう奥さまが」
そう思うと涙が止まらない。ジュディーがアンナの肩を叩く。
「重症ね。まさか、デイヴィッドさんがいらっしゃるなんてねえ。あの方は、美形揃いの一家のなかでも最上位なのよ。仕方がない、まだ早いかと思ったけれど、サイフリッド商会の秘密を教えましょう」
アンナはジュディーに連れられて、倉庫の奥の部屋の、さらにその奥の部屋に入る。
「こんなところに部屋があったんですね。知りませんでした」
「ここはね、従業員の心の平安を取り戻すための場所よ」
ジュディーはそう言うと、壁のカーテンを引いた。
「こ、これは」
「会長一家の肖像画よ。レオナルド会長、奥さまのミランダさん、長男のジャスティンさん、次男のデイヴィッドさん、三男のドミニクさん、一番下のお嬢さまイローナさんよ」
あまりに神々しい光景に、アンナは自然と跪き、手を合わせた。
「私はね、レオ会長の信者なの。お若いときは、本当にお美しくてね。初めてお会いしたとき、私は一週間寝込んだわ。ひとめぼれよ」
ジュディーは裏返しになっていた肖像画を表にする。ハツラツとした美少年。
「レオ会長のお若いときの肖像画よ。尊い」
ジュディーは跪いた。
「あのね、この方達はね、同じ人間ではないの。どちらかというと神様寄りだと思えばいいわ。私たち、一般庶民には手の届かない方たちなのよ。それを、よーくよく胸に刻むのよ。神と人は恋はできないでしょう。私たちは祈るのみよ」
ジュディーは真摯に祈りを捧げる。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。サイフリッド商会よ、永遠なれ。我が推し、レオ様が幸せであられますように」
ジュディーに促され、アンナも祈る。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。デイヴィッドさまがイシパさまといつまでもお幸せでいらっしゃいますように」
アンナの心のモヤモヤが、スーッと晴れていった。急に、世界が明るく見える。
「私たちサイフリッド商会の従業員はね、お仕事と推しごとを全力でがんばるのよ。ね、みんな仲間だから。誰もが通る道なのよ」
ジュディーは立ち上がると、一冊の手帳を机の中から取り出す。
「これに、デイヴィッドさんとイシパさんのことをお書きなさい。ふたりがとても仲睦まじかったこと。デイヴィッドさんが笑顔でイシパさんと会話なさったこと。なんでもいいわ」
アンナは手帳を受け取り、ギュッと胸に抱いた。
「いい内容であれば、サイフリッド商会の社内報に掲載し、全支店に届けられます。全従業員で、推しの尊さを共有するのです。独り占めはよくありませんから。皆で一緒にもだえれば、苦しさがやわらぐわ」
「はい、私、ご夫婦の仲良しなところを全部書きます」
アンナは拳を握りしめた。
『〜笑わない美神、デイヴィッド・サイフリッドが笑った日〜
サイフリッド商会の従業員の皆さま、初めまして、アンナと申します。担当は、デイヴィッドさんとイシパさんご夫妻です。あの日、デイヴィッドさんは、イシパさんと手をつないで事務所に入っていらっしゃいました。
デイヴィッドさんが書類に記入され、ハラリと美しい髪が垂れました。それを、イシパさんが優しい手つきでかきあげ、耳にかけられました。尊い。
デイヴィッドさんはチラリと艶かしい目でイシパさんをみて、微笑まれました。
ほ ほ え ま れ ま し た。
笑わない美神が笑われたのですよ。神よ。この場に居合わせた幸運を感謝いたします。
では、皆さま、ごきげんよう。アンナ』
アンナのちょっと気持ち悪い推し報告は、速やかに社内報になり、各地に届けられた。各支店の従業員がそれを読み、神に祈りを捧げた。
サイフリッド商会の従業員は結束が固い。この社内報は、サイフリッド一家には秘密だ。推しに、推し活動を知られてはならない。常識であり、礼儀だ。
今日も、従業員たちは推しへの偏愛を、仕事への情熱に変え、熱心に働いている。




